からむコラム 2002年4月号
「100円の缶入りお茶で、国政を論ずるとは」
いつから始まったのだろうか。先日も自民党のある委員会(議員運営小委)で、100円かそこらの缶入りお茶をならべて、
十数人のお歴々が討議している?ような光景がテレビで放映されていた。
彼らや党本部、あるいは選挙民は、このような場面をたびたび見せられて、情なく思わないのだろうか。
他党の場合もそうだが、いやしくも国政を論ずる方々が、こぢんまりとした町内会や屋外の子ども相手の会合と同じように、
近くの自動販売機で調達してきたかのような飲み物で、それこそお茶を濁すというのは、どうにもいただけない。
一方、同じころに放映された中国全人代(全国人民代表者会議)の各人の前に置かれた白いふたつきの陶器の素晴らしさには、
見入ったものだ。
日本の国会に当たるこの全人代と同日に論ずるつもりはないが、だれも気がつかないのか、いやせめて茶托つきのお茶碗でも出す予算もないのだろうか。
それとも、大事なスポンサーからの"政治献金"ならぬ、差し入れでやむを得ず並べているのだろうか。
地位や立場に相応しい、風格というものが必要であるが、それこそ無いものネダリということか。
「いまだに終らない日本の戦後」
さいきん日本遺族会会長の古賀誠・前自民党幹事長は、韓国で"靖国神社"問題について金大中大統領と会談したあと、
「韓国、中国が緊張する八月十五日や、公式参拝にこだわる遺族会の活動のあり方がいいのかなどを考える時期にきている」と述べ、
参拝時期や方法などについて、再検討する考えを改めて示したという(東京02・4・3)。
現職の日本遺族会会長が韓国の大統領と会うのは初めてであり、かつこのような発言をみると、
この夏の"恒例行事"の行方は大いに注目すべきである。
昨年はどうだったか。小泉首相は「二度と戦争を起こしてはならない、戦没者の方々に哀悼の誠をささげたいという気持ちで参拝したい」と、
八月十五日にこだわったものの、その二日前に参拝してお茶を濁したが、はっきりと「ひとえに選挙に勝つため、日本遺族会の票をあてにしているのです。
十五日の参拝は彼らとの"約束"です」と本音を言えばよかったのである。
中国や韓国の要人たちはそのあたりの事情を見抜いていながら、太平洋戦争のA級戦犯も合祀されている靖国神社に首相が公式参拝するのは遺憾と筋論で攻め立てる。
しかし、わが国の新聞記者たちは知っていても書かないから、一般大衆は報道される両者の意見の食い違いに「?」がつくのである。
過去を学ばず、現状を正しく認識していない多くの日本人は不幸、いや極楽といえる。
日本遺族会と類似の圧力団体には軍恩連盟全国連合会などいくつかある。
昨年夏の参院選では自民党の比例代表候補である日本遺族会副会長と軍恩連盟特別顧問の小野清子(元・オリンピック体操選手)が上位当選を果たしている。
かくして、わが国には"戦後"がずっと続いていく世界が厳然と存在する。
ちょっとコラム「男子トイレにビデとは?!」
ある駅前のファミリーレストランのトイレ「大」に入った。
洗浄装置つき、便座も暖かく、冷えていた私にはありがたかった。
しかし、ビデ付には頭をかしげた。経営者は気を利かせたのだろうか。
男には不要のものと思いつつ、女性用にあるのもやはりヘンであろう。
店はその名のとおり、子ども連れも利用する"健全な施設"である。
その昔、ある高名なシャンソン歌手が新婚旅行でアメリカに行った。
ホテルのトイレで装置をいじっていると、なぜか熱いお湯が出て、女性の大事なところがヤケドし、
一週間ほど使いものにならなかったという。まだ日本人にはビデが珍しい代物だった時代である。
ちょっとコラム「ボーナス払いはできません?!」
この4月から医療制度の改革に、「労働者に自己負担増と犠牲を強いる医療保険制度改悪反対!」とビラを配ったのは革マル派だが(4・10日比谷公園)、
