つい先ごろ、わずか二か月ほどだが、故人がお世話になった「ヒルデモアこどもの国」より、旧盆に迎え火をした際の写真等が送られてきた。
担当者だった方からの手紙の書き出しに、次のようにある。
「小田まつ子様/初めて小田様にお会いした時から2年が経ちました。/庭の景色は四季を巡ってまた初めて会った頃のような緑の濃い季節となりました。
月日の経つのは本当に早いですね。
小田様はあの頃、お庭を気に入って下さり、車椅子で毎日の様にお散歩も行きましたね。
散歩しながら私が歌を口ずさむとすぐに一緒に歌って下さいました。
ホールでの歌の会もお好きで、手でリズムを取りながら楽しまれていましたね。
自分で出来る事は何でも頑張ってやり遂げ様と前向きだった小田様。その姿を見て私達スタッフもたくさん励まされました。
/リハビリにもたくさん挑戦していらっしゃいました。/初台のリハビリ病院で作ってもらったカードを見ながらの発声練習は何度も行なわれ、
大きな声も出る様になりました。(以下略)」
次に掲げるのは、上記「ヒルデモアこどもの国」で行われた、お別れ会のときに流したメロディと、 仕事で葬儀に出席できなかった私が記した"別れの言葉"で、義弟の児玉豊さんが読んでくれた。 そして、翌年に発した、残された二人の娘のあいさつの言葉である。《2007/08/06橋本健午》
告別式11月28日(月)音楽:「サンクチュアリー 宗次郎〈オカリナ〉」(CD/SOUND DESIGN)
「若葉の頃/朝の輝き/秋桜 コスモス/新樹光/季節の詩/白嶺/めぐり逢い/花の精/冬河/朝日の中で/光のなかで
/火・土・水」12曲
2005・11・27 106号にて 橋本健午
初孫が生れたとき まだおばあちゃんが元気だったので
新おばあちゃんのあなたは ママちゃんと呼ばれるようになりましたね
この呼び名、とても良かったですよ その後二人の孫もでき
30年経っても"ママちゃん"で いられたのですから
三人の孫が今年もそろって お正月に訪ねて来るからと
好評だったおでんなど ごちそうを用意しておられたのですね
それなのに とつぜんの病に襲われ さぞ驚いたことでしょう
親孝行というのはなかなか うまくできないことですが
あなたの二人の娘は協力して よくやっておりましたよ
それも あちこちの病院を行ったり来たりするのを
あなたが少しも いとわなかったからです
人が好きで だれからも愛されていた ママちゃん・・・
やっと安住の地 ヒルデモアこどもの国 にも馴れ
皆さんに親しくしていただき 何年も過ごすはずだったのに
運命のいたずらというのでしょうか
こんなに早く亡くなるとは 残念でしょうけれど
あなたの最後の一年は これまでにも増して
子や孫に良い経験と"生きる"ことの尊さを教えてくれました
これはすごい最期ですよ! あっぱれ ママちゃん!
どうか安らかに おやすみください
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