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「ミニ自分史」(85)「病歴(1)痛風・(2)高血圧」」 98/12/1橋本健午 2008・08・24追加

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 38歳(1980年)のとき、右脚?の付け根が痛くなり、日本医科大学附属病院(飯田橋・理学診療科、のちリュウマチ科)で診てもらったところ、痛風と診断された
 (1)ずっと診察・投薬を繰り返しているが、一度の発作もなく、軽快するにしたがって、薬も徐々に弱いものになり、 「ユリノーム50mg」と「重曹」(利尿剤)を合わせて、飲む回数も1日1回となっていた。
 また、(2)50歳ごろ、職場の集団検診で、血圧がやや高いといわれ、やはり同じ日医大の同じ科で薬をもらい(診察はない、 「ペルジピンLA40mg」)、1日1錠を飲んでいた。

 97年10月、日医大附属病院が移転するにともない、自宅近くの多摩川総合病院に"紹介状"を持って、 整形外科に(1)の診断を受けに行ったところ、血液検査の結果、尿酸等の数値が"基準内"のため、 薬を止めましょうとのことであった。一安心したものの、残っていた上記の薬(「ユリノーム50mg」と「重曹」)があったので、 時たま飲んでいた。
 ついでに(2)の薬を出してもらうように頼んだところ、それは循環器科でとのことで、改めて、同病院で診察を受けた。 ここは患者の症状に関係?なく、診察のたびに心電図を取る(レントゲンは年1回とか。血圧はときに150-90台、130-80台という状況であるが、 不整脈も、動悸などの自覚症状もないのを、医者は不思議な顔をしてみている。薬は、日医大時代と同じ「ペルジピンLA40mg」である(1日1錠、28日分)。

 ところで98年9月、しばらく血液検査をしていないので、それを受けた結果、循環器科の医者から、尿酸値が8・2(正常値3・5〜7・5)、 中性脂肪が179(正常値50〜150)だとし、「痛風だ」といわれた(98・10・8)。
 上述の次第(整形外科の診断)を話したり、日医大時代の薬(「ユリノーム50mg」と「重曹」)を持参して説明したが、 聞く耳もたず、別の薬を出すから処方どおりに飲むようにとのことだった(「ザイロリック」1日1錠×2回、28日分)。
 次にまた血液検査をやるとのことだが、「重曹」について、これは何かと質問されたので、利尿剤だと答えた。
 だんだん不安で気が重くなる"患者"(私)の診断によると、"医者"は病気の基礎的知識がなくても、 薬は出せるらしい?! このままでは、かえって病気にされるのではと思い、その後敬遠して、一度も行っていない。 その間、痛風の発作もなければ、薬の世話にもなっていない。

 ところで、やたら心電図をとっていたその病院は、いつの間にか患者が減り、老人福祉施設に転業していた。
 さらに、私自身、大学時代の友人の急死をきっかけに、何気なく近くの医院に行ったところ(05年11月)、 血圧がやや高いとのことで、降圧剤("血管を広げる薬")を処方され、今日に到っている。 そして、その"ジェネリック"にお目にかかったのは、08年4月のことである。


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