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戯文『エープリルフール―"4月バカ"に関する一考察―』
              《口上 長年の"研究"の割には余り収穫なきサマを恥じて小さく記す…橋本健午》

目 次

[はじめに]
[4月1日はどんな日か]
  1. 1年のはじまり
  2. この日生まれは損か得か
[エープリルフールとは]
  1. カツガれる話ばかり
  2. 諸説ふんぷんの"起源"説
  3. 「万聖節」もありますゾ
  4. 各国の風習―ムダな使い走り―
  5. 日本への伝来はいつか
  6. だれが最初にこの言葉を使ったか
  7. この日にまつわるナゾかけ、教会のお話
  8. この日ゆえの"悲喜劇"
  9. この日生まれの有名人・モノ列伝
  10. いちばん古い日本の文献
  11. "次号予告"もあった!

[はじめに]

 かなり前に読んだ西洋小ばなしに、こんなのがあった。

 子どもたちが往来で、だれがいちばんウソつきかを比べているところへ、一人の紳士が通りかかり、「小父さんは、今まで一度もウソをついたことがないよ」と言った。  子どもたちはいっせいに叫んだ。「この人がいちばんの大ウソつきだ!」

 ウソをついてはいけない、ウソつきは泥棒の始まりなどという。人をかつぐようなイタズラは……と眉をしかめる人もおり、"オオカミ少年"のように、いざというとき、信じて貰えなくなっては困るが。しかし、罪のないウソやイタズラは楽しいものである。

 私自身もずっと前、「三億円事件」(注)があった翌年の4月1日夜、「犯人が捕まったと、さっき8時のテレビニュースで言ってましたよ」とある婦人を驚かしたことがある。 (注)昭和43年12月10日の白昼、東芝府中工場の従業員に支払うボーナス三億円を積んだ現金輸送車がニセ白バイに止められ、まんまと全額盗まれた事件。未解決、時効。

 これは午後8時にテレビニュースはないことを前提にしての、全くのウソ。しかも、本来の"四月バカ"は午前中だけ許されるのだから、"ルール違反"でもあった。

 じつは、最近もやった。平成8年暮れの、天皇誕生日を祝うパーティ会場に反政府ゲリラが乱入した「ペルーの日本大使公邸人質事件」は長引き、どのような決着を見せるか全世界の注視の的だったが……。

 100日以上たった翌年4月1日朝、私は紙切れに「ペルーの人質は今朝、無事に解放されました。ゲリラは国外に追放。」と、パソコンで打ち、何気なく家族に見せたところ、みな信じてしまった。

 キューバが人質を受け入れるという状況もあり、私のウソは、きわめて日本人好みの"解決策"だったから、「よかったね、全員無事で」との安堵の声が上がった。しかし、結果はご承知のとおり、フジモリ大統領の指揮による武力制圧で、人質の大多数は助かったものの、ゲリラは全員射殺されてしまった。

 毎年、各新聞は、この日に世界の傑作な"ウソ"を報じるが、東京新聞が「きんサンぎんサンに、実はもう一人どうサンという妹がいて(金銀銅)、ブラジルに住んでいた」という記事を"でっち上げた"のは3年前だったか。だまされた読者は多かったらしい。

 それはともかく、4月1日というのは、私たち日本人にとっては特別の日である。一つは、新年度や新学期が始まる"けじめ"の日であり、もう一つはエープリルフールとして人をかつぐ"遊び"の日である。  この相反する特別の日に、私たちはどのように影響されてきたのか? あるいは、うまく利用されてきたのか?

 明治以来のこの日をたどってみると、まず国の動き、とりわけ私たちの生活に関わる法律や規則の成立と廃止という歴史過程が浮かび上がってくる。そして、とくに戦後の諸外国との交流や、科学や技術の発達によるその恩恵と迷惑を被る実態なども、改めて思い知らされる。

 これら事象の受け取り方は、年代によってさまざまであろう。ともあれ、人はそれぞれの人生を、ちょっとしたことに嘆き悲しみ、あるいは喜びとともに生きているのではないか。

[4月1日はどんな日か]

1、1年のはじまり

 たとえば、国の会計年度は、この日から始まり翌年の3月31日で終わる1年間である。大蔵省(当時)が、会計年度の分界をこのように改正したのは、明治17年10月28日のことで、実施は同19年度からである。

