橋本健午 1964〜1966年
作家としては、漠然と、健在なのだろうと思っていたが、上記のものや『田園の憂鬱』を少し読んだヾけで (これは余りにも間怠っこしくて、直ぐに放り出してしまった)、最早過去の作家ではないかという印象を強くした。 それはそれとして、上記の作品は、面白く、また興味深く読むことができた。
与謝野晶子については、小さな頃から、その名を知り、また学校時代にもその歌のいくつかを習った。 「君死に給ふこと勿れ」の歌に感激した中学時代、高校生になっては、故郷小浜に遊んで、友の家で山川登美子のことなど、 しんみりと聞かされ、浪漫的な想像に駆立てられた位で、『乱れ髪』等の歌集を手にしても、読み通すということもせず、 唯、情熱的な歌人という通俗的な考えをもっているに過ぎなかった。
処が今度、何かの拍子にこの本を急に読みたくなり、身近にあるのを幸い、一気に読んでしまった。
そして、読み進んでいくうちに、私はこれについて何か書きたい、何かを書かねばならないと思い思い、
それが何であるか、何故書きたいと思ったのか、更に何故読みたくなったのかを理解することができた。
私はこヽ数年、特に大学に入ってから強く抱いてきたある考え、それについての一つの結論を、
この作品の中に見つけたのだった。
作者が、何度も断っているように、これは伝記でもなく人物論でもなくて、 作者のこの女流歌人に対する詩的イメイジ或いは文学的イメイジによる作品であるから、読者としては、 これが晶子という人の伝記として、そのまヽ受取ることはできない。つまり、ある一人の文学者による晶子像であって、 書かれている一つ一つが、事実であろうとなかろうと大した問題ではない。 これこそ、文学に許された最高の自由、楽しみなのだ。
作者が、ここで強調したいのは、察するに、事実の羅列だけでは無味乾燥なものになるし、第一作家としての、 文学作品としての価値のないものになってしまう。そうではなくて、これは彼が、 この女流歌人を一方ならず愛しているということ、いやむしろ、彼が愛したいのは、晶子その人よりも、 彼自らがこしらえた晶子という人物の方であることを見逃してはならないということである。
勿論、私がこれを読みたいと思ったのは、明らかに、この詩人の生涯、
特にその情熱的といわれる点について知りたかったからである。それともう一つ、彼女と山川登美子との間の、
ある疑問を解きたかった。これについては、後で触れる。
情熱的な歌人、『乱れ髪』の女(ひと)、「君死に給ふこと勿れ」の女(ひと)、それは紛れもなく、少年時代の私の憧れ、
愛したい女(ひと)そのものだった。先に、作者はこの作品を、自分の愛したい人物像として書いたと私は言ったが、
それと同じく私自身も、晶子を愛したいような女性として勝手に想像していたヾけで、それと現実とが大して違わなければ、
私は失望することはない。
男は、自分が許容できる範囲の行動でない限り、女を許せない。我慢ができない。愛することを放棄する。 しかし、女の場合はそうではない。違いはそこにある。それは、この作品を読めばよく判る。
十歳の頃から、源氏物語を読んだり、長恨歌を解したりで、男であったらと親を嘆かせた堺の老舗の娘が、
長じて運命の人与謝野鉄幹に出会ったり、歌仲間の山川登美子と親しくなる処は、実に興味深い。
文学がまだ卑しいものとされていた頃、それに携わるのは勇気のいることだったヾろう。
しかし、当時は今と違って、世の中が随分ゆったりしていたようで、その恋だの愛だのヽ舞台装置が余りにも見事で、 羨ましい限りである。相応しいというか、申し分がないというか、多分に貴族的な処が、私にはそう思われるのだ。
さて、晶子が情熱的であったばかりに、私は鉄幹がどんな人であったか少しも知らなかった。 これは片手落ちも甚だしく、晶子を知ることもできないというものだ(尤も、これを最後まで読んでくると、 鉄幹のことを余り知らないというのも強ち私の責任ばかりではないということが判ってくる)。
鉄幹は、旧来の歌人・歌風を排し、新しい形式を樹ち立てようとして登場した文学青年で、 それは飛ぶ鳥をも落す勢いであった。全国に読者を持つ新しい雑誌『明星』を主宰する新詩歌の若き騎士鉄幹が、 晶子達に出会ったのは、彼二十八歳、登美子二十歳、そして晶子二十二歳の時であった。場所は大阪。
