”書くこと”−日本及び日本人

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〔これは30年前の5月、私が間もなく、何度目かの"浪人"をする前に書いたものである。 読み返すと、日本及び日本人は「変わっていない」という印象を受ける。それが、どこから来るのか、 この論文以上のことは、いま空しくて書けない。(2007・03・13橋本健午)〕

日本及び日本人      1977(s52).5.29 橋本健午

 この問題は最近だけでも、在日外国人を含め様々な人々が論じているが、それだけ多様に解釈されるところに、民族の特殊性があるのだろう。
 わが国にも憂国の士から、西洋かぶれの人たちまで、幅広く論客がいる。一つは、日本人は民族として優秀であるというものであり、 もう一つはその反対に、外国かぶれ、すべて劣等、追随、植民地的とする考えである。 しかし、いずれも真の日本人に迫ってはいないのではないか。

 日本人の特性として、右か左か、白か黒かという二者択一的発想しかできなく、その中間、いや"日和見"などという言葉が、 人を軽蔑する意味で、都合よく使われるようになって、その時々の、つまり現実的な判断が苦手のようである。
 あるいは、タテマエとホンネというように、心情では社会主義が理想だと思うが、選挙では自民党へ投票するというようなことが、 しばしば年輩の人に見られるのではないか。

 先日亡くなった江田三郎に象徴される"中道革新"、数年前の石原慎太郎における"体制内革新"などと言葉だけ見れば、 何か目新しいことをするように聞え、それだけ大衆にアピールするらしいが、実情はどうなのか。
 十何年前に、日本杜会党から分離して民主社会党が結成され、その時点での目新しさはあっが、その後伸び悩んでいるのは、 白か黒かの日本人には、中道とか中間という、どっちつかずは理解しにくいのである(もっとも、彼らの政策自体も判りにくいのであるが)。 それに、戦後はずっと保守政権が続き、朝鮮動乱の軍需景気で、昨日の敗戦を忘れた日本、その立ち直りの早さに諸外国は驚き、 いや、いつの間にか経済大国になってしまった。
 (エコノミックアニマルなどと不名誉な名称までたてまつられるようになって、まあ喜んでいる人のほうが多いだろうが) だから、現状のままでいいではないかというのが、積極的にも消極的にも現実的な考えかもしれないが、これは結果論であって、 与えられたものにすぎない。

 日本人は、一般に器用である。手先が器用というだけでなく、生活の中でも物の考え方でも、 なんでも飲み込み消化してしまう能力が備わっている。すなわち、主体性のなさ、付和雷同的なのである。 隣がカラーテレビを買ったので、うちも無理して買う式の、没個性の生き方しかできない。 楽天的であり、あまり悩まないかもしれないが、ビジョンがないのである。

 テレビといえば、この国ほどいくつもの局があって、早朝から深夜まで休みなく放映している国はないという。 スポンサーをつけるために、視聴率を稼ぐために、同じような番組、クイズでもドラマでも、みんな似たり寄ったりになってしまう。 なのに、いずれもある程度の視聴率を稼いでいるから不思議である。

 日本人は分析好きである。彼は右寄りだが中道に近く、真ん中に見えるが左寄りでなどと、微妙な違いを見いだして、 その存在を認めたりする。そのあたりのニュアンスをうまく言い当てたベストセラー小説があった。 『限りなく透明に近いブルー』と、売れるわけである。

 戦後生れが過半数を越えたという現実は、これからの日本を考えていく上で、けして看過できない問題だ。 政治的・思想的にみれば、はっきり○○党支持という若い人はほとんどいないだろう。 それだけ政党が多様化しているのと、各党とも若者にアピールするだけの魅力がない上に、一般から遊離しているからだ。

 さらにいちばん大きな要素は、経済大国になったおかげで、暮らしはゼイタクになったし、平和憲法のおかげで徴兵制もないしと、 これは世界でもマレなことではないか。親は過保護的に面倒を見てくれる、いまが幸せならそのありがたみも分からない。 空気みたいなもので、保守政権が腐敗していようが、新自由クラブが誕生しようが、江田新党ができようが、若者には関係ナイのである。

 つまり、保守だ革新だと標榜したところで、政治家は右も左も愛人を囲っているし、別荘だって持っている。 いったい、両者のどこが違うのかということになる。若者にはあまりタテマエとホンネの使い分けは通用しない。
 今の状態がいちばんよいというのではないが、これしか知らないし、これ以上に(自分にとって)よくなるというのなら、 共産党でも、コジキ党でも、アメリカ政府の支配下であっても、彼らには構わないはずだ。
 若者の政治離れ、浮動票の行方は? などというのは詰まらない分析でしかない。権利行使の自由日本でぬくぬくと育ってきた若者に、 今から手かせ足かせをはめようとしても、もう遅いのである。

