『心-こころ- 橋本健午のページ』出版倫理・青少年問題

「出版年表」を編んで、思うこと 「出版クラブだより」第485号　橋本健午（ノンフィクション作家）2005･7･9修正済み

　少し前（〇五年二月二四日）、自民党の新憲法起草委員会で意見が一致したものに「青少年の健全育成の観点から、有害図書の出版･販売を法律で禁止することを明確にする」というくだりがあったという。東京新聞以外では報道されず、また実際に俎上にのぼるかどうか不明だが、出版人にとって看過できない問題ではないだろうか。それについては後で述べたい。

年表の作成で留意したこと

　拙著『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷―出版年表―』は、若い人向けに発禁など表現規制を中心の「出版に関する年表」を作ってほしいという話から生まれたものである。
　執筆にあたって、(1)自国の歴史を学ばない若者に対して“出版”だけの年表では興味が湧かないのではないか、 (2)発禁･わいせつ文書と“有害図書”のちがいについて、出版人でさえ誤った認識の多い現実にどう対応すべきかに重点を置いた。
　総論では、表現の自由は無制限ではなく、名誉毀損やプライバシーの侵害などにならないよう、情報の送り手は節度をもって臨まなければならないこと、また一口に性表現といってもワイセツと“有害図書”にはちがいがあり、それを明確にすること。また、明治のはじめにできた諸制度はわれわれ庶民も享受するが、そもそも役人のためのものであったこと。一方、言論取り締まりの法整備は政府批判など要人にとって不都合な言説を封じ、また風俗の乱れを防ぐなどの名目による規制であったことなどを概説した。
　年表としては、法律とメディア等の規制（発禁ほか）、出版社の創業やベストセラーなど出版界の動向を中心とするものの、その時代背景である社会の動きと事件・事故などを盛り込み、さらに「わが国初の…」出来ごとや流行り言葉なども加えた。
　索引は限られたページ内で、いかに多くの項目を盛り込むかに腐心した。その過程で、たとえば小泉首相はイラクへの自衛隊派遣などを「国益」だとしたが、この言葉は一八八七（明治二〇）年に流行っていたことや、近年ひんぱんに報道される「自殺」など、明治以来何度も記録されていることを関連づけて読めるように工夫した。

