出版倫理・青少年問題・目次へ

"出版年表"「発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷」の作成で留意したこと

橋本健午


 明治初年前後から2004年まで約140年間を対象とする、本書の作成にあたり、(1)自国の歴史を学ばない若者に対して"出版"だけでは不十分であり、 (2)発禁・わいせつ文書と"有害図書"の相違を明確にすることなどに留意した。
 「自国の歴史を学ばない若者が多い」という実態は、私自身の調査でも明らかだが、年表は"事実"の羅列であり、 その記述はみな似かよったもの、ある意味で個性がなく、面白くない"読物"でもある。 出版社の創業やベストセラーなど出版界の動向も盛り込んだが、若者が興味をもてる年表は何かと考え、事件・事故と社会の動き、 「わが国初の…」事柄や、流行り言葉なども加えた。時代を象徴するような事柄、あるいはいつの時代でも起こる事柄などの挿入により、 時代背景を読みとる一助となればという願いを込めた。
 本来伝えたい"発禁・わいせつ"など言論統制の取り締まり状況は、その時代の政治や社会の流れと連動する。 法律や条令、また何度も出てくる事項は⇒印で表し、関連づけて読めるように配慮した。
 1945年を境に章を分けるのは一般的だが、出版倫理と規制の問題には大きな意味があった。 刑法175条による取り締まりは明治より連綿とつづいているが、戦後の特長のひとつとして、 長野県を除く都道府県が競うように制定した青少年健全育成条例とその規制の強化があげられる。 しかし、現実には青少年行政とりわけ「青少年と出版物(有害図書)」に関する過剰ともいえる行政介入の多くは、 彼らの唱える青少年の健全育成とはかけ離れたものだった。
 すなわち"有害図書"とは、そう思いたい人たち(政治家や行政・警察関係、青少年を構いたがる育成者や一部の学者)の頭の中にしかない概念だからだ。 具体的にいえば、刑法175条には抵触せず、大人は見てもよいが18歳未満の少年たちの目にふれれば"その内容は刺激が強すぎ、 場合によっては有害ではないか"というあいまいな存在のものをさす。なのに、なぜ大人たちは躍起になるのかといえば、 彼らにとって子供は「オモチャ」だからである。
 また、他のメディア関係者ばかりか出版人でさえ、その誤った対応に加担するものが多いという現実を、 いま説明するのは難しい。端的にいえば、出版人(これも大人たち)にはアウトサイダーを排除したいという意識が根底にあるといえる。 そこで、若い人たちが同じ轍を踏まないためにも、だれが作ったどのような出版物でも憲法第21条はじめ法律や条令から見れば差異のないことを踏まえ、 その時代時代に"有害図書"といわれたものを中心に解説を施した。
 一方、知る権利をタテに、人権・名誉・プライバシーなどの侵害を行なってきた出版はじめメディア側に反省すべき点のあることも忘れないようにと考慮した。
 なお、雑誌と書籍、また産業としての出版について現状を知るために、クイズとデータで示したほか、 出版界の倫理綱領その他も盛り込んだ。すべては、学びの出発点(ガイドブック)となってくれればとの願いを届けたい一心からであった。
 (2005年度日本出版学会春季研究発表会、『日本出版学会会報』第116号所載2005・09)


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