”書くこと”−『東方見聞録』のマルコ・ポーロが遭難した―「みなさまの」NHK体質を考える―

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『東方見聞録』のマルコ・ポーロが遭難した―「みなさまの」NHK体質を考える―

本橋 游(評論家)

 『マルコ・ポーロの冒険』(NHK総合テレビ毎週土曜夜7時30分〜8時)が終わった。
 昨年4月から1年間続いたアニメ紀行番組で、ゴールデンタイムにもかかわらず、視聴率は終始10%前後を低迷していた。 民放とちがって、途中で中止とならないところが、"公共放送"大NHKたるユエンであろう。

 マルコ・ポーロは13世紀、イタリアのベネチアが生んだ大冒険家で、その著『東方見聞録』で、 わが国を"ジパング(黄金の国)"と紹介したことでも有名である。
 その著書は彼が、17歳でベネチアを出発し、ペルシア(イラン)、アフガニスタンなどを通って、 シルクロードを東上し、中国(当時の元)に至り、17年間フビライ・ハーンに仕え、41歳で帰国するまでの旅行記である。

 NHKの番組は、その旅行記に基づいて物語が作られたが、子供向けの時間帯ということもあって、 少年の冒険談となっていた。

 番組の特色として、物語をアニメでつづる一方、各地の、つまりマルコ・ポーロが旅したであろう土地の、 当時と現在(正確には1979年)の姿を対比しようとして、ドキュメントフィルムを組み合わせるという、新しい試みがなされた。
 残念ながら、子供っぽいアニメと、格調高い実写フィルムのつなぎ合わせは、双方が互いに補完するよりは、 まったく遊離してしまう結果となり、子供にはわかりにくかった。

 別の見方をすれば、マルコ・ポーロはタテマエ、隠れミノであって、実はNHKの誇る技術をフルに生かした実写番組を作り、 ヨーロッパからアジア大陸横断、そして「偉大な中国」と友好的になろう、というのがホンネではなかっただろうか?
 なぜなら、実写に合わせて、物語が"創作"されているからで、マルコが通過しなかったところ (たとえば、イラクの首都バグダッド)などが、お話になっているからだ。

 聞くところによると、それまでNHK制作のアニメは少なく、また商品化権の窓口が他にあったとかで、 新たにNHKプロモートサービス(=NPS)なる子会社が作られた。
 主として元NHK職員で構成され、その初仕事が『マルコ・ポーロの冒険』のセールスで、簡単にいえば、漫画本にしたい、 絵本にしたい、シャツを作りたいなどとキャラクター商品を扱いたい各社の希望に応じて、商品化権を売買する窓口である。

 ところが、NPSはまだ不馴れなのか、その方面に疎いのか、さまざまなトラブルが起こった。
 かくいう私も、そのトラブルに巻き込まれた一人で、はからずも私が見聞した、NHKの"権威"と"殿様商法"を、 ここに報告する次第である。

商売は知らないところにアナがある

 昨年2月ごろ、ある出版社が出す子供向け絵入り文庫版の『マルコ・ポーロの冒険』(3巻本)の本文を、私が書くことになった。
 私とNHK(=NPS)とは、何ら接点はなく、また、その出版社も広告代理店を通じて、出版権を獲得していた。
 NHKの番組(アニメ部分)制作には、シナリオに数名のライターが、アニメに1社が参加しており、 その"代表格"のある社が、アニメとシナリオの一部を受け持っていた。

 彼らとNHKの間は、どんな条件で"契約"がなされたか、当方の関知しないことだったが、あとでこれが大きな問題となった。
 出版社は、(昨年の)5月、10月、12月に上・中・下巻を出す、それに伴うシナリオとアニメ写真の使用料を支払う、 ということでNHKと契約した。

 そのとき、NHKは非常に好意的で、一日ちがいで同じ企画を持ち込んできた会社があるがどうしましょうとの相談があった。 ここが奇妙なところで、本来なら入札というか、高く買いたいという方に売るのが"商売"である。 ところが、優先権があるというと、NHKは鷹揚に構えて、ライバル会社にはあきらめてもらいましょうといったそうだ。 これこそ"殿様商法"で、少しでも利益を上げようとはしないらしい。