自国の歴史を学ばない若者たち

　出版以外の事項も重視した理由は、若い人たちに歴史（近現代史）を伝えるには、彼らに興味を持たせる工夫が必要だと痛感していたからだ。私は二〇〇一年七月、日本エディタースクールで受け持つ講義の一環として、十八歳から三十三歳の学生七十六名（二クラス、男四十二名・女三十四名）を対象に「中学・高校でどのように歴史（日本史）を学んできたか」の調査を行なった。数は少ないが、首都圏を中心に二十六都道府県の国公私立高出身者という、ある程度の広がりがあった。
　中学時代、授業が「教科書どおり」行われたのは約六割と主流だが、教科書を最後まで習ったのは約四割で、一九四五（昭和二十）年の終戦ごろまでしか習わなかったものが七割近くもいた。教科の選択制となる高校でも似たような状況が見られ、中学高校とも「教科書の途中で終わった」ケースがいちばん多く、五五・九％という数字にのぼった。
　戦後もすでに半世紀を過ぎていながら、彼ら若者は自らを含む父祖の時代（身近な戦後の歴史）さえも学ばないという実態を知り、その後なぜそうなったのかを調べてみた。学習指導要領の変遷はじめ、学校や塾、そして入試における現代史の扱われ方などを調べ、先の調査データとともにレポートをまとめた（「（歴史を）よく知る必要がなぜあるのですか―危うい日本人の歴史認識―」（日本エディタースクールＨＰ web EDITOR「論文」欄二〇〇二･八･六）。この標題は当時十九歳の女性の回答である。
　学習指導要領の歴史を眺めると、改訂のたびに変更の多いのが社会科で、中でも日本史はその時々の、たぶん政治情勢などに翻弄されて来たことが分かる。例えば一九九一年に東南アジアを歴訪した海部俊樹首相は、シンガポールでの演説で「第二次世界大戦でのわが国の行為を厳しく反省、学校教育のなかできちんと教えていきたい」と述べた。しかし、学校現場では「文部省の指導とは裏腹に、中高校での現代史学習は定着しているとはいいがたく」、一方「一年間の授業だけで現代史まではとても教えきれない」と高校の先生たちはいい、「時代順に教えていくという授業にもよるが、現代史に大学受験でまだ比重がかかっていないことも影響する」という状況であった（「実るか首相の“国際公約”／文部省の熱意いまひとつ／受験と関係薄く、学校側持て余す」東京九一・五・一七）。
　その結果、若者には試験に出ない「現代史」を習う・覚えるのはムダという風潮があり、二〇〇〇年九月、ＴＢＳの討論番組「ここがヘンだよ日本人」で、東大生が平然と「歴史を覚える必要はない」と発言し、外国人から「歴史を知らなければ、再び過ちを繰り返す。戦争もまた」と反論されていた。
　さらに少し前、“自虐史観”論争がうるさくなった一九九七年には「歴史の授業で、近現代史は省略されるか、熱心さのあまり、先生が加害面ばかり生徒に押し付けてしまう傾向があったのでは」という山田朗・明治大学助教授〈近現代史〉の談話が紹介されている（東京九七・六・二七）。
　私は現場も取材したが、公立中学では少子化でクラス数が少ないため、社会科の先生は一人ということが多い。ふつう地理→歴史→公民の順に習うが、先生によってそれぞれ得意分野があり、その分野に多くの時間が費やされて、最後の公民にしわ寄せが来たり、あるいは日本史（とくに現代史）が疎かになったり、都市によっても進め方が違うという。
　高校ではどうか。たとえば都立高校のあるベテラン教師（日本史）は、「決められた時間内に“現代”まではとてもやれない。生徒が興味をもつようなエピソードを入れれば、さらに遅れる。文化祭や体育祭などの年間行事でつぶれることもあり、時間はますます不足する」という。
　しかし、それでよいのだろうか。二〇〇一年夏、あるテレビ番組の某ニュースキャスターは歴史教科書問題に関連して、「どうせ学校じゃ、そこまで習わないんだから」といった。この発言を「学校では時間不足で、近・現代史は習わないか、習っても駆け足だから、教科書の内容なんてどうでもよい、ということなのだろう」と、先の調査で不快感を露わに書く学生もいた（別の一九歳女性）。
　また、大学で講義もする落語家の桂文珍は慨嘆する。「日本史においては、現代史と古代史はさわらないほうが無難やそうで、高校の日本史の時間も、三学期に明治維新ぐらいまで進むと、『あとは試験に出ません』と先生がいうという。学校でも現代史はほとんどやりません。本当のことをいうと、国際化する日本の中で、ここがいちばん大事なところなんですよね。そこを教えないんですから、すごい国です」（『痛快！　歴史人物―彼等は天使か、悪魔か―』ＰＨＰ研究所〇一･〇四）。
　こうして、自国の歴史（とくに近現代史）に関する授業が、中学時代から敬遠されれば、“歴史知らず”や“歴史嫌い”が多くなるのは必然であろう。そのような若者に、いきなり「明治時代は」とか、「発禁･わいせつ」や「法律や条例」について勉強しましょうといったところで、ソッポを向かれるだろうとの懸念を抱かざるを得なかった。
　さらに、年表はいわば“事実”の羅列で、その記述はみな似かよったものとなり、ある意味で個性がなく、面白くないものでもある。また、扱うのは明治初（一八六八）年前後から昨二〇〇四年まで約一四〇年間という長丁場である。そこで、時代を象徴するような事柄などを盛り込んだのは、単調に見える記述の中に、一休みしたり寄り道したりしながらも、 “歴史”に興味をもってくれればという思いからであった。
　主題である「発禁・わいせつ」など言論統制の取り締まり状況は、その時代の政治や社会の動きと連動する。法律や条例、また何度も出てくる事項は⇒印で関連付け、一過性ではないことなどを示唆した。一方、知る権利をタテに、人権･名誉･プライバシーなどの侵害を行なってきた出版はじめメディア側に反省すべき点のあることも忘れないように考慮した。表現の自由を守るために、節度を身につけてほしいと願うだけでなく、人の“痛み”の分かる人間であってもらいたいからである。

