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「ひたすらコラム」 2006年5月下旬号

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「"少子化"は、金科玉条か」
 政治家が、超党派で動くのも時にはよいだろうが、これは何でしょうねかぇ。
 「漫画、ゲーム、ドラマ…/ポップカルチャー世界発信/議員らがフォーラム」(東京06・05・18)によると、 ファッションなどを加えた、これら日本のポップカルチャーは世界的に評価が高いので、国家戦略の一環として発展させようと超党派の国会議員や各省庁、 産学界が連携する「ポップカルチャー政策フォーラム」(代表・野田聖子元郵政相)が設立されたそうだ。 そこで、「少子高齢化時代に直面する中、新たな経済成長の原動力と位置づけて、発展させていく」ことを確認したという。
 耳に心地よさそうな文章だが、気になるのは「少子高齢化時代に直面する中」でという文言である。 つまり"少子高齢化"だから"ポップカルチャー"を発展させていく、というのは論理が飛躍しすぎていないか。 あるいは記事のまとめ方がいいのか知らないが、なんでもマクラ言葉的に"少子高齢化"を持ってくるあざとさ、 と言って悪ければ、"少子高齢化"でなければ、"ポップカルチャー"を発展させていく必要はなかった、野田ろうか?!
 いやいや、政治家や財界人は、創造力はなくても、うまく利用して金儲け? しようという想像力とずる賢さは持っているらしい。 すなわち、初会合で野田代表は「日本の宝を日本人が育てていけるような土壌を作っていきたい」と強調したそうだが、 そもそも"ポップカルチャー"は日本人が育てた"日本の宝"で、それを世界が評価しているのではなかったか。 これすなわち、とんびが油揚げをさらうような図式、なにが"国家戦略"なのか。
 さらに"少子高齢化に直面する中"なんて、多くの人が不安に感じる言葉を"人質"にするような、まやかしの表現に惑わされてはいけない。 たとえば"テロの脅威に直面する中"と置き換えてみても、さほどの違和感はないであろう。自分たちのホンネを隠す手法は相変わらずではないか。

「老害、ということ」
 私のパソコンには、「老害」という単語が登録されていない。たぶん、担当した技術者が、その言葉を入れようとしたとき、 めったに現場に顔を出さない上司が見つけ、すかさず「私への当てつけか!!」と怒鳴られたから、外したにちがいない?!  それだけ、わが国における"高齢化社会"問題は"少子化"問題よりも深刻なのであろう。
 何、分けて考えるなって? そういう問題ではありません。要するに、元気? な"お年寄り"が、 さほどでもない"地位"に執着して後進に道をゆずらない、という話である。
 酒飲み友だちが言うには、ある専門学校で、若い人にどんどん活躍してもらいたいといいながら、 私はまだ現役を続けるという70過ぎの男たちが何人もいるそうだ。《論理矛盾どころではないなあ。もっとも、 いまの若者は父親世代には反発するが、祖父母の世代の話は素直に聞くというから、ちょうどいいのか》
 彼らは、現役時代のキャリアを自慢するが、いかんせん、それは古すぎる。なにせ修了式で、君たちがここで習ったことは 「たたみのうえのすいれん」(=畳の上の水練)のようなものだと言ったところ、みなポカンとしていたという。 《今ごろ流行らないよねえ、「水練」なんて!》二三の学生に聞くと、「畳の上におかれた花瓶に睡蓮の花」を思い浮かべたほうはまだましで、 "畳"そのものを知らないものもいたという。
 《思うに、彼らは30年も40年も講師を続けているというから、そこは自分の家のようなもので、離れるなんて、 きっと寂しいのだろうなあ》
 友人は私の感想には耳を貸さず、「なかには『ゴキブリぞろぞろ』という、訳の分からない本を出した人は、 人に迷惑をかけるゴキブリになぞらえ、ゴマンといる自分たちのことを自虐的に言ってるのじゃないか」と憤慨している。
 仕方なく「ヤンキースの松井のケガは大丈夫かなあ」と話題を変えると、「たかが野球の選手が、手首を骨折したぐらいで、 なぜテレビは大騒ぎをするのだ!!」とか、「サッカーW杯の日本代表が決まったからって、号外を出すなんて新聞も狂気の沙汰だ!!」などと、 あらぬ方向に行ってしまった。酒の勢いは罪作りなものだ。
 もっとも、別れ際に「年寄りは、なるべく早く後進に道を譲り、ご隠居となり、ときに若者たちから意見を求められる"ご意見番"的存在になるのが望ましい」とつぶやくように言った。 その彼の後姿は、一気に年を取ったようにもみえた。

「学校給食は、必要か」
 いま、アトピーなど食物アレルギーが多く、みなが同じものを食べること自体が困難な時代という認識をもちつつ、 新聞の投書などについて。
 少し前には「給食費を払っているのだから、『いただきます』という必要はない」という考えの持ち主がいる、というのがあり、 さいきんは「給食費を払わずに卒業できるのであれば、そうしよう」という家庭が、未納者の多くを占めるというのは、 川崎市のある先生の報告だ。
 一方で、気を引くために、先生の給食に抗うつ剤を混ぜちゃった、という女子中学生2人もいた。 彼女らは「自分たちだけが担任から注意を受けていると思った。(薬の効果で)優しくなってほしかった」などと話し、 反省しているらしいが、病気でない人に抗うつ剤を与えると"優しく"なるのかしらん。
 先の先生は、生徒が弁当を持ってくるか、プリペイド式のカードで注文した弁当かを選択できる学校では、 給食費の未納がないから、この方式がよいとのたまう。
 一見もっともらしい意見だが、これは払わなくてもよいという親たちと同じく、戦前から続いた学校給食制度を否定するものではないか。 あるいは、昭和29年に作られた学校給食法が形骸化していると見たほうが早いか。教科書と同じく、給食は汚職の温床となりやすいから、 廃止すればよいという議論もあってよいが、給食が無くならないのはやはりウマミがあるからだろう。
 ところで、「内閣府が5年計画で『朝食抜き』児童をゼロに」(東京06・2・21)したいというのは、2000年の調査で 「朝食をほとんど食べない」のは小学5年生で4%もあったからのようだが、この現実を見れば、余計なお世話。 また、子どものいない家庭から見れば、税金の無駄遣いにしか見えないのではないかしらん?!
 では、お口直しに、7歳の女児小学生の意見を聞こう。「わたしは、学校のきゅうしょくをのこさずたべています。 《一回も残さず》それは、きゅうしょくのかかりの人たちが心をこめて、いっしょうけんめい作ってくれるからです。 (中略)のこしている人をみるとかなしくなります。作ってくれた人の気もちをだいじにして、たべものをのこさないようにしたいです」 (東京06・5・15)。
《 蛇足ですが、この"人の気もちをだいじに"する心根は、年齢を重ねる(世間づれ)に従って、無くなっていくものなのでしょうか》

(以上、06年5月23日までの執筆)


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