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「ミニ自分史」(37)「父 八五郎のエッセイ『空想・独語』」その1

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 父の遺品を整理していたところ、A4判15枚綴りの原稿用紙にペン書きものが出てきた。 題して「空想・独語」(昭和47年10月16日ほか)。また「随想・恣筆」(昭和49年2月8日)などという綴りもある。 いずれも公表を前提としたものではなさそうだが、父の考えやその時代を映すものとして、いくつか、ここに掲げておこうと思う。 明治22年生まれの父の、大阪・茨木時代、80代半ばのころである(昭和51年4月18日没、88歳)。

「漢字の日本読み」(1972年10月16日、4枚)
 漢字の、その本国での読み方と、日本での読み方の違うことは、今さらいうまでもないが、中国・台湾・朝鮮 (ここでは便宜上、三地域の呼び方を旧式とする)とでもそれぞれの差があるし、くわしくいえば、中国でも地方ごとにも大同小異があるらしいし、 北ベトナムあたりも、同じことがいえるのだろう。
 同じ文字を使用しながら、以上のやうな差があるのは、不便で、歯がゆい感じのすることは、物足りないことをそのままにしても、 日常生活上の利益としては大きな効果はないとしても、これを古い記録とか、文献の上で考えたら、学者・専門家には貴重な、 生きた文化財たることは言を待たないので、将来はこの文化財使用の範囲をいっそう拡大し、さらに出来れば日常生活上にも普及して、 いわゆる極東に位置する各国の、平和と繁栄に資するようにありたいと思うが、案外近いうちに、その時期の実現を見るに至るとも想像される。
 私がそういう空想をいだくのは、近年しばしば目につく、前に述べた三地域出身の優秀な人たちの、わが国の文壇またマスコミの世界に、 いちじるしい進出を見るに至ったことに基く。この人たちは専門家であることにより、またその作品が、かな交りの、 純粋の日本文たることにより、その庶民性と日常性において同日に論ずることは性急に過ぎることは言うまでもないが、 奈良・平安以後の日本人の漢詩文創作力を見、また未だ百年に達せざる期間における陳 舜臣・邱 永漢・金 達寿諸氏の作品を見れば、 あながち、架空の望みでもあるまいと思う。
 これらの諸氏が、日本に生まれ、小学校以来日本の学校教育を受けたという、いはば例外的な存在だといえもするが、 今日以後の往来や居住の便利、学習法の進歩や機会を考えに入れれば、日本語・日本文の能力を養うことは、 思い半ばに過ぎるものがあろうではないか。
 ところで、私はきょう金 達寿氏の一文を読み、その氏名に、氏の本国よみのキムダルスというのを知った。 それに興味を覚えて何か書こうとして少し考えているうちに、どうした加減か、前述のような随想が浮かんだので、 別に平素の宿論というのではない。

 そこで私の本論だが、これがまた本論らしくもない、簡単きわまるものである。
 金のキムは、誰でも知っているが、達のダルには少少緊張(?)を覚えた。「達磨」は梵語でdnarmaだと辞典にあるが、 達磨が梁(紀元五〇二―五五七)の国王武帝に招かれインドから入国した時、仏教信者の武帝が、達磨と問答したことが伝えられ、 禅宗史上の重大で有名な一こまを成しているが、その時梵語を漢字で現わすのに、「達」を当てて、ダルと読んだのであろう。 現在はこの字をそうは読まないであろう。
 もっとも僕の知識では明言することはできないが、中国での発音は地方により、また古今によって必ずしも不変ではないから問題はいよいよむずかしくなるが、 それが中国から朝鮮にダルと伝わり、それが今なおダルと読まれることに興味があり、それが、子供の頃から達磨の読み方が誠に無理で、 学問にもなんと押しつけがましく、勝手気ままな仕きたりがあるものだという疑問と不快が解禁になったのであった。
 金さんの名前のもう一つの「寿」である。この字をスと読むことにも疑問はあって、たとえば、いわゆる変体がなの原字かと思ったこともあって調べても見たが、 スには須・寸・数などがあるが、寿はみあたらぬようである。しかし疑問はいだきながら、その度合いは「達」ほどに深くなかったのは、 達磨さんにお目にかかることはめったに無いのに、寿司など度度口にするので、馴れっこになるものは印象に残ることが少ないという理由によるからであろう。 (昭和四七・一〇・一六)

「忘年會」
 この機會に、忘年會というものを少し考えてみる。忘年會の忘年は年を忘れるという意であるが、年の何を忘れるというのか。 それはこの一年間、一月から今十二月まで過ごして来た一年の間の、様ざまの苦労や不快、あるいは不幸とか不満足を早く忘れ、 きれいさっぱりした心持ちに成りたい、そのための集會、従って宴會という。それを簡単に、一年中の苦労を忘れるための行事となっている。
   人に家を買はせて我は年忘れ    芭蕉
   わかき人に交じりてうれし年忘れ  几菖

   一代男「年忘れ三十日はこれに御契約」

<執筆の時期不明、1枚>


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