ワイセツ文書と“有害図書”のちがい

　本書では、一九四五年を境に章を二分したが、出版倫理と規制の問題には大きな意味があった。刑法一七五条による取り締まりは、明治から連綿とつづいている。一方、戦後の特長として、長野県を除く各都道府県が競うように制定した青少年健全育成条例とその規制の強化があげられる。さらに、「青少年と出版物（有害図書）」に関する、近年の過剰ともいえる動きは、それら関係者の唱える“青少年の健全育成”とはかけ離れたものであった（拙著『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった“青少年”―』明石書店二〇〇二･十一参照）。
　すなわち“有害図書”とは、そう思いたい人たち（政治家や行政、警察関係、青少年を保護・干渉したがる育成者や一部の学者）の頭の中にしかない概念だからだ。具体的には刑法一七五条には抵触せず、大人は見てもよいが十八歳未満の少年たちの目にふれれば“その内容は刺激が強すぎ、場合によっては有害となるおそれがある”というあいまいな存在のものをさす。つまり、頒布する目的で所持し、あるいは店頭にあるだけで「わいせつ」とされるものとちがい、青少年条例でいう“有害図書”は青少年の手に渡した（売った）ものが過激な表現物だった場合に、渡した側が罰せられるものであって、書店やコンビニにおいてあるだけでは“有害”とはならないものである。
　ところが、新聞などは「去る五日、神奈川県警は有害図書類のアダルトビデオなどを自動販売機に収納すると知りながら、商品を卸したとして、同県青少年保護育成条例違反（自販機収納）ほう助の疑いで、大手アダルト雑誌等卸会社とのその社長ら二人を書類送検した」などと報じる（東京〇五･四･六）。
　この場合、同県条例第八条（有害図書類の陳列場所の制限）と第十条（自動販売機等の設置の届出等）の二項の条文には整合性がないように思われる。しかし、書いた新聞記者も、それを読む一般人も警察発表を鵜呑みにして、「有害図書」なんだから“悪い”と大人の都合だけで決めてしまう。 “青少年”にとっては、迷惑この上ないことになる。
　端的にいえば、マッチやライターを見て火事を連想し、ナイフを見て殺人と思い込むようなものではないだろうか。マスコミ人でさえ短絡的に報道する、ワイセツ文書と“有害図書”のちがいを若い人たちにどう分かりやすく説明すればよいかに、私が腐心せざるをえなかった理由は、ここにある。
　では、なぜ一部の大人たちが躍起になるのかといえば、彼らにとって青少年は“オモチャ”だからである。換言すれば、「子どもの権利条約」の精神を受け入れず、彼らの自立を尊重したくないのが、これら大人たちの潜在意識といえるからだ。
　“有害図書”と青少年条例の制定についての動き、またその用語（「自販機本」「少女雑誌」「コミック本」「成年向け雑誌」「表示図書」など）に解説を施したのは、 “かつて子どもだった”大人たちに、歴史の中で出版物がどのように扱われてきたか、を振り返る材料として提供しておきたかったからである。

出版物をだれが“区別”できる？

　困ったことに、他のメディアばかりか出版人でさえ、その誤った対応に加担するものが多いというのが現実である。先の、神奈川県警に摘発された自販機収納図書の場合、たとえ一般の人が目をそむけるような内容のものであっても、作ってはいけない、売ってはいけないという制約はなく、「表現の自由」という点では他の出版物とのちがいはないはずだ。しかし、自分たちの組織に属さないアウトサイダーを排除したいという意識をもつ人たちは、これらの“事件”を静観していることが多い。
　出版界の大先達、布川角左衛門先生は、出版倫理協議会の議長を昭和三十八年十二月より二十六年余も無償で務めたが、その間自ら体験した戦前およびＧＨＱによる言論規制（検閲）を再び繰り返してはならないと、どんな出版物も区別をされなかった。
　これは、一九八二（昭和五十七）年、大阪府で青少年条例制定の動きが出たとき、大阪府民の意見を聞く集いで大阪府書店協同組合の市田治男副理事長が「ポルノが非行に結びつく根拠はない。戦前の歴史を見れば、思想・言論統制の出発点はいつもポルノ規制だった。言論・出版の自由を侵害する恐れのある芽は小さなうちに摘まないと将来に禍根を残す」（『マスコミ倫理』一九八二･二・二五号）と述べた反対意見に相通ずる。
　その前に、こういう発言もあった。一九五五（昭和三十）年、悪書追放運動が燃え盛るころ、中央青少年問題協議会（総理府の付属機関）の専門委員だった評論家松岡洋子は「どんなよい社会でも、不良文化財はなんパーセントかはあるものだ。ごく少数のものを取り締るために法律を作り、あらゆる文化財を取り締ろうとすると、とんでもない行き過ぎを起す」と（朝日五五・二・一八）。
　さて、冒頭に上げた新聞記事による問題点は、(1)元来“有害図書”の定義はあいまいであり、現状でも“青少年の健全育成”と結びつけるのは強引なコジツケである。 (2)“出版”を禁止するのは現行憲法では無理だが、憲法を変えて、それを可能にするということだろうか。しかし、ことは“有害図書”の排除だけですむかどうか。条文の表現･運用次第で“青少年”に関わりなく、その時々の“権力者らに都合の悪いあらゆる出版物”が排除されることが可能になるだろうことを私は危惧する。
　ここ数年の間に成立した有事法制を見ると、言論の自由などというのは表向きで、窮屈な世の中になるのは六十数年前の歴史が証明している。なのに、アウトサイダー排除の論理が見え隠れする出版界に危機意識はあるのだろうか。
　今こそ、先人に学び、歴史に学ぶことが、出版人にとって喫緊の課題であろう。

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