”書くこと”−「ハシにも棒にも」

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「ハシにも棒にも」

橋本健午(評論家)

 今の子供たちは、ご飯のときお箸をちゃんと持てない。そう思っていたが、よく観ると若い親たち、 中年すぎの男女も、意外にぎこちない持ち方をしているではないか。
 外国人が来日早々、器用に箸を使ってスキヤキ、てんぷらを食べるからといって、感心している場合ではない。 彼らはナイフやフォークの生活が長いのに、見よう見まねで上手にあやつる……。

 一方、「箸にも棒にもかからぬ」「箸に目鼻をつけても男は男」「箸の転んだもおかしい」などの諺もあるぐらい、 われわれ日本人の生活に欠かせないものを、どうして普通に持てなくなったのだろうか。
 日本人は伝統を重んずる、いや誇るに足る伝統を持っている国だと思っていたが、それも怪しくなってきた。 昔の人は大豆をつまみながら練習したというが、正しい持ち方は、合理的で優美であったからこそ、"伝統"となったのだろう。

 どんな持ち方をしても、食うのはオレの勝手だというかもしれないが、ただ空腹を満たすだけが食事ではない。 食事をするというのは一つの精神作業である。コミックやスポーツ新聞を片手に、テレビを見ながらでは、 指の先まで神経が行き届くわけがない。第一、人生の美学もあったものではない。
 可愛い顔をしたあるテレビタレントは本番で、キュウリをとばしてしまった。 お箸をちゃんと持てずに恥ずかしかったと告白していたが、それに気づくだけまだましである。

 今の学校では、先割れスプーンばやり、鉛筆の持ち方も自由、左利きを注意するだけだそうだ。 家庭でも親自身がすでに正しく持てない。早ければ矯正できるのに、子供は不幸である。
 指先は第二の頭脳といわれるぐらい、微妙な動きや知覚を発揮する。日本人は手先が器用だといわれたのは、 小さなころから箸や鉛筆を正しく持っていたからであろう。

 人間の器官は、使えば使うほど発達するものである。しかし、現代の風潮はそれに逆行してはいまいか。
 機械文明の進歩とその恩恵はすばらしいが、個々の人間が本来の器官を十分に活用しなければ、 今に五本の指も尾てい骨のように不要のものになってしまうだろう。

(日本経済評論社『評論』48、1983年7月号「随想」)


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