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私論<前・出倫協議長 布川先生を偲ぶ>
この私論<前・出倫協議長 布川先生を偲ぶ>…は、"私ならば、布川先生をこう偲ぶ"というもの。
当時のマス倫事務局長N氏あてに「これはNさんに読んでいただければという(勝手な)気持ちで書いたものです」として送ったものです
(参考:「マスコミ倫理」"ある年次報告")。
なお、布川先生に関する他の記述は「出版倫理・青少年問題」にも掲出しております。/2008・07・05 橋本健午
布川角左衛門先生と出版倫理活動
かなり冷え込んだその夜、"岩波村"といわれた文京区小日向の坂道を上り、先生の遺影に接して、いつもの穏やかなお顔だと、
私は内心ホッとしたものである。というのも、その四日前に療養先に先生をお見舞いした長野規さん(元・出倫協特別委員長、元・集英社専務)から
「ずいぶん、やせられた」と、うかがっていたからだ。
私のような若輩が、出版界の大先輩である先生のご指導の下、倫理関係の仕事に関わることができたのは、幸せの一語に尽きる。
ここ数年、先生は"転倒を恐れて"あまり外出されなかったようだが、雑協の会報をお送りするたびに電話をかけてこられ、
「外に出なくても、(倫理活動などの)動きが分かって有り難い」と言われたあと、何かと私を励まして下さるのだった。
それが、昨年の10月末以来、音信がないので気になり、私事ではあるが年末で雑協(出倫協も)を辞める報告と、
これまでのお礼の手紙を差し上げたばかりなのに……。
先生は出版界に多大な貢献をされたが、ここでは出版倫理活動について述べよう。
昭和30年3月、このマスコミ倫懇が悪書追放の世論の高まりに対応すべく、報道関係諸団体によって設立されたように、
出版界でも同年5月、出版倫理化運動委員会を設け、悪書追放に関して出版界の自粛声明を発表した。
その先頭に立ったのが先生で、32年10月には雑協・書協は連名で「出版倫理綱領」を発表した。
その一年前の試案で先生は、出版物が果たす使命と役割を述べたあと、「三、文化と社会の発展のためには、あくまで言論出版の自由が確保されなければならない。
(中略)一方においては、如何なる力にせよ、これらに加えられる掣肘又は干渉を極力排除すると同時に、他方においては、
言論出版の自由を濫用して私益のために公益を犠牲にするようなことをしない。」と述べているように、先生は一貫して、
言論出版の自由を守ることの大切さを訴え、またその濫用を戒めて来られた。
一方、マスコミ倫懇も東京都青少年健全育成条例(39年7月成立)や政府の青少年対策に名を借りた規制強化の動きに対処して来たが、
青少年とマスコミをめぐり政府の動きは着々と進んでいた。
38年9月総理府は「マスコミと青少年に関する懇談会」を設置し、40年11月に同懇談会は審議結果を答申し、
業界に自主規制の強化を要望した。これを受けて閣議では、青少年憲章の制定などの青少年健全育成対策を決定し、
41年2月言論・報道関係も参加して青少年育成国民会議が発足したのだった。
出版界では38年12月、雑協など版元・取次・書店の出版4団体で構成する「出版倫理協議会」が組織され、
先生は初代議長として平成2年3月までの27年間、青少年保護育成の世論に応えるとともに、出販倫理の向上および出版の自由と責任を守る活動を推進し、
先の倫理綱領の精神そのものの体現者として、出版界をリードして来られた。
いつからか、『布川学説』という言葉が生まれた。
これは、規制の波が数年ごとに起こってくるというもので、例えば57年の大阪府での育成条例の規制強化の動き。
このときは大事に至らなかったが(先生は要望書を出すだけでなく、直接陳情もされた)、平成3年12月に個別指定だけでなく、
緊急・包括指定なども盛り込む厳しい改正が強引に行われた(同じく京都、広島も)。
59年には少女誌問題が起こり国会でも取り上げられ、販売規制の中央立法化が叫ばれた。
先生は『「出版の自由」の危機に際して出版社各位に訴えます』とのアピールを行うとともに、当時の自民党はじめ関係方面への陳情を繰り返した。
これと前後して、雑協内では「倫理専門委員会」を設置し、月2回の会員誌通覧作業を今も続けている。
議長辞任後も、先生の心配事は続いた。平成2年夏から全国的に起こったコミック本問題の"騒動ぶり"については、
毎年8月本紙「マスコミ倫理」にご報告したとおり。
いままた、青少年問題が俎上に乗せられている。東京都関係では、62年5月"本人の自覚育成が先決"として条例盛り込みが見送られた「淫行処罰規定」論議がそれで、
ついで図書指定の強化にも言及する動きが強いようだ。
社会環境の変化に対応する子供の感覚は、鋭敏だが柔軟性もある。しかし、規制する側は相変わらず昔の感覚で、現実認識のズレが大きいのではないか。
ともあれ、出版界は先生の遺志を受け継いで、出倫協(清水英夫議長)を中心に、倫理活動に取り組んでいただきたい。
また、規制運動を盛り上げるのは住民や警察自体ではなく、興味本位に取り上げるマスコミの影響によるところが大きい。
これは『布川学説』の一面でもあると思う。
先生が敢えて低俗なものも擁護されたのは、"国家権力による立法・規制を避け、あくまで言論出版の自由を守るため"(2/6付東京「弔辞」)であり、
これはひとり出版物だけに限らない。
96/2/1 橋本健午(95年末まで日本雑誌協会事務局員、出倫協も担当)