 それ以前は、10月〜9月、1月〜12月、7月〜6月と、さまざまであったようだ。大蔵省によると、世界的には日本型は少数派で、最も多いのは1月〜12月型(フランス、西ドイツなど58か国)、日本型はイギリス、カナダ等(20か国)、7月〜6月型は19か国、ちなみにアメリカは10月から。中にはトルコのように3月〜2月というのもあると、朝日(昭和51年4月1日)は報じている。

 いま、民間の会社でも決算年度の多くは4月〜3月型であり、日本国中、当たり前のことと受けとられているが、なぜ4月からに改めたか。「イギリスの制度を模倣したもので、イギリスではグレゴリオ暦採用まで、3月25日を新年としていた。そのため、グレゴリオ暦になってからも、財政上の年度が4月から翌年3月までという形で残ってしまった」(新人物往来社『暦の百科事典』昭和61年)からだという。

 もう一つ、身近なことでの始まりは、学校の入学式や入社式だが、「(入学式の)4月始まりが制度化されたのは、師範学校が最も早く明治25年、小学校は同33年、大学は大正7年から。4月に統一したのは、国の会計年度に合わせるのと、陽気がチビっ子の健康によいと考えたため」と、先の朝日は文部省(当時)の回答を掲載している。

 しかし、大学については、「欧米の大学では9月を学年始めとする例が多い。わが国でも最初大学は欧米と同じ9月から始まったが、大正8年から10年にかけて、会計年度と同じになった」(『暦の百科事典』)と、資料によっては少し時代のずれがある。

 ちなみに、「April(4月)とは、ラテン語で"開く"を意味する語から英語になったもので、つぼみが開くことと草木を産む地球の胸の開くことから来た言葉。また、イギリスでは4月は春雨を連想し、お天気が変わりやすい月の連想もある」(開拓社『英米風物資料事典』昭和54年)という。

 日本では、新しい年の始まりである1月の清新さとはまた違って、新学期など二度目の始まりの月として、心新たに迎える月でもある。また、古来より卯月、夏初月、花残月などと風流な異称を持ち、遠く昔の雅を忍ぶこともできるといえよう。 気候的には英国の雨に対し、桜の花に象徴されるように、厳しい冬の季節から、やがて暖かくなり木々が芽吹き、心待ちにしていた人々にとって、明るい春らしさを連想させる月でもある。

2、この日生まれは損か得か

 4月1日について悲喜こもごもの人もいるらしい。この日生まれは早生まれか遅生まれか。「たった一日の違いで、長い人生では、ずいぶんトクをしたりソンをしたりすることがある」と説明するのは『週刊平凡』である(昭和49年4月11日号)。

 たとえば、入学から定年退職について。小学校入学の場合、4月1日は早生まれ。2日生まれは1年の入学遅れとなり、この二人がそのまま順調に大学まで卒業して就職し、定年が、満60歳になったときの3月31日とすると、この二人の定年退職の日は同じ年になる。一方が就職した年は、片方はまだ大学生で収入はゼロだろうから、早生まれがすいぶん得? になるらしい。 ところで、警察での「未成年者の扱いは、満19歳の3月31日までで、4月1日に罪を犯すと名前が出ちゃう、ということは遅生まれの扱い。かなりややこしいですよ、4月1日生まれの人は」と、同情(あるいは揶揄)している。

 ここに、この日生まれの主婦(当時43歳)の投書がある。「4月1日を境目にして、就学年齢が変わってくるのが、何とも気にかかる」彼女は、実際は4月2日生まれだったが、早く就学してほしいとの親の願いで、1日生まれで届けを出した。おかげで、「クラスでいちばん若く、4月2日生まれの人とは、364日も遅く生まれたことになるのが、何となくうれしいような、得をしているような、変な気分だった」。

 やがて、長男の生まれる予定日が4月1日と決まった時、「しめた。受験のとき1年ぐらい浪人したって」と思ったそうだが、現実には3日に生まれ、クラスでいちばん早く生まれたことになった」という。 彼女の結論は、これから産声を上げようという赤ちゃんに、「4月1日までで、6歳児入学号は発車してしまいますよ。お急ぎの方はお早く……と、声を掛けて上げたいような、本当に気になる1日」だという(朝日・昭和56年4月1日)。

