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わが高槻との縁1  ―中学時代―

わが高槻との縁1  ―中学時代―   13期卒業50年と古希を祝う会  2011・11・03 橋本健午

1955(S30)/3・12〜中学受験で大阪・茨木市の長兄宅に同居/3・14,15高槻中学校を受験(17合格)/4月、同中学校に入学 /4・16身体検査:身長142・0cm、体重30・4kg、胸囲61・0cm、座高78・5cm:視力ともに1.5(3年次ともに1.2) /5月テニス部に入りたいとラケットを買ってもらうが、1年間お預け/夏休み、10日間の補習が終わると帰省(8・10唯一の登校日;欠席届を出す) /2学期早々、実力考査(学年で45番)/秋、初めての運動会;練習して1500mに出場。 トップだったが「小さいのが早いはずがない」と、もう1周(200m)走らされる/遠足は「また京都か」という具合に京都ばかり行っていた /冬:ませた同級生にスケートを習う(梅田リンク)

1956(S31)/[2年よりテニス部〜高1]/2年以降;成績によりA・Bの組分け /8・13「テニス初めての対外試合。練習するもの少なく、2チーム作るのがやっと。全く勝てず」前衛/実力考査;学年で50番 /10・*運動会1500m6位/冬休み前テニス部で3000〜4000mを何回も走る /学期末終了後、すぐ帰静《中国・大連→福井県小浜市→静岡県湖西市→大阪府茨木市→東京都調布市》

1957(S32)/[3年2学期より新聞部〜高3のはじめまで]/1・8始業式/1・9〜テニスの練習 /2・13耐寒マラソン7位(3位に付けていたが踏切遮断で抜かれる)/3・8春休み、さっそく映画を見る/3・18またも映画を見に /3・27新川君のチェロ演奏を聴きに行く/4・27遠足(枚方)14,5名で先に行きすぎ道に迷う /4・28春休みに骨折したテニス仲間を見舞う(6人で『赤と黒』を贈る) /5・4 初のテニス対校試合(島本中に遠征)。成績余りかんばしからず。その為か愚痴が多い。コートが悪いとかネットが高いとか、いいたい放題 /6・6「此頃流感はやり、我学級も遂に閉鎖となる。しかし、小生は至って元気で流感の気配など毛頭なし」 /7・12より試験。17日より休み/10・1-4第2回卒業旅行(南紀:瀞峡-串本-白浜-千畳敷-潮岬-那智の滝-京都大学臨海実験所) /10・13運動会;3度目の正直で1500m1位に/10・17より試験 /10・19,20中モズで府下中学総合体育大会(テニスで出場、大阪で第5位となったが、又もや1勝もせず)/11・1奈良へ遠足/11・2枚方一中でテニスの試合 /11・12「新聞部に入り、テニス部と二つかけもつ事とした。次の日、早や新聞の仕事があったのには閉口した。 しかし、S氏(東大入学)の原稿なので喜んでした。「軟式野球を学校で生まれて初めてしたが、案外当った」 /11・25又、流感が流行っているが、生徒は余り休まなく、先生の方がひどいので、毎日一時間位自習になる /11・30同志社音楽会を聴きに行った。今年二度目であると共に生涯二度目の音楽観賞であった/12・3-6試験 /12・18「学習院学生の心中目立つ。心中は学習院に行かなくとも出来る。又、心中なんかしなくともよい。 自分で死ぬ事は己の意思とは云え、一番くだらない。死んでしまえば、すべてが終りである。漱石曰く『生れぬ先を思へ、死んだ後を考えよ』」と /12・24クリスマスイブ:関響の大音楽会を聴きに行った。辻久子のバイオリンを聴いた

1958(S33)/1・9体育の時間約3000mを走る1着・11連勝/1・13タバコを吸わない決心をする(税金をケムリにするのがいやだから…) /1・19関大の数学の問題をやれといわれ、3問中2問できた /1・28体温39度3分、こんな高熱は初めて(医者に来てもらう)。そのわりに辛くないが翌日休む(3年間初の欠席) /2・10,11高校進学試験/2・13(中3)校内マラソン大会初優勝(コース変更11,300m;前年の運動会1500mに勝って以来中長距離18戦全勝)自ら記事を書く(学園新聞64号) /2・27-3・1学期末考査/3・1「四月一日から売春禁止法が実施されるが、大方の業者は本日限りでその営業を止め、新しく他の仕事により出発するという。よい事である」 /3・8卒業式(証書第2197号/精勤賞(3ヵ年)


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