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「ミニ自分史」(92)「祝う会・送別会 忘年会その他(1995-96)」

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 私は40歳のとき、ある社団法人に入り、13年3か月で退職した。 辞めたのは頭か体のどちらかがおかしくなると思ったからだが、「気力がなくなった」という、だれにも迷惑にならないような理由を口にしていた。
 私を、常に目の上のたんこぶと思い込んでいた上司に、10月初旬辞めることを告げると「君はここでは務まらないからな」と、 納得したのか安堵したのか、そういった。
 また、辞めた後しばらくして、後輩は私に「(自分に二番目の肩書がついたのは)橋本さんのおかげです」と、嬉しそうに元気な声で言った。 皆それぞれの人生ではある。
 このような私に対し、年末でもあったからだろう、関係した会員社や関連団体の方あるいは友人・知人から、さまざまに声をかけてもらった。 ありがたいことである。
 ただし、下記のそれぞれは、ついでに“送別”のほか無関係の行事を含む。

「祝う会・送別会 忘年会その他」 (+…自弁/*…昼食/○…主催/< >…頂き物)
95・10・20(金) 大KON会 {委員長ほか18名}   巣鴨(ちゃんこ)
10・23(月) T氏 {他の事務局員}   新宿(焼き鳥)+
10・26(木) K氏{B社次長}   銀座(ビヤホール)
同    K氏{N社社長}   神保町(焼き鳥)+
10・27(金) 知人(2人)    青山(上海蟹)
10・28(土) H氏{大学教授}    松戸(小料理屋)
11・01(水) T氏 {T社局長}    新橋(小料理屋)
11・10(金) T氏 {K社部長}    大塚(秋田料理)
11・13(月) K氏{広告会社・社長}   紀尾井町(うなぎ)
11・14(火) S氏{G社・部長}   淡路町(ふぐ)
11・17(金) Y氏{S社OB}   御茶ノ水(玉子料理)
11・27(月) K社{編集総務部7名}    神田(ちゃんこ料理〉
11・28送付 Y氏{T社副社長}  <セカンドバッグ>
11・29(水)  T氏{広告関係団体・事務局長}   山の上ホテル(定食)*
11・30(木) 広告委員会・忘年会(委員長ほか25名)   御茶の水(会席)
12・04(月) 表記委員会・忘年会(委員長ほか6名)   御茶の水(会席)
12・06(水) 編集倫理委員会・忘年会(OB、委員長ほか37名)    飯田橋(中華)
12・20(金)  N氏 {K社局長}   音羽(牡蠣フライ)
同    著作権委員会・忘年会(委員長ほか18名)    神保町(寿司)
12・11(月)  Y氏・H氏{ともに出版社社長}    恵比寿(和食)
12・12(火)  O氏・K氏{ともに出版関係者}    出版クラブ(ステーキ〉*
12・14(金) 雑公協専門委員会・忘年会(委員長ほか19名)    神楽坂(うなぎ)
12・15(金) 出版コード研究委員会・忘年会    五反田(パーティ)
12・18(月) 東京都・諮問図書関係(定期会合+忘年会)    竹芝〈パーティ〉
12・19(火) 事務局懇談会(取協・雑広協と)    神保町(寿司) ○
12・20(水) 倫理専門委員会・忘年会(OB3名と)   小川町(会席)
同    共通雑誌コード運営委員会・忘年会   江戸川橋(会席)
12・22(金) M氏{雑広協事務局次長}    山の上ホテル(中華) *
同    国会記者クラブ・忘年会   新宿(ふぐ)
12・26(火) 事務局忘年会(OB男女2名と)    渋谷(中華)
12・28(木) 挨拶に訪問 O会長(元理事長)  <文鎮>
同    S社編集総務部{部長・副部長}    竹橋(北海道料理)

 そして、年を越し、最後に、
 1996・2・2(金)  雑公協専門委員会・新年会があり、私は参加された新旧委員30数名に対し、お礼にそれぞれ「名入れ色紙」をお贈りした。 これは思いのほか好評であったが、人によっては既婚か独身かどうかなど仔細が分からず、かといって周りの人に聞くわけにもいかず、 人知れず“悩んだ”ものである。また、会場はよく使うお座敷だったので、ついでに馴染みの仲居さんにも進呈してしまった。
 その前、10名や20名での宴会をする“上客”の部類だったのか、別の店からは「やむなく閉店する」旨の挨拶に、 私を名指してウイスキーを持ってきたことがある。もちろん、私個人の問題ではないから事務局に提出したが。 この店では、時にご飯が硬いなどと、つい余計なことを言ったものである。

 余談だが、上記12月6日の会合は参加者が当初予定より多くなったとして、急きょ会場を変更したとの通知も出された。
 そして、先の後輩が私を昼飯に誘って「ぼくは洗脳されていました」と、わざわざ頭を下げたのは、この送別会の2,3日後であったか。
 ついでにいえば、立場上、各種会合に顔を出すのが必然の、わが上司は事務局忘年会の他は、まったく顔を出さなかった。 また、それを誰も疑問視することはなかったようだ。(2009・04・20)


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