 みんなで誕生日を楽しむ会もあるそうだ。『エイプリル・フール生れの合同誕生会、今年で23回目』 その名も四一会といい、「4月1日生まれの方へ。ユーモアのある楽しい日々を送るのに賛成の方は……愉快なエープリル・フール・クラブを作りましょう」という一読者の呼びかけで始まったもので、第1回は呼びかけの年(昭和37)の4月1日。賛同者は47人。神田のそばやの二階で会合を開いたのは、赤穂浪士のひそみにならったそうだ。

 その後会を重ね、ピーク時には全国で400人を越えたという。54年に「私たちはこの日を他人に迷惑をかけないユーモアデーとする」との大宣言を出したのは、エープリルフールというと、火災報知器でいたずらをするような悪質なものが多発した時期だったためという(朝日東京版・昭和59年4月1日)。
 今は、どうなっているのでしょうねえ。

[エープリルフールとは]

1、カツがれる話ばかり

 本来、4月1日は、エープリルフールとは言わず、April Fools´Day(四月ばか日)とか、All Fools´Day(万愚節、皆ばかの日)という。また、April Fool(四月ばか)とは、"この日にカツがれた人"のことをさす。

 本稿ではそれを承知で、"四月馬鹿"も"その日、馬鹿にされた人"も同じエープリルフールと、現実に日本で使われている通りに記述することをお断わりしておく。

 エープリルフールに関する戦後比較的早い報道として、昭和30年4月1日の毎日新聞がある。読者からの四月馬鹿の起りは? の問いに対し、「四月馬鹿は社会の安寧を乱さぬかぎり、どんなウソをついて人をかついでもかまわない」。また、「日本には大正時代に伝わってきた」と答えている。

 起源については、「一説にはインド仏教徒は毎年3月の末から1週間の座禅に入るが、4月1日ごろになると悟りの境地を通り越し、疲労でボーッとなり、元のもくあみになるので、これをからかう行事を"揶揄節"(ヤユセツ)といったことが西洋に伝わり、ナンセンスに大笑いする日を4月1日とした」という。

 次いで「『エープリルフール』という言葉は西暦1687年に、英国の文学者コングリーブが『年老いた一人者』という劇の台本にこの語を載せたのが最初」と記している。

 エープリルフールの起源、各国の風習、日本への伝来、だれが最初にこの言葉を使ったかなどについて、この記事はとても分かりやすいが、念のため、いろいろな文献・資料にあたって見ると、実にさまざま。諸説ふんぷんということが分かった。いくつかをご紹介しよう。

2、諸説ふんぷんの"起源"説

 「欧州大陸で改正暦が実施されて(16世紀のことか?)4月1日の元日が1月1日に変更されたとき、古い元日の遊びの一つが残ったのだろうという説」と、ある英文学者は披露する(毎日昭和31年4月1日夕刊『四月バカ』)。

 その翌年の朝日「天声人語」氏は、「元はフランスの古いならわしだという。暦法が今のグレゴリオ暦に切り換えられたのは1583年だが、その前のユリウス暦のころからあった民俗」だとし、「英国では18世紀の中ごろから流行り始めたらしい」と記す。 また、「ユリウス暦のころは今の3月25日から4月1日までがいわば正月七草だったが、春彼岸の祝祭気分、浮かれ気分で、罪のない冗談を言って親しい友だちをだましたりかついだりしたことの遺習」だろうとの説を紹介している(昭和32年4月1日)。

 「ボサツ(菩薩)が17日の神聖な苦行を終えたあとで、息ぬきのバカ騒ぎをやらかす日」という平凡社の百科事典と、「ユリウス暦では新年後1週間目に当る4月1日に一切の負債を支払って年度がわりとしていたが、グレゴリー暦にかわってからこの日にニセの借金払いをして笑い合う風習が出来た」と"コリヤーズの辞典"からの説を紹介する精神科医のエッセイもある(朝日昭和34年4月1日『バカと文明』)。

