『バーコードへの挑戦―浅野恭右とその時代―』

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日本経済評論社1998・10

《だれでも、人生にはさまざまな出会いがあると思います。幼き遊び友だち、学生時代の友人、長じて仕事を通じての出会いなど、 いずれも"偶然"ではないでしょうか。しかし、その人物を1冊の本にするということは滅多にない"必然"といえます。 その1冊がこれにあたります。そこで、目次など概要と執筆の意図(「はじめに」および「エピローグ 生活はどう変化したか?  日本人はどこへ行く」)を再録する次第です。図書館ででも手に取られて、お読みいただければ幸いです。 なお、本書は日本経済評論社のシリーズ20世紀の群像(1)『梶山季之』1997・7についで、その(3)として刊行されたものです。2006・6・20橋本健午》

はじめに

 われわれの生活の隅々まで浸透しているバーコード。日本で普及しはじめてから、まだ十数年しか経っていないが、 空気や水のように当たり前のものとなっている。なぜ急速に普及したのであろうか。

 戦後復興から十数年も経つと、わが国の経済は高度成長の時代に入る。  1960年代以降の経済社会状況とその対応を概観すると……。生産だけでなく、流通の改善が必要との観点から、 流通のシステム化に取り組んだ通産省はじめ多くの民間人の努力、関係業界の協力など、バーコードの普及にはいくつもの要素が絡んでいたことがわかる。  だが、事はそう簡単に運んだわけではない。バーコードは日本には不向きだ、メリットがないと冷ややかに見られ、当初は、 暗礁に乗り上げるなど、苦難の道のりをたどる。  しかし、いったん導入と決まれば、日本人は右へならえの国民性を発揮する。ハード面、ソフト面それぞれ競い合って開発や改良を重ね、 人、時の運などがあいまって、今日の隆盛を迎えたといえる。

 1996(平成8)年5月17日、その集会場には白黒の幕が張り巡らされ、大勢の見守るなか、ある人物の告別式が行われた。 どこでも見られる幔幕だが、なぜか巨大なバーコードのように見えたのは私だけであろうか。 葬儀の主人公は財団法人流通システム開発センターの常務理事・浅野恭右、58歳。 "バーコード普及の父"とか"バーコードの歴史を作った人"と称せられた浅野は、ヨーロッパから帰国して、 翌日訪れた山梨県内で帰らぬ人となった。

 流通システム開発センターは、日本におけるバーコードの管理運営に当たる組織・流通コードセンター(DCC)の母体であり、 昨97年4月に設立25周年を迎えたばかりである。  国家的規模の事業は、もちろん一人の力でできるものではない。しかし、この"旗振り男"ともいうべき浅野がいなければ、 バーコードの普及、今日の隆盛はどうなっていたであろうか。

 本書は、浅野をはじめバーコードの開発と普及に関わった人々の苦労や貢献ぶりを浮き彫りにするとともに、 その間の時代の流れ(効率化による社会や個人生活の変化)をたどり、今後の日本および日本人の将来について考察を試みるものである。

〈目次〉
第一章 "二十世紀最大級の発明"バーコード
 1 バーコード出現の小史
 2 "POSシステム"とバーコード
 3 一商品に一つのコード、同じモノはない!
 4 だれが考えた? 優れているワケ
 5 あらゆる分野で利用されている
第二章 旗振り役はどんな人?
 1 転職をくり返す男
 2 一九六〇年代の日本
 3 通産省の"自己評価"と施策
 4 流通システム開発センターの誕生
 5 タイミングが悪かった「センター」の設立時期
第三章 流通コードセンター(DCC)の設置――まだ続く産みの苦しみ
 1 船出したものの、早くも難問が
 2 西新橋(サンツー森ビル)時代
 3 コーダバーかUPCシンボルか
 4 JIS化され、勢いづく七八年だが
第四章 満を持していた? セブン・イレブン=ジャパン
 1 店頭実験と説明会をくり返す
 2 「だれも会ってくれない、肩書が欲しい!」
 3 "コードなし"商品は扱わない!
 4 どこもかしこもPOSだらけ
第五章 それでもこだわる各業界
 1 商慣習にこだわる大手・老舗――家電業界に見る
 2 完成された? 複雑な出版流通
 3 カー、カード、カラオケに気配りと
 4 拡大する事業、安定期に入った「センター」
第六章 世界を飛び回る――国際関係
 1 発言力を増す日本――八八年、東京でEAN総会
 2 留守部隊は大忙し
 3 アジアでも活発に/EANの世界戦略
 4 本好き、歴史好き
 5 世界各国を訪問できる幸せ
第七章 モルトケか、ナポレオンか――浅野の死
 1 いつまでも意欲を失わず
 2 世界にはしる衝撃!
 3 "参謀"に徹した男