NHKが震え上がったある事件

 そんなことなど知らずに、私は作業を始めた。原典はもちろん『東方見聞録』だが、シナリオは実写にあわせて作ってある。 実在の人物の足跡を小説仕立てにしようとする、当方の意図とは少しズレがあり、シナリオ通りでは無理が生じたので、 いちど書いたものを全面的に書き直した。

 出版の条件の一つに、事前にNHK側の諒解をとるというのがあって、原稿は先方(NPSと、シナリオ側"代表"会社)に提出された。 これは、紳士協定いわば儀礼的なものと私は解釈していた。つまり、その原稿に対して先方は、何の拘束力もないのだから。

 昨年4月上旬のことである。『マルコ・ポーロの冒険』の放送はすでに始まっていた。 そのころ同じNHKでは、山本七平和氏の案内する聖地エルサレムの特集番組(前後2回)が放送された。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(マホメット教)を、公平に扱ったにもかかわらず、アラブ諸国がこれにかみつき、 NHKに抗議するという"事件"が起こったのである。

 アラブのイスラム諸国は、以前からパレスチナ問題でイスラエルといがみ合っており、 イスラエルの首都エルサレムはわが聖地であるなどと主張、NHKの放送は、 イスラエルに好意的でアラブに不利であるというのが、彼らの抗議の理由である。

 NHKは表向き、受けて立つような感じであったが、実はそうではなかった。
 私の原稿に対する申し入れが、シナリオにどの程度忠実であったかという観点からではなく、 「これ以上、アラブ諸国を刺激してはいけない」との1点にしぼられていたのである。
 いわく、(1)イスラエルの首都エルサレム、という表現は好ましくない。 (2)イスラム教徒のある部族を故意に悪く書いた表現があり、この部族名をぼかすこと。 (3)マホメットが真の予言者であると認めるならば、罪人は罰を受けなくてすむ、という表現は誤解される恐れがあり、 削るか表現をかえること、などなどというのである。

 私は、(1)については、戦後30年も前に国連で決議されたことで、私が勝手にデッチ上げたものではない。 (2)に関しては、シナリオにそっただけで、私の創作ではない。(3)は、これもシナリオにあったものだし、 何よりも原典に明記されていることである。 これでは、マホメットの怒りを恐れて? 原典まで否定しかねない勢いである。

 この事なかれ主義には、いまさらながら驚かされたが、出版は公のもの、協同作業であると私は考えているので、 ことの判断は出版社に任せた(当然、それらは穏便に処理された)。
 予定より少し遅れて、上巻は出版された。残念ながら、アラブ側の抗議はNHKだけで、出版社までは来なかった。 来ればニュースになって、それだけ宣伝になるのだが……。

 アラブ諸国は、NHKが"国営"放送だから、デモンストレーションとして抗議しただけだ。 抗議そのものが目的だったのだが、効果は絶大だった。
 だが、後難を恐れた? NHKは"上からの命令だから"と、NHKとは何の関係もない一出版社の出版物まで規制させたのだ。 この事大主義は見事というほかないし、わが日本の外交と同じく、全く主体性のなさを暴露した。
 それによるトバッチリはなお続く。

シルクロードでマルコが転ぶ

 中巻の原稿を8月中に書き上げる予定で、資料調べなど準備を始めたが、いかんせん、元になるシナリオができてこない。
 8月も過ぎ、9月になり、一体どうなったものかと思っていると、出版社から中止だと連絡があった。

 聞いてみると、中越国境紛争の影響で、中国での取材がストップしているというのだ(国境地帯に立ち入り禁止になった?)。 つまり、どの地域を撮影するかによって、マルコの"物語"が決まるわけだが、その場所が未定では、 シナリオもアニメの絵も描くことができないという。