 「エープリルフールは万愚節にむだな使いにやられたり、または一杯くわされる人」をいい、「万愚節は4月1日のことで、欧米ではこの日、ことに午前中は、人にうそをいっても、からかってもよいことになっている」とし、「いかなる種類のいたずらでもよいというのではなく、無邪気な罪のないうそやいたずらならよい。元首や大統領に関する事柄などについては厳禁」と解説するのは、『英米故事伝説辞典』(冨山房・昭和49年)である。

 また、同辞典はいくつかの説がある中で、次の二つが当を得ているとしている。一つは、「昔、一般に行われた『春分』の祭りのなごりである。祭りは旧暦のNew Year´s Dayすなわち新暦の3月25日に始まり、4月1日まで続いた。インドでは春分の祭りをHuliといい、その最終日は3月31日で、その日にむだな使いをさせて人をばかにする風習」である。

 二つ目は「ヨーロッパでグレゴリー暦を最初に採用したのはフランス国民で、フランス王シャルル九世は1564年に新年が現今の1月1日から始まることに定めた」「現今の4月1日に行われた旧暦新年の贈物や訪問の風習が新暦の正月に移り、一般の人々はこれにしたがったが、なお少数の人々は全然旧暦を捨てず、4月1日に冗談半分に新年の贈答をしたり、ふざけ半分に新年の訪問をしたりして、ときならぬ笑いの種を作ったことに由来する」そうだ。

 「(この)習慣が、はやりはじめたのは、1564年、フランス王シャルル九世が、新しい暦を制定してからのことで、もともとはインドにあった習慣」とし、「中国にも、古くから万愚節としてつたわっていた」とするのは、児童向けの『もののはじまり物語』(実業之日本社・昭和50年)である。

 「古い西洋暦の元日、いまの3月25日から始まって、4月1日に終わった春分の祭りのなごりだとする説。いや、3月の最後の日を期して行われたヒンズー教の祭で広くみられたいたずら遊びからだという説など。ローマ時代の話にも、4月1日に、さんざんばかげたいたずらにひっかかった例はあるようだが、西洋で一般化したのは、18世紀にはいってから」と『暮しの手帖』(第77号・昭和57年4月号)は簡潔に述べている。

 キリストのたらい回しという茶番劇説があるとする『はじまりコレクション@』(日本実業出版社・平成元年)には、「中世の聖史劇によく出てくる話で、キリストはアンナスからカヤファへ、さらにピラトからヘロデへ、そしてまたピラトへ引き回される」というもので、「あまり信憑性がない」という。先の『英米故事伝説辞典』も、この説を高くは買っていない。

 「欧米で盛んだが、インドに発する風習との説もある。いわゆる四月馬鹿」とは、その後の「天声人語」(平成3年4月1日)である。

 「キリストが生前にユダヤ人に愚弄された故事を忘れないための行事とする説、また16世紀なかばフランスで、1年の始まりを、それまでの春分の祭りから1月1日に改めた際、これを喜ばない人々が、昔ながらの正月の祭りを4月1日に催したのが起源とする説、またはインドの揶揄節に起源を求める説」もあると紹介するのは、『ブリタニカ国際大百科事典D』(平成5年)である。

3、「万聖節」もありますゾ

 この風習の起源について、「フランスに始まり、英国に伝わったのは、17世紀の後半ないし18世紀はじめであろう」とし、また「OEDにしるされたAll Fools´ Dayの最古の例は1712年のもの」とするのは『英米故事伝説辞典』である。(注:OED=Oxford English Dictionaryの略)

 『週刊読売』もその特集『四月バカ』で、「英国では春の祭りの一種で、……一般的な習慣となったのは、18世紀から」としている(昭和51年4月10日号)。

 本家であるフランスでは、「シャルル九世が新暦を採用してから始まった。Poisson d´avril(四月の魚)という。つまりカモのことである。これからもわかる通り、四月馬鹿とは、もともとは、人をだますことではなく、だまされる人のことである。このpoisson(魚)はpassion(受難)のなまりで、キリストが生前、ユダヤ人に愚弄され、さんざんムダ足をふまされたことを忘れぬための行事だという説もある。ちなみに、キリストの命日は、この季節である」(同上『週刊読売』)

 「エープリルフールの起源はフランスの慣習が正解」とする『はじまりコレクション@』では、起源は1564年とし、「イギリスに伝わるのは200年後、アメリカに伝わるのはそのまた後」だという。

