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「ミニ自分史」(121)父親の気持ち―われと彼と その1  2010・06・27 橋本健午

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 たまに、父の日(6月第3日曜日)とわが誕生日が重なる。 今年の場合は何回目だったか(04年:懲りずにコラム「今世紀最初の大発見!?」参照)。
 その少し前、何気なく、そんなことを口にしていたが、思いがけなく娘と息子から“お祝い”を頂戴した。ワインとウイスキーセットに日本酒2本である。
 私は毎晩飽きずに、何がしかのアルコールを嗜んでいるが、とくにある銘柄や種類に凝るほどのマニアではない。 単なる“アルコール依存症”かどうかも知らないが、中学生のころラジオで聞いた落語家の話に「暑さを避け、寒さを避けて飲むから酒というんだ」とあり、 いたく納得したことを思い出す。また「酒なくて、何で己が桜かな」とうそぶいたり、という状況が延々と続いているとはいえる。
 それはともかく、彼らが選んだのはアメリカ産のワイン「WILD HORSE」、つまり私の干支にちなんだもの。 ウイスキーは小ぶりだが“2010ウイスキー ディスティラー オブ ザ イヤー(世界部門)受賞”というサントリーの「白州」と「山崎」。 そして日本酒は「はやぶさ 迎え酒」(酔いくらべ)という“小惑星探査機 はやぶさ 帰還記念”というトレンディなものであった。 いずれにしても、“守旧派”の私自身は見つけられない・選ばないものであった。
 “迎え酒”といえば、二日酔いに効くなどといわれたりしたが、「はやぶさ…」は純粋に「お帰りなさい」の意味だという。 ちょっと朦朧とした頭には、理解しにくい?!
 そういえば、最近あるお宅でブランデー「カミュ」のちょっと高級なものを軽く一杯だけ試飲した。

 子どもにとって親とは、どんな存在なのか。 あるいは、孫もいるときの父母(ジジババ)はどんな地位を占めているのかよく知らないが、いま日本の家族構成は1人だけ(当初から、または結果的に)、 二人だけ(前項に同じ)から、数人もいる家庭が必ずしも3世帯同居とは限らない。 少子化ばかりのせいではないだろう。さまざまな生き方があるということだ。
 わが家の二人が、今後どのような人生行路をたどるのか、よく分からない。 先日、大学院生の息子と久しぶりに酒を飲みながら話をしたが、もっぱら双方の考え方を述べあっただけで、格別の“意見”などはしていない。 それは、若きころの私がいちばん嫌っていたことである。

 ところで、近ごろ、私はあめ玉を口にすることが多くなった。 昔、タバコを吸うのは母親の乳首が恋しいからと、大学生時代に文化人類学者から聞いたが、私とあめ玉の関係はタバコの代わりなのかしらん?!  それはともかく、酸いも甘いもという境地に到ったというわけでもないようだ。

 酒といえば、その昔、成人するまで飲まないと自らに誓ったものである。 「20才まで飲まないのは、現に未成年でも飲んでいる人が飲むことに意義を見出だしているのと全く同様に私は飲まないことに意義を見出だしている(1961年9月30日、酒について)」
 ところが現実には、その半年前1961年4月15日に「名古屋の兄来る。不真面目なことに、私はビールをコップ一杯のんだ」とあった。 ついで大学の寮に入って、新入生歓迎会が行なわれた5月、(あとわずかで二十歳になるのに)つい嬉しくなって飲んでしまった。 「(1962)5・12新入寮生歓迎会で初めて酒を飲む。新入生を代表?して『ダーク・アイ』『麦畑』を歌う」と日記にある。
 記憶は実に曖昧なものだと、しらふ頭で反省することしきり。
 ともあれ、毎晩、適量のお酒を飲めるということは、ご飯がおいしいのとあいまって、健康である証拠、ありがたいことだと感謝する次第である。
 ちなみに、「タバコを吸わない決心をする(税金をケムリにするのがいやだから…)と記したのは中学3年のとき、1958年1月13日の日記である。 その後、大学の寮で、ふかすまねをしたぐらいで、ずっと口にしていない。持ち歩くのが面倒くさいのと、「一本貸してくれ」というやり取りは見ていてもイヤという“理由”からであった。


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