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「ミニ自分史」(45)「もう一つあった失業保険、の前後」

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 (承前)ここまでで書いて、資料を仕舞おうとしたところ、その中にまぎれていた小さな袋から、 イケブクロ公共職業安定所による「雇用保険(特例)受給資格証」が出てきた。
 昭和52(1977)年後半の時期に発行されたもので、梶山季之の死後、私の手伝う後始末もほぼ済んだ50年秋、 創刊間近の「日刊現代」に入社し、編集から総務・経理を経て、1年7か月ほどで退職した後のことである。
 余談だが、前年秋に米寿を祝う会をすませていた父が、76年4月、長兄夫婦の家の離れで生涯を閉じた。 さらに、この77年2月、妻の父親も亡くなっている(享年64)。

 さて、資格証の記述を見ると、「520804」に"待機"が終わり、「52.8.16」「52.9.13」「52.10.11」の印とともに、 いずれも「相談適職なし」のゴム印が押されている。支給は2回で、合計18万円弱であった。
 また、「52.11.-1」の印が押された「失業認定申告書」には、「認定を受けようとする期間中に、 "職安"以外でも引き続いて就職先を探しましたか」との問いに、私は(ロ)「探さなかった」理由として、 鉛筆でうすく「友人と共同の仕事の日程が、具体的になって来たので」と記している。 つまり、辞めた理由の一つは、編集プロダクション(編プロ)を作ることになっていたためである。
 この話は、大手出版社に勤める年輩のA編集者から「(編プロを)やってくれないか」と言われたからだが、 別の有力者は事務所を貸してくれる、弁護士さんも"出世払い"と会社設立をやってくれ、さあこれからだという時、 つまり辞表を出した直後、横ヤリが入って、一頓挫してしまった。
 簡単に述べると、出版社の社員は作家仲間などを通じて、仲良くもするが、同時にライバルでもある。 この計画を知った、Aさんの兄弟子のような他社のBさんが、われわれ二人に断りもなく潰してしまったのだそうだ。 この世界は狭く、こんな状況では、若造二人が、どうあがいても仕事はまわってこない、ことは目に見えている。
 それから苦難の時期が始まる。私が"社長"のその会社は、事務所代は只だったが、仕事がないから、5か月ほどで店じまい。 事務所を貸してくれた人は、文筆業ではなかったが、大宅壮一門下を自称していた。梶山季之の助手であった私は、 大宅壮一の"孫弟子"と持ち上げられたり、たまに小遣い程度のものをもらったが、長居はできなかった。
 しかし、その事務所で出会ったのが、5年後の82年7月に発行された拙著『父は祖国を売ったか―もう一つの日韓関係―』の主人公大東国男さんである。 また、前後するが、かつての大物右翼、頭山満の孫である立国氏と出会ったのもその事務所の関係からであった。(こちらも参照)  この間、80年12月刊の『熱球のポジション―"日米大学野球"の青春譜―』には、 監修…石井連蔵、著者…上田偉史・橋本健午とあるが、アメリカ取材などは上田が担当し、原稿はほとんど私が書いた。 著者として私の名を先に書くのが順序であろうが、早大学野球部の"師弟"の間に割って入ることは憚られた。
 上田との出会いは、ある保険代理店で顔を会わせたことに始まる。ちなみに、私の「野球との関わりは、学生のころ、 少年野球のアンパイヤを"ほんの少しやった"……。子供のしつけや教育問題に関心をもち、本企画に参加」と紹介されている。
 もっとも、最初に本を出したのは、79年6月の少年向け『マルコ・ポーロの冒険』(上巻 大いなる旅立ち)。 37歳になったばかりのときで、ペンネーム「本橋 游」を初めて使い、"ご購読のおねがい"のハガキも作っていた。  余談だが、この本をすぐに大阪在住の長兄に送ったところ、元気な声で喜んでくれたが、やがて肝臓ガンで亡くなってしまう(享年60)。 嫂とともに私の育ての親だった。彼は、大阪万博のとき(1970)、日本庭園の責任者を勤め、また沖縄海洋博(1975)でも日本庭園を担当した。

 話はもどって、「本橋 游」は、その後、文章や漢字等に関する著述で活躍する、いわば"世を忍ぶ名"であった。 たとえば、83年6月に出された『200字あれば十分 らくらく文章ゼミナール ラブレターから小論文まで』は当初、 原稿を角川書店に頼まれたものだが、途中で編集方針が変わったとかで、お蔵入りしていたところを別の会社が出してくれたもの。
 このときすでに、私はサラリーマン生活に入っていたが、本は売れなくても、意外なところから"注文"が来ることを知った。 曰く、講演のお願い、類書の執筆など、83年から93年にかけ10件前後もあり、不勉強な私は"働きながら"ずい分勉強をさせてもらったものである。  (仕事「年別」


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