前掲(45「もう一つあった失業保険、の前後」)で、私を大宅壮一の"孫弟子"と持ち上げてくれた男に絡むことだが、 私はあるところから雑誌の発刊を"依頼"され、次のような「企画案」を作っていたが、沙汰止みに終っている。 今流行りの"格差"などという言葉、いや現実が既にあったといえる。ともあれ、若き日には、それなりの"夢と希望"があったのだ(昭和54年当時、私は37歳だった)。
***文化協会 ○○○○様
◎自治体首長の悩みは何か?
いまさかんに"地方の時代"といわれていますが、ある面では、地方と中央の格差はなくなっています。
どこにいても美しいもの、便利な製品、美味しい食べ物が用意に手に入るということと、それらを産み出す各種企業の廃棄物等によって、
自然環境の破壊に直面している、という点において。
国土が狭いゆえに、国民はどこにいても安閑としておれませんが、かといってだれでも、すぐ国外へというわけにもいきません。
文明というか、資本主義が発達すればするほど、上記の二律背反的な様相が多くなりますが、自治体と企業と住民によって何がよりよい方法かを考える必要があると思います。
公害問題が起こってからは遅いので、対策を考えることは勿論のことですが、まず自治体の首長は事前に住民に対して、
ある企業のメリットデメリットを公にするというのも一つの方法です。(例えば、A企業を誘致すれば税金は安くなるが、少し汚れた空気が出る、とか)
つまり、住民の諒解をとるということは、共同責任であるということを徹底させるのです。 しかし、いままで余りそのような努力がなされなかったかのように、何か事が起これば、すぐ"住民パワー"が権利の主張だけをし、 国や自治体、企業を相手に告訴! というパターンがくり返されるのは、全く悲しむべきことです。
そこで、良心的な自治体の首長が、住民のためを思った政策、所信を表明できる"場"を提供すれば、
その双方にとって不愉快なマサツも大分やわらぐものと思います。
この「***文化」(雑誌名)こそ、公平で申し分の舞台であり、またこれを見て、その趣旨に賛同する企業(住民に奉仕するはずの)にとっても、
工場移転なり、企業活動が円滑にいくであろうと思われます。
(首長の場合は、インタビュウでも対談形式でも、どちらでもよいと思います。)
昭和54年6月25日 *田*三/橋本健午
これに付随して、同年11月21日付で同誌用の"巻物"(目次に相当する、ページごとの企画案)も作っている(B4の紙をヨコ2枚に貼り合わせ)。 全52ページであるのが、いかにも素人的である。この近辺のページ数ならば、64か56ページ建てであろうか。 内容に対する主な"橋本私案"は次のようにある。
〈有為転変〉→"ずいひつ"1000字(各界3名)
〈私とマスコミ〉→今までどおり
〈時論〉→今までどおり
〈次代への提言〉→"特集"(政治・経済・文化・国際問題…トピックス的なもの)
「モニター」(新聞・放送・週刊誌)→今までどおり(新聞・放送・週刊誌・月刊誌)
〈論考〉→"人物インタビュー"(マスコミ世界の裏方)
「国際」→対談・座談(時局的・提言的なもの)
「流行と風俗」→今までどおり(性の生態・舶来・民謡と思想etc.)
「紀行文」→"比較文明論"(タタミとじゅうたん・布団とベッド・各国の風俗と日本)
〈マスコミ人物論〉→今までどおりか、マスコミに限らずもっと広い分野に広げるか
〈スポーツ戯評〉→"アンチ健康法"ほか(1〜2名)
〈ずいそう・川柳ほか〉→地方"事業と人"
〈マスコミ評論〉→地方"わが街の名所・旧跡"
〈マスコミ文献ほか〉→"読者のページ・支部だより"
……以上三件、購読者の拡大と地方への照射
さらに、欄外にこうある。
* テレビ・新聞・出版というという限定されたマスコミにとらわれないならば、あらゆる階層の読者を想定したほうがよいと思う。
* 「特集」や「対談・座談」には著名人をお願いするにしても、他の企画の場合は、無名でも、しっかりやっている人など、
より多くの人が参加できるものにしたほうが、"私たちの「***文化」"という意識になり、読者そのものが親身になってくれるものと思う。
* 将来、年間購読料五、〇〇〇円、購読者一万名、広告収入 最低百万(見込み)。賛助会員制がとれれば望ましいと思う。