 ともかく、親ガメこけたらならぬ、中越紛争で、「マルコ」は中絶の巻となった。
 中巻が欠けても、上下2巻ならば、読者や書店、取次店などに何とか面目も立つだろうと、 出版社は下巻の年内発行を目標に、再びチャレンジを開始した。
 ところが、また中国という"障害"が大きく立ちはだかった。

 NHKは中国の中央電視台(CCTV)と共同で、シルクロードを撮ることになったというのだ。 これも、すったもんだして、NHKが、高い撮影料(2億円)を払い、その挙げ句に機材を寄付してくるということだが、 まさか、それが「マルコ」まで波及してくるとは夢にも思わなかった。

 ありていにいえば、NHKとしては新企画に力を入れざるを得なく、先発の「マルコ」は吹っ飛んでしまったわけだ。 700年前、マルコはそのシルクロードをたどって中国に来たのだが、同じ写真を2度使うわけにもいくまい、 それでは、視聴率も悪い、子供だましの番組は遠慮してもらって……となったかどうかは知らないが。 このあたり、スポンサーの意向など気にしなくてすむ、NHKのご都合主義、独壇場であろうか。

 『シルクロード』は、大々的に放映され始めたが、わがマルコはどうなったか?
 年内発売のためには、10月中に原稿や絵がそろわなくてはいけないのだが、11月になっても、まだラチが開かない。 そこで、シナリオを手に入れた出版社は、とうとう今年(1980)の1月末か2月始め発行を目標に見切り発車をし、 私も急にシリをたたかれ、12月中旬に2百数十枚の原稿を渡した。

強い方に転ぶNHK体質

 今年早々、そのコピーがNHK側にも提出されたが、予定を過ぎても返却されないばかりか、 何かと難クセをつけているという(たとえば、上巻にさかのぼって、シナリオ通りでないとか、写真代を上乗せしろとか)。
 それも、NHKではなく、シナリオサイドからで、NPSはいつの間にか逃げてしまったらしい。 わけのわからない話だが、結論からいうと、NHKの下請け泣かせである。 いや、下請けは元々泣くようにできているといったほうがいいかもしれない。

 つまり、下請けは肝心の契約を交わしていなかったというのだ。口約束、あるいは大NHKだから大丈夫という片想いで、 あとはお決まりの、言った言わないの水かけ論だ。
 つまり、シナリオなりアニメの絵を描いていた会社は、NPS(版権代行者)がA社・B社・C社と、 数多く売ってくれるほど収入が増えると考えて(これが当たり前の商取引)いたが、NPS側は原稿は買い取り、 いくらで売ろうが、どこへ売ろうが、おタクには関係ないというようなことだったらしい。

 おまけに、絵の描きなおしをさせられても、それにかかった費用は考慮されないらしく、 人件費など莫大な金額(一説には500万円)をしょったその会社は、そのツケを出版社に回そうと考えたらしく、 私の原稿を"人質"にとってしまったのだ。
 実に日本的で、自己中心的な話ではないか。

 出版社側は、その理不尽な話に乗らず、ついに刊行を断念した。契約通り、 私に原稿料を払った出版社こそいい迷惑である。他の2,3の出版社も同様に企画を断念したらしく、NPSも収入減であろう。

 わざわざ子会社を作っても、版権取り扱いになれた人間がいないとか、手に負えなくなると、 直接交渉してくれと敵前逃亡する無責任さ、下請けの弱みに付け込む傲慢さ。
 一方、アラブ諸国にしろ、中国にしろ、手もなくひねられ、彼らの言いなりになるだらしなさ。

 結局、民間企業とちがって、利潤追求や、ライバルがあるわけでもない、ぬくぬくとした"みなさまの" NHK体質が、 こんなところにも露呈されたのである。
 そして、職員(約1万2千名)は半分でいいといわれながら臆面もなく、大赤字だから、また受信料の大幅値上げ、 義務制にする(放送法の改正)というのだから、"みなさま"こそ、いいツラの皮ではないか。

(情報センター出版局『月刊ジャーナリスト』第31号、1980年5月号)


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