 話はキリストまでさかのぼるようだが、古い時代に溯る異説も根強くある。
「インドの揶揄節。インドの仏教徒は3月の末に1週間、菩薩の行という苦行をする。この期間は座禅三昧でいいが、終わってしまうと凡人に戻ってしまう。これを諷して戒めとしたのが揶揄節で、これはヨーロッパに伝わった(『週刊読売』)。
同じ説を掲げているのは、小学館『日本大百科全書B』(昭和60年)である。

 万愚節については、「11月1日の『万聖節』(諸聖人の祝日All saints´ Day)に対しての称で、キリストがユダヤ人に愚弄されたことを忘れないために設けた日とも、またキリストの命日ともいわれる」と、上記『日本大百科全書B』は解説する。

 「11月1日の万聖節に対して万愚節と呼ぶ。韓国でもマヌジョル(万愚節)というそうだ。中国語では愚人節というらしい」と、「天声人語」氏(平成元年4月1日)はいう。

4、各国の風習―ムダな使い走り―

 「フランスでは、この日にかつがれた者をポアッソン・ダヴリル(エイプリル・フィッシュ)というそうだ。"四月魚"とでもいうか、まんまと冗談につられた魚というわけ」だろうといい、「スコットランドでは四月バカでかつぐことを"郭公狩り"といい、かつがれた者をエイプリル・ゴーク(四月郭公鳥)」というと、「天声人語」氏は続けている(昭和32年4月1日)。

 「今日英国では子供たちをからかう遊戯としてのみわずかに残存していて、当日子供はドライ・ウオーター(ドライアイスではない)とかハトの乳とかいう物を乾物屋へ買いにやられ、『うちでは品切れですが、この先の何々屋さんではきっと持ち合わせておりますよ』という真面目顔の返事をきき、そして次にはどんな返事をされるかを楽しみに他の店へも行ってみるのだそうだ」とは、先の『四月バカ』で紹介されている。

 「よく買物にやらされる品物は、ハトの乳や縞模様のペンキ、『イブの母親の生涯』と題する書物、ひじの潤滑油、雌鳥の歯、長い台座などがある」とするのは大修館書店『イギリス歳時暦』(平成7年)である。

 April fish(四月魚)というのは、万愚節に、使いを出していってやる用向き、うそ、いたずらのことで、なぜfishなのか二説あって、ア)四月には太陽が双魚宮の区域を離れるため、イ)四月の魚は若いから捕らえられやすいため」とか(開拓社『英米風物資料事典』昭和54年)。

 また、スコットランドではHunting the gowk(ムダの使い走りをする)の日として知られ、April gowkともいう。Gowkはcockoo(カッコウ)で、おバカさんのことでもある」(『週刊読売』)。

 「四月バカ フランス語では『プアソンダブリル』(四月の魚)という。サバの一種で、この季節にやたらに捕まる魚にちなみ、友人たちをかついで楽しむ慣習にむすびついたらしい」(前出『暮しの手帖』)。

 「西洋で春分から新年が始まっていたころ、新年の祭りの最後の日である4月1日に贈り物をし合う習わしがあったが、1564年にフランスのシャルル九世が新暦を採用し、1月1日が新年になった。それで旧暦を懐かしむ者たちが、4月になると多量に捕獲されて食用に供されてしまうサバを馬鹿な魚としてそれになぞらえ、ポアソン・ダヴリルpoisson d´avril(四月の魚の意)と呼んで、4月1日にふざけて新年の祝いをし、でたらめな贈り物をしたことからという説もあり、イギリスに劇作家コングリーブが、『老いたる独身者』という風俗喜劇で四月馬鹿を扱ってから広く行われるようになったともいわれる」(『日本大百科全書B』)。

 「イギリスでは4月1日を祭る風習は古くから行われていたが、それが万愚節になったのは17世紀の初めで、フランスから伝わったといわれる」とするのは、平凡社『大百科事典A』(昭和59年)である。

 さらに同書には「フランスでは4月の魚という意味で、サバ(マクロー)をさしている」と紹介する中で、「マクローには誘拐者との意味もあり、4月は人をだます誘拐者が多い月であるから、その名が生まれたともいわれる」とある。

