”書くこと”−H.Y君を偲ぶ

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H.Y君を偲ぶ

(1944・3生 1962・4露文学専修入学 1964・2没)
  女王様
  女王様
  あなたは
  二十歳のお誕生日には
  子供になられますことを

           『詩集 幸子』(1965・5)より


「アウトサイダー」に訣別可能か?

	  貴方はいつも考えてばかりいる
	  そしてその考えはいつも堂々めぐりをしている
		――私はまたも彼女にそういわれた

	  行動しなさい
	  やって見なければ判らないじゃないの

	  アウトサイダーもいいけれど
	  20才じゃアウトサイダーにはなれないわ

	そして最後に
	  しっかりして下さい
	  どうして自分を他人に認めさせようとしないの

	  しっかりしてちょうだいよ
		――ああ、サヨナラ
  (1962・12・1"ドストエフスキーの君"との会話)
   断片1               1962.12.1

	君の輝く瞳は
	 曇りを知らぬ宝石(ダイヤモンド)
	いつも大きく見開いた
	 その眼は
	 天網のように厳しく
	小さき身体は
	 高貴な精神の固まりのように
	きゃしゃに見えても
	 戦車のように頑丈で
	大地を独り飛びまわる

   断片2               1962.12.1

	君の唯一の恋人は
	 かの雄々しき神だった
	だが君が彼を捨てたのは
	 彼が君にとっての
	"神"ではなかったからだ

   少女−あこがれ−           1963.5.18

	スカ−トの下から
	無造作に投げ出された
	少女の白い脚は
	まだあどけない その顔のようだ

	男を意識しない
	その無防備の姿は
	何の感興も呼ばないかわりに
	なにものをも寄せつけない

	観念の上で どれほど
	思慮深く 賢明であろうとも

	彼女はやはり 女ではなくて
	少女だ
	決して永くは続かない 一回限りの

<この年、私は21歳の誕生日を目前にした6月15日盲腸炎で入院手術した。
6月18日彼女は白い百合の花と文庫本を一冊持って見舞いに来てくれた>


〈無 題〉

	ひとりの友の死
	それも突然の死

	彼女は恋をしただろうか
	人間的な歓びを知っていただろうか

	死はあまりにも多くのものを奪う
	愛、友情、信頼……

	それはすべてのものを裏切る
	愛、友情、信頼……

	冷酷で無残な仕打ち
	どうして彼女だけがそれを望もうか

	それなのに彼女は
	一言もいわずに去ってしまったのだ    (1964.3.4)
*1964年2月、第2学年後期の試験中、英語だったか時間前にできて、彼女とほとんど同時に席を立ち、笑顔で別れたのが最後。
ノオト                  1964.3.4,12

「私は混血児だからといって、それを僻んではいませんわ。むしろ、誇りに思っている位です。 一番大事なことは、人間として、どうあるべきかということだと思うのです。 ……私はロマンチストです、とっても幸福なんです。……」

 彼女、山河真由美は、それからしばらく喋った。初対面の人々の前で、 自己紹介する彼女の態度には自信のようなものさえあふれていた。 小さな体に、瞳をキラキラ光らせ、おまけに非常に美しい声で、一座を圧倒した。

 後から聞いた処によると、彼女は日本で生まれて、日本語の中で育ったから、全く自分の国の言葉を知らないという。 それに、クリスチャンだということも判った。


 僕たちの生活は、始めこそ華やかそうに見えたが、次第に色あせていった。 誰も新しい友を見つけようとするのだが、自分の気にいった人には出会えない様子だった。 未知の人には興味を抱く、そして、機会さえあれば、いや何かと口実を見つけ、その人に近づき、声を掛ける。 そして一緒にお茶を飲みに行って、帰るときはもう別々なのだ。それを何度も繰り返すものがいた。何度も……。

 皆孤独なのだ。しかし、孤独というものは、友を見つけようとすることでは解決されない。 友はいくらでも作ることができる。女友だちにしろ、一寸した腕次第で、手に入れることができる。 しかし、何度も相手にしているうちに、もう付き合うのが面倒になってしまうのだ。 別にその女に飽きたからというのでもない。移り気なのでもない。その女と寝た処で、やはり面倒を感ずるのだろう。 それは誰でも同じことだ。他人を観察しておれば、今言ったような共通なものが容易に見出されるのだ。


 ある男に例をとってみる。彼は始めの頃、まだ幽(かす)かな夢を持っていた。 そして、自分のやりたいと思うことを思う存分やれるのだと思っていた。 そういう意味では、彼も幸福だったのだ。彼は自分を知っている積りでいた。 処が余りにも自分に執着したばかりに、自分を取り巻く外界のことには眼を注いでいなかった。 いわば、あの真っ直ぐに走ることしか許されない、目隠しされた馬のようなものだった。 その馬には走るという目的があるが、彼には何もなかった。

 暴走しようにも、その元気と能力を備えていなかった。彼はそれに気づいた時、愕然とした。 そして「自分は20年間、何もしなかった」という言葉で、自分をも他人をも欺いた。 この挫折感はどうすることもできなかった。

 しかし、彼は凡てを始めからやりなおせということに気がついた。彼も、他人と同様に、女の子が好きだった。 女っ気の全くない処に育ったヾけに、彼にはどの女の子も綺麗に、魅力的に見えた。だが、直ぐに彼は女の子が恐くなった。 それは二、三の女の子と話してから、しばらく経って、彼にはファイトがないという噂を耳にしたからだ。

 いまの自分にファイトを望んでも仕方がないじゃないか、始めからやりなおそうと思って暗中模索している状態なのに。 何に対してファイトを持てというのだろう……。
 彼はしばらく学校を休んで家に閉じこもって、そのことばかり考えていた。 友の心配するのもよそに、彼は悩み続けたが、そう簡単に解決のつく問題ではなかった。 しかし、彼ばかりでなく、こういう大なり小なりの悩みを授けられた男がいるということも判って来た。

