「吉川初代校長の訓示の意図」

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橋本健午〈13期、ノンフィクション作家〉

 2004年は小泉首相の靖国神社参拝で明けた。そして、イラクに派遣された自衛隊の"貢献"は?  われわれ日本人は今後どのような状況に置かれるのであろうか。
 昨今、憲法をめぐる議論がにぎやかである。"改憲"論者が8割に上る、と最近の世論調査はいう。 戦争を知らない世代が多数を占め、また"戦争"を渇望する風潮もあり、ある程度予想された事態である。 しかし、それでよいのか。

 吉川昇校長は、昭和16(1941)年から36(1961)年までの21年間、わが校の校長を勤められた。 同氏最後の卒業式は、第一次安保騒動や浅沼社会党委員長刺殺事件などの余波が続く1961年2月25日に行われ、 私は200人余の学友と臨み、次のような文言で始まる訓示を聞いた。43年前、同氏は75歳であった。

 「今日本ハあらゆることに足並がそろはず 誠に憂うべき情態にある この由って来る処は  一に日本を再起不能たらしめんとした占領政策であって その一ハ努めなくても生活は出来る  今一ハ守らなくても国ハ安全であるとの二原則を骨子とした憲法にあらはれている  これハ真面目でなく強くなく上品でなくても日本ハ立派になり立つと云ふ事であって  もともと怠けものヽ人間としてこれが可能ならこれほど結構な事はない……(中略)」

 しかし、そうはならず、自分で自分の国を守らなければならないとする氏は、 「併し憲法は破ってハならないものである許りでなく 怠惰が人情であり数できまる民主政治下でハ この憲法ハ永遠に改まらないやうに出来てゐるやうである」と考え、 その代わり、「国のためにハ憲法をよそに憲法以上の心をもつことである、 これが国民として一生懸命の心がけでなければならない」とし、 「私ハ退廃に映る国難を克服し日本を真の日本たらしむる道ハ本校の方針  又それと志を同じうする方針に立つ国是以外にないと信ずる」と述べ、われわれ卒業生に対し、 「目前の利にふりまわされず真の日本、真の自分の為、信念に生きることである 真面目ハ神に通ずる  真面目な事に敵も味方もない これを他の詞でいへバ右顧左眄せず自分の一生を送ることだ」と説いた。

 これは、1990年の高槻高等学校・中学校創立50周年記念(槻友会第11回総会記念)として出された『吉川 昇先生遺訓集』 より書き写したもので、印刷その他の事情で判読不明の箇所もあるが、大要は上記の通りであろう。

 式当日、私はその印象を、「未だかつて、こういうことはなかったと思う。校長は巻紙を、一字一字かみしめるように、 しかも相当の決意を持って、恥ずかしがるように読んだのである。我々は、それに異様なものを感じ、聞いていたのである」 と卒業アルバムの同氏の写真の下に記した。若かったのである。
 いま改めて、国家と個人についての吉川校長の思想、そして"真面目に強く上品に"生きるとはどういうことかを、 考えてみてはどうだろうか。 〔槻友会報(高槻高等学校・中学校同窓会だより)No.48(2004・3・1発行)〕

槻友会報 No.48


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