 そういえば、日本でも"木の芽どき"といって、この季節にはきまって、誘拐者ならぬ、ちょっとおかしな言動をする人が出てくるが、どの国でも、きっと陽気のせいに違いない。

5、日本への伝来はいつか

 「このいたずらは、日本へは英国から移されたのであろうが、英国でこの風習が始まったのは18世紀だそうだから大して古いことではない」(毎日『四月バカ』)。

 児童向けを見ると、「わが国には、大正ごろに輸入され、わかい人のあいだでたのしまれている」と、小峰書店『日々の研究事典』(昭和39年)にあり、同じ社の『学習に役立つ ものしり事典365日 4月』(平成2年)では、「明治の半ばごろ(伝わり)、一般化したのは昭和になってから」とある。

 「(日本にも)大正時代に伝わって、市民生活の中に定着した」とするのは、『ブリタニカ国際大百科事典B』であり、「日本にこのならわしがつたわったのは、ヨーロッパからで、第一次大戦のころから」とするのは、『もののはじまり物語』である。

 「日本への伝来は戦後の風習という感じが強いが、大正ごろ輸入され「万愚説」といわれた。もっと古いという説」もあれば(『週刊読売』)、「日本では、戦後になって騒がれるようになった」(『暮しの手帖』)というのもある。

 「中国では、『衆愚節』あるいは『万愚節』といい、これが江戸時代に日本に伝わって、当時は『不義理の日』とよばれた。エープリルフールということばは大正時代に伝えられ、ユーモアのある軽いうそで人を担いで楽しむ習慣として広まったが、現在はごく一部にみられるのすぎない」と断じるのは、『日本大百科全書B』である。

 朝日「天声人語」氏は、「日本では江戸時代に伝わり当時は『不義理の日』と呼ばれた、とものの本にはある」といったり(平成元年4月1日)、「中国から日本に伝わった江戸時代の呼び名が面白い。『不義理の日』といった」りしている(平成3年4月1日)。それぐらい、いい加減だということなのか。

6、だれが最初にこの言葉を使ったか

 これについては記述が三つ見つかったが、いずれも同じである。先の毎日新聞の記事(「年老いた一人者」)と類似の、「1687年、コングリーブの「年老いたひとり者」という脚本にはじめてAPRIL FOOLという言葉が出てくる」(『週刊読売』)と、「老いたる独身者」(『日本大百科全書B』)である。
異説がないというより、訳がわずかに違うだけで、もとは一つということかもしれない。どんな芝居だったのか、一度観てみたいものである。

7、この日にまつわるナゾかけ、教会のお話

 All Fools´Day(万愚節)に関するナゾかけを紹介しよう。
 「4月1日に始まって、3月31日に終わるものナーニ?」
答えは「万愚節」つまり、1年中が万愚節であるという皮肉だそうな。

 もう一つ、「あなたの誕生日は?」
 「4月2日」と答えると、「1日遅れね」と、これまた皮肉に聞こえる話が、開拓社『英語なぞ遊び辞典』(昭和58年)にある。

 「四月バカのいっそう古い起源をセンサクする人には、聖マタイ伝28章22節を見よと答えることになっているという。ところでマタイ伝を開いて見ると、28章は20節で終わっていて、22節なんてものは存在しない」のだそうで(毎日『四月バカ』)、同様の紹介は昭和47年4月3日の「天声人語」にもある。

 少し脱線すると、教会を舞台の小話として、『世界の小話』(潮文社・昭和45年)にある「罠」では「聖マタイ伝の第79章」が架空の章であり、さらに『世界ウソ読本』(文藝春秋1996)の「はじめに」で紹介されたのは次のようなものだった。

 日曜日の礼拝を終えた牧師が、来週は嘘についての説教をしたいので、『詩篇』のなかの聖詩155を読んできてほしいと会衆に告げた。/次の日曜日、牧師は説教に先立って、聖詩155を読んできた人は手を挙げてもらいたいと言う。会衆は全員、手を挙げた。/「あなたがたは、まさに私が話しかけたい人ですね」と牧師は言った。「聖詩155なんて存在しないんですよ」

8、この日ゆえの"悲喜劇"