一方、診療報酬の引下げなど、病院も経営が厳しくなるともいわれるが、改革するところもある。
ある大学病院では、毎回の診察料や入院費用の支払いに、現金以外にクレジットカードでもよいことになった。
あるとき、1週間分の入院費、数万円をカードで支払おうとすると、「お支払いは一括ですか、分割ですか」と窓口嬢が聞く。
「分割払いもあるのですか」と聞き返すと、「ええ。でも、ボーナス払いはできません」だって。
素晴らしい"企業"ではないか。
ちょっとコラム「ぴん札はニセ札?!」
まとまった1万円札の新券(ぴん札)を、郵便局のATMで入金しようとしたところ、
数枚は入金したものの、何度入れなおしても、残り2枚を受け取ってくれない。
ぴん札はくっつきやすく、機械は正しく数えられないのだと思い、ひっくり返したり裏返しにして試みたが、ダメである。
まさかニセ札ではないだろうと思いつつ、後ろに並ぶ人もイライラし始めたので、あきらめて別の局に行った。
何気なく前の人の様子を見ていると、ポケットから取り出した1万円札は、くたびれているようだったが、機械はすんなりとそれを処理していた。
なるほど、折れ目でもつければよいのかと、適当に折って入れたところ、やっと受けつけてくれた。
新券は両替のお客さんに喜ばれるだろうにと思ったのは、余計なお世話だった。
お金の世界でも、多少は世間の荒波に揉まれたほうに価値があるようだ。
ちょっとコラム「歌える方はご起立を!」
昨日、ある都立高校の入学式に列席した。
正味1時間ほどの式次第は簡素でよかったが、一人ひとり呼ばれた新入生のうち、
ハイと返事をしたものは300余名のうち3割もいただろうか。
一方、茶髪は男女とも1クラスに5、6名はおり、「標準服」という名の"制服"を着用していなかったのは2、3名で、
1パーセントに満たなかった。「みんな右へ倣え」のなかで、今後どうするか、かなり勇気のいることだろう。
新入生代表(女生徒)の「誓いのことば」は書いたものを読み上げるだけ、かつよく聞き取れないのに、
校長は「元気な声で、ありがとう」というのはソラゾラしかった。
"来賓"がPTA会長や同窓会会長というのは、ちょっと違和感を覚えたが、かといって区長や市長、
教育委員長などの紋切り型のあいさつよりはよいか。
壇上に日の丸があるのは、さいきんに始まったことではないが、国歌斉唱で教頭が「歌える方はご起立ください」
と呼びかけたものの、立ち上がったのは来賓と数名の教師、それに他の動きを気にしながらの十名に満たない保護者(母親)であったのは、
健全というべきかどうか。
ちょっとコラム「Eメール離婚?!」
結婚して半年も経たないA子さんは、夫の許可を得て実家に帰っていたところ、
出張先の夫からEメールが届き「家風に合わない」と、一方的に離婚されてしまった。
理不尽とは思うものの、気丈にも「家具を取りに行きたい」というと、
「もう来るな。家具はそのうち送るから」と、敷居も踏ませない剣幕だったという。
花嫁修業のためと仕事も辞めさせられ、一度は決まって、案内状まで出していた結婚式を
「半年先まで延ばす」といわれても、マンションを買う、新婚旅行は憧れのヨーロッパというので我慢したA子さんは、
いま弁護士を立てて慰謝料と損害賠償を求めるところまで来た。
いまどき、"家風"とは何ぞや。先方はさぞ大層な家かというと、そうでもないらしい。
そもそも、新郎の出身校でもない私立大学のチャペルで挙式したのは、母親がその大学で絵を教えていた関係からで、
式当日にはその母親の絵が麗々しく飾られていたそうだ。
花嫁修業+母親の絵+Eメール=離婚、すなわちこの家の"家風"であろう。
こんな家風は、だれにも合わせることができない。
(以上、2002・4・11までの執筆)
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