エピローグ 生活はどう変化したか? 日本人はどこへ行く

ますます多方面で利用されるバーコード

 最近、バーコードの利用はさらに多方面にわたっている。97年11月に開設した、東京.立川市のCATV「マイテレビ」では、 パソコンなしで手軽にインターネットが楽しめるという。面倒なアドレスもバーコードで入力できるなど、 市民に広く利用されるための全国初のシステムである。
 98年2月2日から実施された郵便番号の7桁化にも、バーコードが大々的に利用されている。 つまり、新郵便番号と漢字表記の住居表示、アパート名まで読み取り、透明な蛍光インキで住所全体を表わすバーコードを印字するというもの。
 長野オリンピックでは、競技会場での選手や役員のIDカードに記載されたバーコードを読み取り、 不審者が入り込まないようにチェックを行っていた。
 同じく2月末・山口県須佐町に夜間や休館日にも利用でき、カード一枚で本の貸し出しができる、 24時間利用の町立図書館「まなぼう館」が開館したと報じられた。利用者は自分のIDカードで入館し、 借りたい本はその本にマークされたバーコードを読み取らせる。
 7月なかば、山梨県大泉村に開館した「金田一春彦ことばの資料館」は同氏の寄贈本約2万点を収蔵するが、 やはりバーコードで自動貸し借りができるという。このようにバーコードが有効利用され、本好きが増えれば喜ばしい限りである。
 これまでのバーコードを"第一世代"とすれば、二次元バーコード、音声入力によるものなど、 バーコードは第二、第三世代とますます進化している。

停電がなく、有難さを忘れる

 ところで、なぜ、バーコードが登場し、普及したのであろうか。いうまでもなく"はじめにコンピュータありき"である。 では、なぜコンピュータは発達したのか? 何人かに質問すると、演算処理能力や記憶装置が優れているからだといい、 また小型化、安価になったからともいう。そのとおりであろうが、ひょっとすると、それは"停電がない"からではないか。
 筆者には以前、こんな経験があった。なぜ、アメリカのエンパイヤ・ステート・ビルができたのか?  と聞かれて答えあぐんでいると、問うた人は、ミスター・オーチスがエレベーターを発明したからだと、ニヤリと笑った。 とぼけた話に思えるが、真相は意外にそんなところにあるのかもしれない(注:オーチスは1857年、世界初の人間を運ぶためのエレベーターを発明。 1903年に現在の方式に。摩天楼と呼ばれる同ビルは1931年に完成。101階建て、381メートル。以上『世界発明物語』)。

 本書で見てきたようなシステム化、効率化の必要な分野は多々あり、その恩恵に与るのは企業ばかりか、 個人の生活にも及んでいる。それも、停電がないからであろう。
 しかし、スイッチ一つで快適な生活が送れる代わりに、われわれは大事なものを失いつつあるのではないか。 いまや日本人は機械化された、安易な生活に、無意識に溶け込んでしまい、人間本来の"自分で考える"ということを忘れてしまってはいないか。 機械とて万全ではない。いつストップするかわからない代物である。
 今からでも遅くはない。停電したときにどうすればよいかわからず、慌てふためいたり、"キレ"たりしないように、 訓練をしなければ……。不便を知り、工夫をするなど頭を使うことによって、人は人間らしく、生きてゆくのではないだろうか。
 かの発明王、エジソンはいう。「機械と人間はお互いに補完し合うものだが、主役はあくまで人間でなければならない」。

便利な世の中、人は幸せになれるか

 また、コンピュータの0か1かという概念は、「イエスかノー」の選択肢が二つしかない世界であり、 マニュアル人間には受けいれられやすい、単純明快な論理ともいえる。いや、多分にあいまいさを好む、 情緒的だったはずの日本人だが、近ごろはイエスかノーのどちらかでしか、判断できない人間が多くなっている。
 コンビニに行けば、たいていのものは手に入る。何が"売れ筋"かによって、品ぞろいされているから当たり前である。 "いつでも気が向いたときに"を、さも自分の主体的な選択と勘違いしてはいないか。24時間営業(テレビ放送も含めて)を安易に享受することは、 生活のリズムを狂わせることであり、あまり健全とはいいかねる。
 "いつでもどこでも"携帯電話が、時間や場所、公私の別など、日本人からケジメを失わせたように、 "便利"にともなう代償の大きいことを、もう一度よく考えてみる必要がある。