 「1814年4月1日、ナポレオンは、ウオータールーの戦いで大敗した。この原因は四月バカの習慣だったとされている。この日、ナポレオンのところに、前線の将兵から秘密文書が届いたが、ナポレオンは、四月バカだろうとくず箱に捨て女とイチャついて遅れをとった」(『週刊読売』)という。

 ナポレオンに関するエピソードはもう一つある。「二度目の妻オーストリアのマリア・ルイザと結婚したのが、1801年4月1日だったため、フランスでは『四月の魚』のあだ名でよばれた」(『はじまりコレクション@』)という。

 「欧米諸国では、4月1日にこのような風習が行われてきたので、この日をうそと瞞着の日とみなす者が多く、したがって結婚式や重要な計画や新規事業の着手などはこの日に行われない」と解説するのは『英米故事伝説辞典』である。

 日本ではどうか。
「堀部安兵衛の仇討ち 元禄9年、安兵衛のところに叔父の菅野六郎左衛門から、高田馬場で果たし合いをするとの手紙がきた。しかし、安兵衛は、自分の深酒をいさめた手紙だろうと早合点し、すぐ読まなかったため、高田馬場に遅れる。
『元禄快挙録外伝』という本には、「安兵衛ほどのものが義理ある叔父の手紙を読みもしないで、投げ出しておくわけがなく、安兵衛、学あるものなれば、『四月バカ』の定まりたる手紙と思った」とあるが、「これはチョット怪しい」とは『週刊読売』の記述である。

 この日のもう一つの意味として、「江戸時代には、4月1日はなぜか『不義理の日』とよばれ、ごぶさたしている人に手紙を書き、不義理をおわびすることになっ」ていたと、『学習に役立つ ものしり事典365日』にある。

 似たような風習について、「人をこけにする風習のほか、4月1日に手紙をやり取りする習慣もあった。手紙には、別に用件が書いてあるわけではなく、お互いに無事にやっていますよということを知らせるのが目的」(『週刊読売』)だという。

9、この日生まれの有名人・モノ列伝

 「四月一日といえば、歴史に残る鉄血宰相ビスマルクや偉大な作曲家ラフマニノフが生まれた日。1898年4月1日には、1気筒のエンジンを氷の塊りで冷やして走る最高速度16キロの代物が売買されて「アメリカの自動車取引第1号」になったという」(『暮しの手帖』)。

 車といえば、「1904年の今日、イギリスの電気技術者ヘンリー・ロイスが二気筒10馬力の自動車を完成、マンチェスターの街を走っ」た。これが、ロールスロイスの第1号だそうである。「設計は平凡だったが、静かさと美しい車体が評判になり、『動くパルテノン神殿』と呼ばれ、上流階級から愛された。19台作られた第1号車は、まだ3台残っている」と、『学習に役立つ ものしり事典365日』にはある。

 日本では、
 1839〈天保10〉年 三遊亭円朝 落語家。「牡丹燈籠」など怪談・人情ものを得意とした。1900年没。
 1968〈昭和43) 桑田真澄 プロ野球・読売ジャイアンツのピッチャー スピード、コントロールが抜群。

 このほか、作家の林真理子もこの日生まれだそうだが、興味のある方は有名人の誕生日を調べるのも、暇つぶしにいいかもしれませんネ。

10、いちばん古い日本の文献

 ところで、日本に「エープリルフール」が入って来たのは、かなり古く、『郵便報知新聞』(明治20年4月24日第3面)で、次のようにかなり詳しく解説されている。少し読みづらいが原文をそのまま掲載しよう。

