似非エッセイ 2003年7月上旬号
「あまりに"人間的な"共産党」
いま、日本共産党は面白い!? なんて、思っている"人民諸君"は甘すぎる。
たしかに、政党支持率は下がる一方、政策もいま一つ、訴えるものがない。
多くの国民やマスコミが、ブッシュの一の子分、イラク支援の小泉首相を支持する状況に、
革命なんて、起こす気力も、要因もないだろう。
相変らず、旧態依然の体質かと思っていたところ、自衛隊容認、天皇制OKという"バクチ"に出ただけでなく、
セクハラまでやる幹部も現われ、あげくに酒を飲む時の届け出制度まで再確認するにいたり、
すっかり"当り前の日本人"以下の集団になってしまった、ところまでは周知の事実。
さて、党員は目減りしても、政治献金("党員費")は自民党より多く集まり、
唯一つ助成金を断わっている政党だ。
そんなクリーン政党というイメージを一発で崩した、酒+セクハラの幹部Fは"反逆者"どころか、
党改革の"功労者"であるそうな。
これまで、その性格上、資本主義的なPRは難しく、マスコミには敬遠されているため、
党本来の姿が見えなくなっていた。つまり、"自衛隊容認、天皇制OK"だけでは、インパクトが弱かったらしい。
そこで、もっと大々的にマスコミに取り上げられるには、と考えた末のF作戦?
批難轟々の報道に困っているかと思えばそうでもない。
酒飲む時の届け出制をなぜ"確認"したのか、そんなプライベートなことに一般党員がなぜ反発しないのか?
同志諸君、疑問に思いませんでしたか。
結論を急ごう。なんと、多く集まった"献金"の使い道に困った末、届ければ半額は助成するという"党規"があり、
これが表沙汰にならないように、一芝居打ったというわけである。《ああ、わが「4月1日」は、まだつづく……》
「無限、無念、ふげん!?」
今度は、二代目+取りまき=金にまつわる事件、のお話。社名を「無限」というのも、暗示的ではある。
日本有数の先駆的な起業家を父に持つ二代目の悲劇、といおうか。
息子を後継者にしなかった、先見の明あるその父親Hは、草葉の陰で(あるいは天国で)、
"無念"の涙を流していることだろう。
"むげん・ムゲン"には、無間(地獄)とか、夢幻などの言葉が当てはまる。
一方、"無限"と書くと、無限大(∞)とか、無限責任など、"限りのないこと"を表わす。
親であれば、子に対して"無限の愛"あるいは"無償の愛"があってもおかしくないが。
社長自身は、"無限の可能性"を期待して命名したのかもしれないが、今度の事件で、
"甘いボンボン"と見られてしまったようだ。
父親に倣って、経営をすべて"右腕"に任せたというが、"人を見抜く"才能までは引き継がなかったようだ。
余談だが、1960年代後半から流行った、エレキバンドによる音楽に合わせて踊りまくるディスコ・クラブがあちこちにできた。
中でも、若者ばかりか有名人を集めたのは赤坂のMUGENで、68年5月から87年2月まで21年余つづいたが、
無限ではなかった。いや、どの熟語を意味していたのだろうか。
もう一つ、"ふげん"すれば、福井県敦賀市にある、わが国独自開発の原子炉「ふげん」で、
廃棄物を燃やしていて爆発事故が起ったのは今月4日、放射能もれや被爆者はいないというが、
どんな漢字を当てるのだろう。
「付言」、「浮言」、「不言」、「富源」、いや「普賢(菩薩)=延命菩薩」かな?