美男の彼を前にして、うら若き二人の女が恋心を抱かないとしたら、彼女らに歌など詠む資格はないであろう。 たとえ相手が先生と仰ぐ人であろうとも、それは決して冒涜でも何でもない。
芸術には真情の発露が必要である。既成の概念や枠にとらわれぬ自由で奔放な考え・行動、 それこそ芸術の要求する根本精神である。他人の思惑を気にしたり、自己を押さえながらでは、決して好いものは生まれて来ない。
一般に、芸術家には艶聞とか情事とかヾつきものヽようであるが、それは彼らが"特権"を利用しているからではなく、 むしろそれは、魂の自然な状態であって、彼らが傑作をものするのと同様、その精神の表出なのであって、 決してふしだらそのものではない。そういう人間にこそ詩が詠め文学が書けるのである。
"運命の人"とは、作者もうまい表現をしたものだが、これはどちらの意味にも取れる。
運命を変えたとも、またある運命を背負わなければならないという意味にも。
実はいずれも正しく、また皮肉なことに鉄幹その人も、その運命に左右されるのである。
これは、私が直ぐ上に書いた芸術家の存在の悲劇的側面である。常人と違った無理をしているのであるから、
好調な時はあっても、いつかは必ず悲劇を見る。しかし、それを見越してまでも、尚且感情の赴くまヽにならざるを得ないのが、
こういう人達の特質なのである。
処で、私は、晶子以前に鉄幹に妻があることさえ知らなかった。これには、いさヽか驚いた。
先程私が知りたいこと、疑問に思っていると言ったことについて述べよう。
私は今まで、彼らの関係を次のように考えていた。
それも、十六、七の時に小浜で聞かされた話を元にして―記憶違いの処もあるだろうが―つまり、
鉄幹の妻は始め山川登美子だった。処が、そこに晶子が登場するに及んで、登美子から鉄幹を横取りしてしまった。
それでもおとなしい心の優しい登美子は、仕方なく自分の夫を譲ってしまったのだというような具合で、 あくまでもこの話は、情熱的晶子に対し、登美子はそれと対照的な気の弱い乙女という印象を与え、 かつ不遇の人という同情さえ起こさせる類のものだった。
何も知らない私は、そういうものなのかなと思っていたが、後になってみると、どうやら、 それは同郷の人をかばう偏見にすぎないと考えざるを得なかった。しかし、その時は何と強い晶子よと思ったものだ。 そして、ひ弱い感じの登美子の方に、私の心がぐらついたのも偽りのない心境であった。 私は、そんないじらしい女が可愛くて仕方がないのだ(これも、後になって、鉄幹が迷ったのと同様、 私も登美子という女の魔性に引っ掛かったのだということに気がついたが……)。
よくよく考えてみれば、歌詠みが情熱的か、或いは内に情熱を秘めていなければ、決して好いものは創れないはずである。 はたして登美子は、晶子にあっさりと負ける程弱かったか――事実は、全く違っている。
『曼陀羅』をもう少し読んでみよう。
鉄幹の最初の妻は、雑誌『明星』の出資者ではあったが、詩的才能があるわけではなく、単なる世間的な女で、
これを鉄幹が好く思うわけがなかった。こういう女は、たとえ夫の立場を理解しても、決して夫を満足させることはできない。
金持ちでも相手を喜ばすことはできない。何故なら、相手はたとえ死活の問題であっても、
それに頓着するような人間ではないのである。両者の間には、始めから溝があった。
それは決して埋めることのできないものなのだ。
詩人というものは、元来純粋で、多情で、多感な性格を持ち合わせているもので、美しいものを美しいと感じ、 また直ぐ好きになる、愛(め)で愛してしまう。それは浮気とか移り気とかいうものではなく、まさに詩人たる所以である。
詩人が自分の心を抑えては佳いものはできない、心の詩(うた)は生れて来ない。吾を忘れて夢中になるのは、 子供ばかりではない。詩人の特質でもある。彼が自分のやっていることを反省でもしたら、直ちに凡俗に堕する。 苦悩や、争いはそこから起こるのだ。
鉄幹が大阪で、二人の女を同時に好きになったのも、別に咎め立てしても始まらないことである。
また、二人の少女が、一人の青年を恋することも同様にである。いずれがアヤメかカキツバタでもなかろうが、
二つの優劣つけ難いものを、共に胸に抱かんと願うのは、詩人の常である。
この時の鉄幹の気持は、判り過ぎる程よく判る。二人とも気に容(い)った女で、現在の妻のように能なしではなく、
