”書くこと”トップレス・ゴーゴー

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1969/9/28 橋本健午

 巨大な、というよりは、だらりと垂れ下がった乳房を、ゆさゆさと振りながら踊っている黒人の踊り子。
 処は、新宿区役所通りに面した、さるビルの三階にある、ゴーゴークラブ。
 幇間は、畳半畳の広さで、如何に芸を大きく見せるかという話を聞いたことがあるが、半畳よりは、やや広い真四角の、 その中央からライトが当たっているステージの上で、彼女は踊っていた。
 人慍と、煙草の煙で、ムンムンする室内で、後ろに、三人の若者のバンドを従えた彼女を取りまくのは、 そのトップレス・ゴーゴー踊りを見んものと、陣取った男性客ばかり。 よく発達した肉体は、見事なものだが、どう見ても、その大きな肉体の、更に大きく激しい踊りには、見るものを圧倒するものの、 美的感覚には程遠く、ピンクに塗った唇と、ひっつめ髪の小さな頭が、何だか場違いで、ついていけない感じである。

 彼女の、異様に発達した腰、それにひきかえ、どっとくびれた足首など、やはり野生に近いものを思わせる。
 隣に座った男が、何を食っているんでしょうねと、言った。
 巨大な双の乳房は、リズムに合わせて、左に回したり、右に回したり、あるいは同時に内側に回したり、自由自在で、 それだけ大きく、垂れていなければできないわけで、それを芸というのだろう。
 しかし、何とも言いようのないのは、年齢的な肉体の衰え。
 皺ではないが、よく、お年寄のふくらはぎなどに見える、大根にスが入ったような、皮膚がそげたような、 それと同じようなものが、彼女の乳房の付け根のあたりに窺える。
 二十いくつか、三十いくつか知らないが、はっきりと見えて、嫌なものである。
 他の人々は、どこをどう見ていたか、とにかく、私には、ぞっとする光景であった。
 尤も、彼女らぐらいになれば、当り前のことで、初めて見た私の驚きの方が、異常なのだろうが、そんなことにお構いなく踊るところが、芸人の芸人たる所以だろう。

 しかし、その前後に踊った、日本の女の子の、やや貧弱な乳房、肉体の動き、踊りの方が、どれ程、安心させられたものか。
 言ってみれば、彼女らのは、芸ではなくて、自らの、踊りへの没頭、即ち陶酔であって、 たとえ、ブラジャーをはずして踊っていても、色気を感じさせるものは何もなく、ただ、激しいバンドの響きと、 それに合わせた身振り手振りで、終れば、さっさと男の処へ飛んで行く。
 芸なんていうものには、程遠いのである。
 それを見せられる方も、新宿には、こういう店もあるんだ、一度覗いて見ようじゃないかという位で、 さして期待する程のものでもないだろうし、客の殆どが、まさか女体に飢えて、或いは、知らずに来ている訳でもないだろう。
 どうやら、中年の、或いは、それに近い連中の来る処であって、自ら踊ることで発散させる若者には、無縁の場所である。
 彼女らの肉体の線は、一様に奇麗だが、さして発達していない肉体を見せつけられて、矢も楯もたまらなくなる人間なんて、いないだろう。

 とはいうものの、己の肉体を、誇らしげ(?)に、さらけ出して、金になるだけに、見ている側の、男共の視線、 何とも哀れに見えてくる。
 日中、汗水たらして、わずか数万の金を得て、夜一時間かそこら、女の子の乳振りダンスで、数千円が吹っ飛ぶ。
 女とは、何と生き易く、男とは何と可哀そうな存在なのかと思っているうちに、黒人女は、三曲程、義務的(?)に踊って、 にこりともせずに、さっさと引き上げてしまった。後に残った若いバンドマンが、ひときわ高く、がなりたて、 拍手を、拍手をと催促するが、客は何の反応も示さない。

 バンドマンになめられ、二十才前後の、トップレス―乳房の小さく、貧弱な―ゴーゴー・ガールに、阿呆かいなという眼で見られ、 今日も新宿の夜は、何事もなく、更けて行くのであった。
                               <了>  (5枚)


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