 自分ばかりに眼を向けていると、自分を見失う恐れがある。 まわりに何が起こっているのか、世の中がどのように動いているかを知ることも必要なのだ。
 真由美はほがらかだった。活発な女の子だった。彼女は自分自身に無関心のように見えたが、 その実、一番自分に執着しているのだ。


 彼女は僕を見舞ってくれた。僕は盲腸の手術を受け、経過もよくて元気だったが、薄汚い病室で、一人寝ているのに、 少々飽きが来るころだった。
 友だちが知らせて、彼女は直ぐに来てくれた。初夏で、もう大分暑くなりかけていたが、彼女の来たのは夕方だった。

 久しぶりに見る彼女の姿は、私にはとてもまぶしかった。和やかで元気そうで、非常に美しかった。 私は今まで、そんな彼女を見たことがなかった。病気の私の眼だけに、そう映ったのでないことは直ぐに判った。

 彼女はきれいだった。殊の外きれいだった。大きな白い百合の花をたくさんもって来てくれた。 そして、貴方にはこれがいヽでしょうと、シュトルムの短編集を、悪戯っぽい眼をして、私の枕元においた。
 彼女の来てくれたことが、僕にはとても嬉しかった。起き上がると、まだ頭が重かったが、無理してベッドの上に座った。


 彼女の突然の死は、我々に、いや僕にどれ程、深い悲しみと憤りを与えたことか。彼女はもうこの世にはいない。 昨日まで、僕のそばにいた彼女は、もう永久にその姿を現わさないのだ……。

(未完)


〈無 題〉

	  汚れを知らない
	   白い清浄な手

	  無心に動く
	   感動的な仕草

	  本当の意味を理解するまでに
	   至っていない年齢

	  短くはかない生涯の
	   この輝き               (1964.3.30)
*当時、死因は急性肺炎といわれたが、信ずるものはいなかった。その後、24年ぶりに事実が判明した。
「日記」より                       1965.1.13

 きょう、暮に出ていたクラス誌第2号を渡される。…明らかに創刊号より劣る。 私は自分のものが載っているというそれだけの理由で買ったようなものだ。死んだH君の作品がかなり載っている。 …あの彼女の実在のすばらしさに比べて、作品の方は何かほほえましささえ感じられる。

 私は彼女の死を未だ確認していないが、どんなものだろう。誰の胸にも何らかの悲しみをもたらさずには去らなかった彼女は、 冷たい土の中でなにを考えているのだろうか。……

 彼女の死を電話で友から知らされたとき、葬式に行かないのかといわれた。
充分間に合う時間だったが、行かないと言った。行っても私の会いたい人がもうそこにいないのだからと。 その時、友は私をなじった。私の彼女に寄せる気持を他人ごとならず知っていた彼が、 わざわざ電話して一刻も早く私に知らせようとしたのに。

 私はその死がとても信じられなかったし、もし本当だとしても、どうして私の会いたい人がいない処に出かけて行けよう、 余計悲しみが増すばかりではないか。
 私は彼女が好きだった。しかし、それゆえに私はしたり顔でそんな席には出たくはなかった。 私のこの考えが間違っているだろうか。冷酷だろうか。 私は悲しみのために、悲しさを求めてひとりの人の死をとむらうことなどとてもできない。

 まの当たりにその現実を見るよりも、私の心の中で、ひとり元気で快活な彼女を生かしておきたいのだ。 その方がどれほど彼女にとって慰めになることか。
 もうすぐその日がやってくる、彼女は永遠に若いままだ、純潔なままだ。


   霧の中 −В Тумане−        1965.11.3

	真冬の朝のように
	 あたり一面立ちこめている
	 濃い霧の中で
	さっきから
	 じっと私を見つめているのは
	 お前ではないか
	たった二つの街灯だけが
	 ぼおっとかすんでいる
	 そんな下で
	私が窓を開けるまで
	 お前は何時間待っていたのだろう

	お前は そこに立っているお前は
	 二年前にさよならも言わずに
	 とつぜんこの世から姿を消した
	あれは冬だ 珍しく雪の降った日だった
	 私の眼前から消えて久しい
	そのお前がまた突然この霧の夜に
	 私の前に現れるとは
	お前は雪の精か それとも霧の子か
	 いやいやそんなものではない
	 きっと神の造った妖精なのだろう

	でもお前はいたずらっ子だった
	 お茶目さんだった
	今もまるで以前と変わらない
	 相変わらずお前は天真爛漫に
	 とびまわっているのだろう
	お前が私の前にだけ現れたと言ったら
	 みんなが嫉妬するだろう
	でも私はみんなに
	 お前が来たことを伝えよう
	濃い霧にまぎれて お前が
	 天上から舞い降りて来たことを
	そしていつものくりくりした眼と
	 愛らしい笑顔をもって
	白い衣装がよく似合うのが
	 少し気にかかるけれど
	ともかく元気だったと伝えよう

	お前は天上界でも
	 思慕者をたくさん引き連れているらしい
	それが証拠に お前の純白のはずの
	 着物に処々真っ赤な血の跡が
	 あるではないか
	お前はもっとつつましくしていないと
	 天上界からも追い出されるにちがいない
	そして行くところがなかったら
	 私のところへそっとおいで
	 私がかくまってあげよう

	お前はそんな処にいて
	 寒くないのかい
	風邪を引いたら本当にお前はどうするのだ

	早く帰りなさい
	 お前の住んでいる処へ
	 もっと暖かい国へ      (午前2時)

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