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本書はベトナム戦争のさ中、南ベトナムの首都サイゴンに半年間滞在、
4・30の首都陥落を目撃した一青年の日記および書簡からなっております。
10年前のことですが、まだ生々しく思い出される"戦争"でした。
ベトナム戦争に関する日本での報道合戦はすさまじく、われわれを惑わせましたが、
現実は少し違っていたということが、これによって分かりました。
本書は庶民の目、また局外者として見たドキュメントですが、
戦争という極限状況に生きる人々の赤裸々な姿を描く貴重な記録だと思います。
戦争はいつも悲惨です。今でも世界の各地で争いが続いております。われわれにとっても決して他人ごとではありません。
そういう意味でも、ご一読いただき書評などでより多くの方々にご紹介いただくよう心からお願いする次第です。
昭和60年3月 橋本健午(便箋1枚、手書き)
〔目次〕
1 「ベトナム」って何だ? 若者たちを惹きつけたもの
2 のんびり海水浴 しかし、あわただしい正月
3 激しさ増す銃声 徴兵制強化、高騰する生活物資
4 二人の娘から"求婚" 「お願い、日本へ連れてって」
5 「私はベトナムへ戻りたい」 という日本人と逃げ出すベトナム人
6 緊張する日本大使館 共産側の恐怖におびえる市民
7 ついにサイゴン陥落 逃げ足速いアメリカ人
8 来る日も来る日もフライトなし いつ日本に帰れる?
〔解説〕
この"ベトナム日記"は10年前(昭和50年・1975)の4月30日、長い内戦の果てに滅んだ南ベトナムに滞在し、
その"歴史的瞬間"を目撃した青年のドキュメントである。
彼が南ベトナム(現・ベトナム社会主義共和国、首都ハノイ)の首都サイゴン(現・ホーチミン市)
に入ったのはその年の1月、仲間は男女4人であった。すでに戦争は末期に近づいており、
やがて仲間のひとりは現地にとけ込めず帰国し、あるいはホンコンに逃れ、またその地に骨を埋める覚悟で、
身辺整理のため一時帰国している者もいた。
3月、4月と解放勢力の進攻はサイゴン周辺にも及び、ついに陥落、南ベトナムは消失したのだった。
その日(4・30)の在留邦人は人見大使ほか1学生の彼を含め、わずか163名であった(外務省の発表)。
これは、筆者が〈付記〉で「友人たちとの"合作"ともいうべきもので、
数多くの手紙を掲載することに快く同意してくださった皆さんに感謝します」と記すように、
前後6か月にわたるサイゴン滞在中の日記および彼の仲間、友人や家族との手紙のやり取りからなっている。
生原稿に接して最初に感じたことは、われわれが主に新聞で知らされたベトナム戦争の戦況は、
いかにも誇張されたもので、現実はもう少し"平穏"であったと再認識させられたことである。
ベトナム戦争は1945年ごろからしばらくは、フランス植民地主義に対する戦争で、
ラオス・カンボジアなどインドシナ半島諸国を捲き込み、次には米中ソを後ろ盾にした内戦となり、
これは南北に分断された国家の避けられない悲劇となった。
ところが報道では、南の解放勢力は"正義の味方"で、
アメリカとその庇護にある"腐敗"政治家グエン・バン・チュー大統領たちが"悪役"という単純な図式でとらえられていた。
つまり、南ベトナム民族解放戦線の後ろには北ベトナム軍が見え隠れしていたにもかかわらず、
4・30のサイゴン陥落により、ベトナムは完全に"解放"されたと、双手をあげて"大歓迎"したのだった(本文187頁〈朝日〉、
81頁〈毎日〉など)。
しかし、最近になってようやく、誤ったまま"歴史化"させてはいけないという動きが現れてきたようだ。
たとえば、ある雑誌では"ベトナム報道の「犯罪」―あの時、新聞は間違った!