 まったく矛盾するようだが、日本人は現実的な民族ではない。リアリストではない。 これは日和見などといえば、後ろめたさを感ずるかもしれないが、いま見てきたようにさして思想・信条の裏付けがないから、 何か目の前の変革、変えたほうがいいなと思っても、なかなか実行に移せないのだ。

 かならず、言い訳を用意する、言い訳民族である。言い訳にも自分自身にする場合と、他人に向かってするものとがあり、ややこしい。 他人はそれほど気にしていないのに言い訳をするのは、己の非、あるいは、失敗を認めるのは面子に関わるというのか、 威厳を損なうと思うのか、とにかく見苦しい。「じつは前からそう思っていた」とか、「いましようとしていた」などと、白々しい。

 主体性がないくせに、己の"意見"を言いたがる。これは、いまの中国が毛沢東の言葉で動いているのとは、 根本的に違っているようにみえるが、じつは似ているのである。自分の言葉を持たないからである。 自分の言葉を持つということは、自分で考えるということである。戦後生まれのテレビ世代の若者だけでなく、 年輩者でも自分の言葉を持っている人は少ない。民族性なのか。
 そのくせ、あたかも自分の意見のごとく述べたてる。ところが、少し論駁されると立ち往生してしまうし、言い訳をする。 自分の言葉を持っておれば、堂々と反論できるだろうし、誤りがあればすぐに改めることもできるだろう。 その潔さ、勇気さえないのである。

 この主体性のなさは、本人だけを責めるわけにはいかない。テレビ世代に限らず、受け身文化の日本人は与えられたもので (別に満足していたわけではないだろうが)、何百年もやってきた。先祖伝来、身についた性格といってよい。 お上に盾突くというような大それたことでなくても、事なかれ主義、あきらめムード、言っても仕方がないというような考えが、 何の疑間もなく存在するのではないか。

 こうした一般的な性向から、もういい加減に目覚めてもよいと思うのだが、責任のいったんはテレビに代表されるマスメディアにあると思う。 マスコミの威力は至るところ、寝ても覚めても好むと好まざるとにかかわらず、全国を覆っているのだから、それから逃げ出すのも容易ではないが、 主体性があれば、あるいは、ちょっと我慢すれば、すぐにできることなのだ。

 また、これだけ街に本や雑誌が氾濫するのは、やはり受け手(お客)がいるからである。朝夕のラッシュアワーの電車の中で、 よくもまあ、あれだけ多くの人が無理な姿勢で熱心に新聞、雑誌、本、それに劇画を読んでいるものだと思う。 これだけ寸暇を惜しんで勉強しているのだから、さぞや日本は良い国になるだろうと期待したいところだが、そうは問屋が卸さない。

 極言すれば、何も身につかないのである。何も身につけないのである。知的でも何でもない、彼らは不安なのである。 時流に遅れずに、人と同じ事をやっていないと不安という、ただそれだけの理由で、本が売れ、新聞が売れ、 そうでなくても満員なのに、片時も目を離さないのだから、出版社や眼鏡屋が繁盛するわけである。
 こうも多種多様な新聞、雑誌、本それにテレビ局(あるいは、一般商品についてもそうだが)が存立するのは、 日本人が分析好きだからである。つまり、あれとこれとはここが違うんだ、今度発売された車はここが新しいのだなどという、 瑣末なことに目を奪われている……。

 一種の愚民政策か? だれがやっているのか知らないけれども、人々はマンマと引っかかって、 他人より一日でも早く知っているといった優越感に浸っている。これが日ごと繰り返され、目先のことを追うのに汲々として、 頭に蓄積されることもなく、その日暮しの「違いのわかる……」人間で満足するということになる。 だから、朝仕入れたことが、夕方にはもう古びて、一晩眠ればすっかり忘れ、また朝になって仕入れて……を繰り返す。

 これでは人生の大きなサイクルというより、一日だけの小さなサイクルの積み重ねが、一生だと思ってしまう。 これが一般大衆、大多数の人の生活ぶりなのだから、天下太平というべきか。
 それにしても、いつまで経っても進歩しない、自信のない日本人なのか。古くは『冠婚葬祭入門』などという、 当たり前のことを当たり前に書いた本がバカに売れたし、いまや『知的生活の方法』なんぞという、 劣等民族をバカにしたような本が売れるというのは、いったいどう解釈したらよいのだろうか。

 現代日本をいささか皮相的にみてきたが、いつまでもテンション民族といわれないように、もういい加減、無駄な緊張、 生真面目さを少し取り除いて、遊び・余裕のある生活をするように心がけようではないか。
 野山に行って、ボヤッとしているだけの勇気? を身につけないと……。 世の中、競馬・競輪・プロ野球など他人が遊ぶのを見るだけが能ではない。
 またぞろ、戦争などという"特効薬"を持ち出されないよう、もう少し知的にならなければ……。


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