自分の愛する歌も上手とあっては、眼の前の二つの宝玉をどうして放っておくことができよう……現に彼らは、
暮れゆく日を惜しんで、須磨の浦や住吉で、思い思いの気持をこめて、歌遊びをしているではないか。
二人を同時に愛することは、おかしなことでもなければ、不可能でもない。本当の愛情なら何人でも愛することができる。 二人の女達は、彼を先生と仰ぎつヽも、何故に恋せずにいられよう。それもこれも、凡ては自然の成り行きである。 そして、その恋心は歌となって、競い合い、止め途もなく流れ出る。鉄幹にとって、二人の美しい女弟子が、 このように互いに技を競い合うのを見て、どれ程感激したことだろう。
この頃の二人は、年下の登美子の方が比較的自由な環境にいるために(姉夫婦の許に起居している)、
晶子を誘い出したりして、リードしている。晶子は、なよなよした感じで、まだ歌によってしか自分を表せないようである。
(これによって、私の始めに抱いていた登美子のイメイジは、完全に毀れる、しかも快く)
そして、師鉄幹には、一緒に手紙を送っている。鉄幹自身も、一人づヽに歌で返答している。
師弟の関係を越えたものであるが、優れたものは、往々にしてこういうときに生まれるものであろう。
しかし、そういう状態も長く続かないのは運命のなせる業か。登美子が若狭へ帰らなければならなくなった。 そこには、世間並みの結婚が待っているのだ。いやがっていた登美子が、どうしてもという父親に説得されて、 その言葉に従うのは、やはり純情なせいか、或いは、晶子に一歩を譲るためか。
"永観堂の秋"の章は、一つの山である。
三人が再会した京の秋、そこで二人に別れを告げる登美子。夜、隣室に添え寝している二人の女を思う鉄幹の心中、
何と悩ましい情景であろう。
そんな登美子を前にして、晶子、鉄幹の胸中はどんなものだったろうか。晶子は、争いまで行かないうちに、
自分に有利になったことを秘かに喜んだであろうか。鉄幹もまた、さして迷わないうちに、決着がついたと悟ったであろうか。
事件というものは、多分にドラマチックである。決して偶然とは言えないものがある。 成るべくして成ったという感じのものが多いのではないだろうか。唯、誰の頭上に、運命の女神が微笑むか、それが問題である。 人は、そこに悲喜劇を見る。そして、同じことは、何度も繰り返す……。
今夜限りで、二人に別れることは、自分にとっては命をも捧げたいと思っていた詩や歌とも訣別することだと、
涙ながらに語る登美子の胸裡には、諦め切れないものがあっただろう。
しかし、運命に甘んじようと思うだけの節度もあったのだろう……
意味深げな歌を残して――
それとなく紅き花みな友にゆづり そむきて泣きて忘れ草つむそれからしばらく経って、登美子がいなくなった舞台は、鉄幹・晶子を中心に回るのであるが、 いよいよ晶子は家出して東京の鉄幹の許に行く。二人の間が急速に進展したのも無理はない。 しかし、鉄幹には妻があるし、子供もできた。そんな処へ押掛けたのだから、ごたごたが起る。 後は、型の如く夫婦別居生活である。
鉄幹と晶子は、皮肉なことに念願(?)の同居をすることによって、それぞれの運命を背負い込むことになる。 人間、ある程度の見通しというものは立っても、それが必ず実現するというものではないし、 また思わぬ方向に発展することだってある。それが、人生というものかもしれないが、彼ら二人の場合は、 自ら招いた運命(悲劇)という他ない。
他人がとやかく言う問題ではないが、何事も自分の思った通りに行かないということが、人間にはいつまでも付き纏う。
彼らの生活は、単に鉄幹が愛人を連れて来たというのではなく、才能ある女流歌人としての晶子の登場である。
それは只事ではない。すでに名前も知れ渡っている。そういう意味では窮屈かもしれないが、やっと他人に煩わされることなく、
歌に専念できると思えば、晶子のうれしさも一入であったことだろう。
だが、生活は始めから、そう平穏無事ではなかった。先妻の家からは何やかや言われるし、煩い連中が付き纏うし、 さては怪文書まで出回る。これらに対して、鉄幹が断固とした態度を採れないのは、 いつものことながら優柔不断な性格の故か、或いはその苦しい立場上、どうすることもできなかったのか。 それを見て晶子は、たヾ熱く愛し合っているだけではどうにもならないことを悟ったに違いない。