"ほかの特集を組んで、当時の新聞記者をはじめ各界の著名人がその報道姿勢への反省や見直しを行っている
(『諸君!』84年11月号)。
アメリカでも、ここ数年『地獄の黙示録』や『ディア・ハンター』などベトナム戦争を主題とした映画がいくつもあり、
テレビではドキュメント「ベトナム」を13回シリーズで放映(83年)、大きな反響を呼んだという。
また、文学作品は無数にあり、小説だけでも120近くもあると、鮎川信夫は前掲の雑誌で報告している
("「べ平連」はどこへ行った")。
アメリカ人にとって"ベトナム後遺症"は傷深く、66〜69年の米軍による枯れ葉剤散布はベトナム高地の人々の健康をむしばんだだけではない。
グリーン・ベレー(米陸軍の対ゲリラ特殊部隊)のある隊員は、肉体的、精神的な病気に悩まされ、
生まれた息子も身体障害児だったと告白している(78・5・6付東京夕刊)。
そして今、82年の米CBSテレビのドキュメンタリー番組をめぐって、ホットな戦いが繰り広げられている。
68年1月の南ベトナム解放勢力によるテト(旧正月)攻勢のとき、
当時米南ベトナム援助軍司令官W・ウェストモーランド将軍が、
解放勢力の兵力をジョンソン大統領に故意に過少報告したというもの(「数えられなかった敵―ベトナム戦争のある虚偽」)。
これに対し、同将軍は名誉を傷つけられたとして1億2千万ドル(約300億円)の損害賠償を請求する裁判を起こしている
(84・10・24付東京、同11・4付毎日)。
なお、NHKラジオ(85・2・19)朝のニュースによれば、大詰めの段階で将軍側が"勝ち目なし"と告訴を取り下げた。
いずれにしても、サイゴン陥落までの11年間にわたった泥沼の戦いに、延べ250万人の兵力を投じ、 5万8千人が死亡したベトナム戦争は、何だったのかと改めてアメリカ国民に問いかけている。 ある意味では、介入したばっかりに、その多くの国民が"犠牲"を強いられたといえる。
また、いま日本の若者の間で流行っている"一気飲み"は韓国が元祖? とか。 かつての夜間外出禁止令の影響ともいうが、ベトナム派兵経験者の"後遺症"も見逃せない。 いつゲリラに襲われるか分からない恐怖心を和らげるために、グイグイ飲む。 それがいまだに習慣となっているという(85・1・19付東京)。
この他、20年前のトンキン湾事件(68・8・4)―北ベトナム海軍による米駆逐艦攻撃―は、 ベトナム戦争拡大の重大なキッカケとなった"事件"とされていたが、最近になって、 その事実はなかったということが米紙の報道ではっきりした(「今、なぜベトナムか」谷川栄彦ほか84・7・10付朝日夕刊文化欄)。
このような、歴史をくつがえす? 新しい"事実"も出始めており、
まだまだ簡単に過去のものとして忘れ去っていいものではない。
しかし、日本人は同じ東南アジアの一員として、"他人ごと"のようにしか考えていないのはどうしてか。
無関心なのか、それとも、戦後40年間国土を荒らされたことがなく、
他人の"痛み"に不感症になってしまったといえばいいすぎだろうか。
戦争はゴメンだ。人は殺し合ってはならないと誰しも思うが、今でもイラン・イラク戦争があり、
当のインドシナ半島でもベトナムと中国、ベトナムとカンボジア間で紛争が続いているという現実から目をそむけてはならない。
ベトナムとの貿易は盛んな日本だが、インドシナ難民の受け入れは、米国の約70万人、オーストラリアの約9万人に比べて、
昨年末まで約3800人と、その"協力ぶり"は心もとない。
先にふれたように、ベトナム軍は昨年4月から中越国境での臨戦態勢に入り、12月にはカンボジアにも乾期攻勢をかけている。 そのこと事態がにわかにわれわれの生活にかかわって来ないかもしれないが、客観的で冷静な報道がなされているだろうか? 以前と同じ様相を呈していなければ幸いである。
ところで、4・30以降のベトナムはどうなったか? ハノイ政府による共産化は、 当時サイゴン市民が最も恐れていたことであり、解放勢力の兵士は、 同志と思い大歓迎した北ベトナム軍に次々に粛清されてしまったという。 南の解放はすなわち北の支配、サイゴンの資本主義が共産主義に敗れたのである。
ただ、ポル・ポト政権下のカンボジアのように、250〜300万人もの国民が虐殺され、人口が半分近くになるという、
ひどいことはなかったが、現在のベトナムでは生活物資は不足しており、しかも配給制と、かなり不便を強いられているようだ。
そして、いま中ソ間の亀裂や反目などが、インドシナ諸国を政情不安に陥れている。
このような現実に、死んだほうがましと考える、サイゴン市民の本能的ともいえる共産化への恐怖心は、 当事者でなければ分からないことであろう。そして、何としてでも国外へ出たいというのを、 ただ単に、わがまま、身勝手と決めつけ、国を捨てる、家族を捨てるのはいけないことだと他人が言うのは簡単だが、 生きることへの執念は、われわれの想像以上のものだろう。
作家でも新聞記者でもない青年の筆により本書は、誇張もなく淡々としており、かえって新鮮であり、
皮肉にもより真実を伝えているといえる。
つまり、日記や私信には人々の本音、真情が吐露されているからで、
また毎日のようにビールやジュース・家賃などの物価を克明に記載し、変転極まりない市民生活を伝えているのも、
ドキュメントとして意義深い。
われわれ日本人にとっての、ベトナム戦争はいったい何だったのか、いや、戦争と平和という永遠のテーマを考える上で、 また、青年の生き方を考える上で、本書は一つの問題提起をしてくれるはずである。
〔書評〕
ベトナム戦争終結後10年経った1985年、同戦争関連の書籍10数編が取り上げられたうち、本書についてはこうある。
「陥落前後をサイゴンで過ごした全共闘世代の若者の日録だ。ここでも、
解放を目の前にして日本人青年と"偽装結婚"して国外へ脱出しようとする二人のベトナム娘の苦悩ぶりが印象に残る」
(「ナイーブだった?ベトナム報道/10年後に読むベトナム関連書/10年の意味とその変質/事態をあからさまにした『報道の自由』」、
評者:中西昭雄、「週刊読書人」1985・6・30)