"延命"を願ったのかもしれないが、今年3月で25年の運転を止めたばかりとか。
「戦前の献納・献金は、いまのフリマの"国営化"か」
前回の本欄でふれたように(「備えあっても憂いあり?!」「有事法制シミュレーション」)、
目下、わが国はいつ"戦争"状態に入ってもおかしくない状況下にある。
戦前・戦時中のことを調べていると、現在行われている市民の「善意の行為」が、
滅私奉公の掛け声とともに、そのまま"臨戦体制"に組み込まれていくような錯覚に陥る。
今のうちに、自治会や子供会など解散したほうがよさそうだ。
そういえば、(電話による)連絡網なんていう戦後の"回覧版"も危ないなあ。
戦時中の献納・献金は、半端なものではなかった。たとえば、飛行機は陸軍に「愛国号」を、
海軍に「報国号」を献納するのは企業・団体や金持ちばかりでなく、幼稚園児まで集団で行っていた。
もっと身近でいえば、戦地に慰問袋を送ることも盛んであり、子どもたちは小遣いをためて、
競って献金するのだった。
さて、現代では家庭内の不要品を処分するため、破格の値段で売り買いするフリーマーケット(フリマ)が、
あちこちで開かれている。お店屋さんごっこのような、一種の"遊び"のようでもあるが、
そのうち"戦時"ともなれば、大事なものも否応なく"供出"しなければならなくなる……。
かつて、慰問袋は三越や伊勢丹などデパートでも売っていたから何とかなったが、
そう、あなたの息子、兄弟、恋人、夫が戦地に引っ張られるかもしれないのだ。
そうなれば、私はイヤよ、と"ジコ虫"を決め込むわけにいかない事態に直ぐなるだろう、わが国民性としては。
だから、いまこそ"ウーマンパワー"が求められる。
女性こそが、男たちの愚かな"戦争ごっこ"を止めさせる力になるはずだ
(紀元前のギリシャに、アリストパネスの「女の平和」っていう喜劇もありましたね)。
まずは、フリマの"国営化"だけでも、阻止しなければならない。知恵を絞ろう!
「社会性とは…」
先月下旬、ある私立大学付属高校1年生を対象の職業理解ガイダンスで、ある業界について説明を行った
(参加は男女23名)。高校生になったばかりの時期に、何と手回しのいいこと…とは思ったが、
ここでは書類の書き方について。
どの生徒が、どんな分野を"選択"したかを今後の参考にするため記入させる簡単なもので、次の6項目である。
1、当日の年月日…11名記入、1名は月日のみ、無記入11名。
2、学校名を正確に書いたのは19名、1名は高校名がない。
3、科・年・組…全部記入は11名のみ。
4、本人の名前(片仮名フリガナ付)…これは全員が正しく書いた<当然か>。
5、担任教師の名前(「先生」)…フルネーム12名、苗字だけ5名(1名は仮名書き)、無記入1名のほか、講師名(私のこと)を記入したのは5名<なぜだ?>。
6、説明者の所属学校・会社名等…(所属ナシと説明したので)「橋本健午」は17名。内訳を見ると、敬称ナシ10名、"サン"付5名、"氏"付1名、"先生"付1名その他となっている。
さて、6か所全部記入したのは7名(男4・女3)。そのうち、サン2名、氏1名である。なお、担任をフルネームで書き、講師名を記入したのも7名(サン3名)。
これらの状況から、各欄に何を記入するか理解している生徒ほど、「説明者の学校・会社名等」での、
氏名に敬称をつけるなど"社会性"があることが分かる。
逆に、「担任教師の名前」に講師名を書くのは理解が足らず、従って、「説明者の学校・会社名等」が空欄にならざるを得ない。
注意力が不足している証拠といえる。
高校1年生だから、これぐらいのバラツキは仕方がないと考えるよりは、
15歳で既にこれだけの差があるということを認識すべきであろうと、担任に成り代わって痛感した次第である。
そんなことを調べて、何が言いたいのか? というご質問にお答えしよう。
これは、学校で教えないらしく、以前、もっと年上の若者たちの「書類の書き方」が、
いかに未熟、いい加減であるかという現実に、愕然としたからである。
すなわち、筆記試験を受ける前に、書類選考で落とされること、必定という次第。覚悟せよ!!
(以上、2003・7・9までの執筆)
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