鉄幹は、晶子の将来の大成を見通して、その個性を大いに尊重したという。それが充分に発揮されたのはよいが、
また彼らの破綻の原因ともなるのである。先に、皮肉な運命と言ったのは、このことである。
一寸、残酷な譬え方をすれば、カマキリの夫婦みたいな関係である。雄は子孫を残すために雌に協力し、そして事が終れば、
その雌に食い殺されてしまうというような……。
鉄幹という男は、たとえば華頂山の宿でのように、大空の下にいるときだけ、男らしく自由に振る舞えるのだが、 家庭内では気が小さくて駄目な人間になってしまう。こういう性格を、すぐに見抜けなかったのは、 恋は盲目というものかもしれないが、何しろ晶子が彼に会っている時は、いつも男らしい時であったから、 判らなくても致し方ないであろう。
しかし、他の女性に自分の家庭内のことを――たとえ親しい弟子であろうとも――語るのは、
どうも小心ものヽ男のようで腹立たしい。弱さを売って、同情を買おうとするのか。
実情を知らない女は、それに引っ掛かる、自分なら何とかしてみせるという自惚れ故に。
晶子が、彼のそういう性格を見抜いて、うまくコントロールすることができたなら、案外円滑にいったかもしれない。
それができなかった処に、晶子の才能ある歌人としてヾはなく、単なる女、妻としての限界がある。
歌以外に関心を向けさせないようにしたのは、鉄幹自身の責任でもあるだろうが、それ以前に彼は、
自分の妻に何でも喋るというタイプの人間ではなかった処に原因がある。
処で、一体に、女の方が男よりも強い。いざとなると度胸が据わるものだ、生理的に強くできているのだろう。
計算なしで、事を企てる。それだけ一途なのだ。後ろを振り向かない。しかし、男にはそれができない。
つい、自分の後ろを見てしまう、それだけ弱いのだ。雑念が入ってしまうのだ。
鉄幹のように柔和な男、それだけに女を惹きつける男というものは、元来どこかひ弱くでき上がっているものだ。 調子に乗っているときは、飛ぶ鳥も落とす勢いであったが、一旦躓くと、なかなか立ち上がれない。 そのまヽ駄目になってしまうこともある。
晶子には、豊かな才能と、それを充分発揮できる場が与えられていた、即ち鉄幹自らの犠牲の上に。
日露戦争の頃、「君死に給ふこと勿れ」を発表して、様々に世をわかした晶子の名声の影に、かつての鉄幹も、
全くその姿を隠してしまった。
代表作『乱れ髪』は、彼女の出京の前後に発刊され、大いに売れ、鉄幹ともども幸福の絶頂にあったことも、
今や過ぎし日の遠い想い出でしかなかった。
晶子に比べて、鉄幹の影がだんだんと薄くなってゆくのは、他人事ながら何とも哀れなものである。
鉄幹晶子夫妻が、そういう状態にある時、彼等の前から、永遠に姿を消した筈の山川登美子が、こヽで再び登場してくる。
運命とは、何を変えるか判らない、何を狂わせるか判らない。そして、誰を不幸にするか、予測できない。
歌一つで結びあった彼ら三人は、よくよく運命に魅入られたものである。
晶子と登美子のどちらが先に鉄幹を知ったか、どちらが先にその崇拝者になっていたか。 作者は登美子の方が先だとしている――この点、若狭の人々の横取り説が正しいとも言える。 それはとも角として、この三人の不思議な巡り合わせが面白い。
登美子は、前述のように気の進まぬ結婚をしたが、幸か不幸か、二年も経たないうちに、夫が死んでしまった。 理解のある夫だったらしく、彼女はずっと、歌を創っていたが、再びひとり身になると、教師の免状を取ろうと決意した。 しかも東京の女子大に入学するというのである。彼女は、健康に勝れず長く患っていたが、とに角出て来た。 学校に入ることも目的ならば、鉄幹の近くに来ることも、当然の目的であった。女子大入学は鉄幹の差し金でもある。
こヽまで来ると、最早鉄幹も只の人である。平凡な中年の男に過ぎない。
上京した登美子は、勿論鉄幹・晶子の友人ということで、彼らの近くにいるわけだが、このことが後々まで晶子を悩まし、
嫉妬させることになる。登美子は何かと口実を設けて遊びに来るし、鉄幹もそれを歓迎する風であるから、
晶子ならずとも面白かろう筈がない。
子沢山の晶子、それでも活躍している彼女、それにひきかえ鉄幹は見る影もなく、その心が、強い、 手に負えない妻晶子よりも、病弱な登美子の方に傾くのも自然である。 晶子を持て余し始めた頃に、登美子の出現であるから、事は穏やかではない。
