『心-こころ- 橋本健午のページ』「ミニ自分史」

「ミニ自分史」（2）「縁談」

　20代の後半、西荻窪のＴさん方二階アパートの一室に住んでいたころ、事情あって名古屋の母が、 2か月近く滞在していたことがあった。
　母の帰ったあと、私はＴ夫人から縁談を持ち込まれる……。はじめはバイオリンとピアノのどちらが好きかとナゾ？　をかけられ、ピアノですと答えた。やがて、最初の"候補者"はピアノを弾く人と聞いたが、写真はおろか見合いもせずに話は壊れた。理由は、作家の川端康成がガス管をくわえて自殺したからだった（1972･4･16）。
　当時、私は作家梶山季之の助手をしていたが、その人たちは「作家＝自殺する人」と短絡したのだろうか。 "物書き志望"ではあったが、私は作家そのものでもなかったのに！
　なお、そのころ梶山は健康診断で入院中、18年ぶりに喀血したので、その死は他人事でないとショックを受け、自ら主宰する月刊『噂』に「川端先生の自殺」の一文を発表している（72年6月号）。

　しばらくして、次に紹介されたのが、現在のカミさんで、お琴をやっていたと知るのは、結婚してからだった。
　それはともかく、大家さんが縁談ばかりか、上荻の新築アパートまで紹介してくださったのは、ひとえにＴ夫人が母を気に入ってくれたからだと思っていた。歌舞伎に連れて行ってもらったとか、着物までいただいたなどと、母から聞いていたからだ。
　いずれにしても、好かれることはよいことだ、いい母をもったものだと密かに誇りに思っていた。
　それから時は経ち、母はすでに亡く、結婚生活も30年を疾うに超えている。

　今年6月上旬、函館から大学時代の友人Ｍが上京してきた。その昔、私たちの結婚式のために、一週間も前から上京して"準備"をしてくれた、奇特なというか世話好きの男である。
　ビールを飲みながら、いつしか話が西荻窪のことになると、とつぜん彼は、「大家さんがなぜ、私に縁談を持ってきたか」を説明しだした。それは、てっきり"母のおかげだ"と思っていた私には意外な話だった。
　夏など、大家さんが二階の店子（われわれ独身の男たち）を尋ねると、「お前は、きまって『ちょっとお待ちください』といって、きちんと着替えて出てきた」と大家さんから聞いたというのだ。扇風機は持っていたが、クーラーなど高嶺の花で、部屋にいるときは、窓は開けっ放し、ランニングシャツにパンツ一丁という時代だった。
　思えば、公私の区別といい、礼儀をわきまえるようにと、知らず知らずのうちに、明治生まれの両親から教えられていたにちがいない。Ｍ君から聞くまで、そんな経緯をまったく知らなかった私は、改めて親に感謝したしだいである。

　余談だが、当時、渋谷区に住んでいた梶山が、渋谷税務署から「一日税務署長」を依頼されたのは71年11月1日で、私は"仕事"としてついていった。その後、大家Ｔさんは同税務署の要職に就かれた。直接の接点はなかったが、73年2月3日の私たちの"人前"結婚式では両夫妻が"立会人"を引受けてくださった。偶然だが、税金を払う側と徴収する側の"組み合わせ"は珍しいのではないだろうか。

《写真は梶山美那江編『積乱雲梶山季之―その軌跡と周辺―』（季節社1998）より》

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