 POSシステム導入に関わった人たちも、効率化と引き換えに人間性を失ってはならないと、次のようにいう。
 「システム化され便利になった結果、人間がダメになっている。考えることをしなくなった。 POSシステムは過去情報でしかない。常に仮説を立て検証をくり返すなど自分の意志でやるから、商売が成り立つのではないか。 POSシステム、バーコードがすべてというのは危険である」。

浅野の予言どおりの日本

 この春、大蔵省や日銀を頂点とする金融破綻のニュースが連日流れ、"護送船団方式"という言葉がよく聞かれた。 これこそ日本的な、みんなで渡ればコワクナイの心理であろう。官も民も総じて"ことなかれ主義""右へならえ"の主体性なき国民であるところは相変わらずである。

 ところで、浅野は89年に、次のような"予言"を残している。
 「いよいよこの十年間は、情報システム化の効果が顕著になってくるであろう。効果がでることは、 旧来の体制や体質を変えることである。古い体質や仕組みなどを内包している企業、団体、人・地域、国、制度などが次々に破壊されてゆくであろう。 大企業、総合大学、官庁、政党などの多くはその存立基盤がゆらぎ、音を立てて崩れ、新しい仕組みや体制が打ち立てられるのが、 一九九〇年代の十年問であると断言できる」(「一九九〇年代の情報化」『流通情報戦略読本』所収)。

 たしかにどの分野においても、十年も経たないうちに、"日本神話"が崩れていることは紛れもない事実である。 他人の手相を見て冗談は言えても、自分の死期を予測できなかった浅野だが、"予言者"の面目躍如たるものがある。

〈参考文献〉 『バーコードのわかる本』流通システム開発センター協力、朝日ソノラマ編・発行1988
『これからのバーコードシステム』浅野恭右・深田陸雄共著 工業調査会1992
『バーコードの秘密』小塚洋司著 裳華房1996
『流通情報戦略読本』浅野恭右著 日本工業出版1989
『財団法人流通システム開発センター25年史』財団法人流通システム開発センター編1997
『概説流通情報システム化』1997年版、流通システム開発センター
『流通とシステム』〈季刊〉流通システム開発センター
『コードセンターニュース』流通システム開発センター
『月刊バーコード』日本工業出版
『月刊流通ネットワーキング』日工・テクノリサーチ
『チェーンストア・エイジ』〈月二回刊〉ダイヤモンド・フリードマン社
『通商産業政策史(1)(8)(10)(11)(13)』通商産業省通商産業政策史編纂委員会編1994・6〜
『通商産業省三〇年誌』通商産業省編1979
『二一世紀に向けた流通ビジョン−我が国流通の現状と課題』通商産業省通業政策局・中小企業庁編 通商産業調査会1995
『セブン−イレブンの経営史――日米企業・経営力の逆転』川辺信雄著 有斐閣1994
『鈴木敏文 逆説の経営』信原尚武著 文藝春秋1995
『ダイエー・グループ』林薫著 日本実業出版社1996
『現代の流通戦略』宮下正房著 中央経済社1996
『流通現代史』日経流通新聞編 日本経済新聞社1993
『フランチャイズ用語がわかる事典』羽田治光著 日本実業出版社1997
「コンピュータ界概略史」寺沢泰史著 学習研究社『合格情報処理』1991・3別冊付録
『コードが変える出版流通』松平直壽著 日本エディタースクール出版部1995
『ドイツ参謀本部』渡部昇一著 中央公論社(文庫)1986
『世界発明物語』日本リーダーズダイジェスト社1984
『現代用語の基礎知識」自由国民社1996年版
『国民法律百科大事典(4)』編集代表 伊藤正己 ぎょうせい1995
『日本の小出版』渡辺美知子聞き書き 柘植書房1993
『講演集「甲南生に語る」第二集』鹿児島県立甲南高等学校編1992
朝日新聞/毎日新聞/東京新聞/日経流通新聞/日刊工業新聞/流通サービス新聞/朝日小学生新聞
『明治・大正・昭和世相史』著者代表 加藤秀俊一 社会思想社1977
『昭和史年表』神田文人編 小学館1986
『昭和かわら版』上野昂志監修 実務教育出版1986
『昭和世相史』原田勝正編 小学館1989
『戦後五〇年』毎日ムック 毎日新聞社1995


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