観方によれば、鉄幹は人の好い人間かもしれない。しかし、どうも公私の区別がつかないらしい、或いは自分勝手すぎるのか。 まるで、駄々っ子である。それに、晶子は人一倍嫉妬深い。元来はそういう男であると知りつヽ、 結婚した彼女自身にも責があるだろうが、事もあろうに、かっての恋敵と親しくされたのでは、堪らない気持であろう。
登美子自身も、他人の家庭の平和を乱すなどという気持は少しもなかったであろうが、相手が昔の恋人、愛した人では、
そう簡単に諦めることはできない。それも人情である。
異常とも思える、微妙な女心と男心である。鉄幹は、一体どちらの女を、本当に欲したのであろうか。
二人の女は、一方が情熱的なのに対し、他方は病弱ときている。はたして、彼はどちらを望んだか。両方ともだろうか。
しかし、彼には、こちらだとはっきり決める自信と勇気が欠けていたことも確かだ。
或いは、全く別に、女の方が勝手に熱を上げるのに任せて、どちらでもよかったのか……。
晶子は、理性的に彼らを非難するけれど、わが身のことを考えると、似たり寄ったりで余り大きな顔はできない。
考えて見れば、男一人に女二人、始めから予測できた結末ではないか。
彼女は、鉄幹を決して許さないと心で決めていながら、どうすることもできない女である。
更にまた、登美子を恨むこともできない立場の女である。
やがて、病弱だった登美子が他界する。しかし、それでもこのドラマは終りを告げたわけではない。 晶子は、死んでしまった今でも、鉄幹が登美子のことを想っているのではないかという考えに悩まされる。 実際、鉄幹という人は、そういう感じの男である。
彼女は、気分転換にと、夫にヨーロッパ行を勧める。無事出発させるのであるが、心配になって、
夫の後を追って出掛ける女である。そして、夫とヨーロッパを歩いているうちに、
いつの間にか故国に残して来た子供のことが気になっている。
女としての、妻としての晶子とは、そんな人である。そして鉄幹を悩ませたのも、歌人としてヾはなく、妻として、
女としてヾあったのは、皮肉なことである。
悲劇の大半は、ここで終わっている。
これ以上述べる必要はないが、最初に書いたように、私が得た結論の一つというのは、次のようなものである。
晶子は、確かに時代にふさわしい新しい女であった。そして、それなりに行動し、考えて来た積りだった。
しかし、彼女は鉄幹の妻になること、結婚とはそういうものであると考えた時から、悲劇は起ったといえる。
男は、自分より強い女、偉い女を前にしては何もできないのである。それだけではない。
男は自尊心を大いに傷つけられたと思うものだ。それが悲劇でなくてなんであろう。
芸術と家庭生活は、両立するものではない。芸術とは恐らく、そんな家庭生活というものを犠牲にして始めて成り立つものであろう。
"家庭の平和"など意味のあることではない。第一、人間らしくない。人間的生活とは、平安を求めることではなく、
最も赤裸々に対象にぶつかって行くことである。平均化された個性のない人間、社会からは、何も生まれては来ない。
人は常に目覚めていなければならないのである。
人は、自分を殺してはならない。それは、どんな場合にも当てはまる真理である。
さて、愛とは何であるか。世に、愛は何よりも強いという。私は同じ意味において、愛は何もなし得ないと結論しよう。 それが真の愛ならば、行動を起こせば、上述の晶子鉄幹の轍を踏むことになる。 何もしなければそのまヽで悲劇、いずれにしても悲劇となる。
愛は犠牲であるともいう。しかし、犠牲を余儀なくされたならば、それは愛に敗れたことになる。
敗北を意味する。即ち、愛することは不可能である。本当のものはあり得ない。
もし真実ならば、人は愛に殺される筈だ。愛は最も高貴にして、最も残酷なものである。
こヽでも、人間は本質的に孤独である。これはどうすることもできない。病人は、相寄ることもできる。
しかし、愛によっては、人は近づくことはできない。
愛は、現実ではなくて、概念である。 [完]
メモ;第一稿は64年8月10〜11日の二夜で書く(茨木にて)。 その浄書におよそ一週間、分量は倍近くになる。64年8月27日 (雑司が谷にて)。更に推敲を加える、66年6月(柏木にて) 浄書 66年9月20〜21日(諏訪森にて) 25枚(400字詰)