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日本語表現から見た「国旗国歌法」についての私見

 新聞報道などによると、学校行事、とくに入学式と卒業式に、いわゆる「日の丸」を掲揚し 「君が代」を斉唱させ、児童・生徒に愛国心を植えつけよということで、 これまで以上に法的根拠をもって"強制"しようというのが"真相"であろう。
 それはともかく、賛成派も反対派も、相手を説得する"論拠""ことば"が貧弱である。 また"反対のための反対"ばかりで、"代案"を提示できないのはなぜだろうか。

 まず法律を見ると、わずか2条である。それに付則が3つあり、別記は2項である。

                 (国旗)
                 第一条  国旗は、日章旗とする。
                           日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
                 (国歌)
                 第二条  国歌は、君が代とする。
                           君が代の歌詞および楽曲は、別記第二のとおりとする。

 ここまでの記述を、日本語表現として検討してみよう。
 まず、"旗"として「国旗」「日の丸」「日章旗」の3種類があり、 "歌"として「国歌」「君が代」の2つがある。条文では「国旗」「国歌」といい、 付則で「日章旗」「君が代」というのは巧妙であるが、考えようによっては法律(条文)を変えなくても、 付則を変えることができる、すなわち「日章旗」「君が代」でなくてもよいわけである。 いずれにしても"言い換え"は日本人の得意なところである。

 次に(法制化を進める側の)国旗も国歌も、広く国民に定着しているという論拠がある。 しかし「君が代」の解釈について、「君」も「代」もその時によって、さまざまな"解釈"を行ない、 また多くの国民は、その歌詞の意味を知らないという。 この2点からみても「君が代」が定着しているとは到底いえない。

 ところで、"国旗掲揚・国歌斉唱"という言葉はなぜか定着している。
 「掲揚」は"高く掲げること"であり、多くの場合、屋外の掲揚ポールに掲げたり、建物の上に掲げたり、 (アメリカ大統領の演説その他で見るように)そばに立てかけてある。 講堂や体育館の壁に画鋲などで張り付けるばかりではないだろう。 なお、「斉唱」は"一斉に歌う""みんなで歌う"ことであるから、これは議論の余地がない。
 さて、賛成派は、21世紀を迎えるにあたり、国旗国歌のないのは国際社会で恥ずかしいというが、 現状では大半の日本人が国旗国歌、つまり「日の丸」「君が代」を容認しているといえる。 反対派の論拠は、戦争を思い出すから(いけない)などという。

 賛成・反対派とも、日本人である。なぜ、意見が一致しないのか。 それは、同じ顔をして同じ言語を話す国民だからである。 どこで違いを出すかといえば、お互いに反論するしか存在理由がないと考え、妥協できないのではなく、 妥協するのは面子に関わると思っているからである。
 これは国旗国歌論争というより、"日本および日本人"の問題である。

(1999・7・22)橋本健午


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