  西洋風俗記 四月馬鹿の事
英彿抔にて「四月馬鹿」と云へる事あり(アップリール・フウル)
是は當四月の一日に限ることにて此日には若き者共種々の趣向を為して人を欺き誑し意の如く中たれるを見て喜ひ楽しむなり
例せはその人の豫ねて心待ちに待受けたる事あるを知り書状を贋せて之を其人に贈り其人は喜ひて取手遅しと開らき見れは全くの白紙にて其端に四月馬鹿と書きあるの類なり
又或は年寄りたる伯父伯母抔を罪もなき欺しの趣向を考へ一たひは心配せしめて意外なる喜ひを與ふる抔皆な四月馬鹿の名義を以て此日は之を罰するを得さる事なり
中には往々悪洒落を為すものも少なからねとも先つ何れも罪のなき欺し方にて果ては笑いとなる者多し
故に四月一日は豫ねてより馬鹿の日なりとて皆なみな用心して容易には何事も信せさるより却て又た笑しき事を反對に仕出すことも少からす 姪か大病との電信を受取りても亦た四月馬鹿なりとて取合はす 二度目三度目に至て始めて周章狼狽取る物も取り敢へす看病に出掛る抔の類少からす
彼地に在留せる日本人抔も郷に在れは郷に従ふの譬の如く四月一日には随分此手を食ひ又は互に欺き合ひ大笑を為すも少からす
嘗て某の地に在る日本人か其親愛する女子と共に出奔して行衛知れすとの報知を為せし者ありて二三の朋友は大騒きを為し其の手配り抔をも考ふる中に端無くも其の當人はヒョロヒョロと其戸口に来りたる事抔もありき
蓋し此の風俗は中世より舊しく歐洲大陸の諸國に行はれ次て英國抔にも入来りし者ならんと思はる
去乍ら此風俗も英国にては近年は以前に比すれは餘程減したる由 却て佛蘭西其他大陸一二の国々の方最も盛に行はるる様に思はる
故に當四月の「おどけ書新聞」抔には四月には必らす四月馬鹿の笑しき趣向を書くこと多きなり
但し右の馬鹿を行ふ日は唯た當月の第一日に限ることにて此日のみ用心すれは最早大丈夫なる譯なり
智慧工夫のみにて何事をも行う如き振合の彼の国々にも亦た斯る奇俗あるは甚た意外に思はれたり……

11、"次号予告"もあった!

 もう一つ、時代は少し下って明治41年4月5日発行の『風俗画報』(第383号)にも「オール・フールス・デー」の紹介記事がある。
 月2回発行のこの雑誌は、国内外のさまざまな風俗や風習を克明に伝えているが、前号から始まった「外国風俗 欧米奇俗」で、「閏年會」と「セント、ヴァレンタイン」と1月、2月の行事を紹介し、「また4月1日は、オール、フールス、デーといって、随分ヒドい悪戯をして騒ぐ日」と、次号を予告するぐらい、筆者もかなり面白がっている。

 その「オール、フールス、デー」について、「西洋人は体躯は大きいが、なかなか小児じみて、日常の生活にも随分滑稽な事をしたり、無邪気な悪戯をしたりして喜ぶ風がある」との書き出しで、フランス、英国スコットランドの風習が紹介されている。そして、ラブレターのいたずらとか、外見は甘いチョコレートに見えるが、食べると綿が出たりカラシが入っていたりとか、はたまた、お客を招待したのに誰も来なかったなどのほか、ビールの代りに、酢の中に炭酸ガスを入れたものを飲まされたと、筆者の失敗談も伝えている。


 すでに明治時代にかなり正確に伝わっていたことが分かる。文明開化とは、このように西洋の文物をいち早く取り入れ、自分のものとしていったという証しでもあろうか。
 いずれにしても、「エープリルフール」の起源や各国の風習、日本に入って来た時期・事情などに関する説は実にさまざまだが、内外の識者が英知をしぼって、探求・探索したものばかりであろう。
諸説ふんぷん、どれが本当やら、皆目分からないなんて、これこそエープリルフール(=いたずら)にふさわしいエピソードではないか。

 次章からは、明治から現代まで、4月1日の動きを中心に、また新聞等に掲載されたエープリルフールのいたずら、話題やこじつけ話などを紹介しながら、近代日本と世界の歴史をたどることにしよう。

 一つだけ予告すると、ユリウス暦からグレゴリオ暦に変わった時に、混乱した民衆が旧暦のしきたりを続けたなどの経緯があるように、日本でも突然、暦の変更がなされ、明治5年12月3日が明治6年1月1日になったが、この時の混乱は一揆も起こるほどだったという。
 時の権力者の強引さは、洋の東西を問わないようだ。

<ちなみに、インターネットで検索したところ、「エープリルフール」は約3万1600件のヒット、「4月1日」は何と461万件である>

《乞うご期待! 2003・4・1 橋本健午》


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