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「ミニ自分史」(81)「望のことば+α その2(健午の収録による)」 20080822

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 〔1992(平成4)年 望 5歳〜6歳〕

1月12日ごろ
 「子供は風の子 親は風」(五歳の長男・望の言)

1月20日
 「でんでん でんぐりがえしの バイノバイノバイ」
 ("昭和が終ったころの歌"の由、風呂上りの望が身ぶりを交えて)

1月25日 (夜の会話)
 姉「のん君、よく寝た?」
 弟「少しね。すこしというのは、ちょっとというより、もう少し寝たということ」

1月30日
 私「親に向って ズルイという 言い方はない!(五歳の望に)

2月3日
 「砂場じゃなくて 雪場になったね」(東京に六年ぶりの大雪が降って、望いわく)

2月16日
 「ちょっとおかしい 人生だった」(望、東京に生まれて 何のセリフか?)

6月28日
 『コント55号』(テレビの二人を見ながら)
 「こちらが『コン』で もう一人が『55号』だね」(夜、望のコント)

8月1日
 名古屋の母のことば「私もがんばる 子供を大事に」

8月9日
 「風は いじわるを します」
 (台風の余波で、読んでいた本のカバーをはがされた望のことば)

8月ごろ (ある夜)
 図鑑で熱心に、地下鉄のトンネル工事の絵を見ている望に聞くと、
 「砂場で、こわれないトンネルの研究をしているんだよ」

9月12日
 望「昼でも見えるホシは?」
 私『もの干し、ウメボシ』
 望、空を指さし、「太陽だよ!」

10月4日
 一つのことに集中すると 他を忘れてしまう(幸恵、夜遅く帰ってきて)

12月21日
 私「全部焼けると 全焼/半分焼けると 半焼/少し焼けるのを 少々(これはダジャレ!)」
 望「ダジャレはいやだ。真面目に生きたい!」

 〔1993(平成5)年 望 6歳〜7歳〕

1月1日
 <お年玉>今年こそ まじめな人生を送りましょう(父より)

1月1日
 <色紙>小学一年生になれますように みんなの言うことをよく聞いて
       平成五年一月一日 橋本望どの 父

1月8日
 健午『人間は 一人で生きているのではない』  幸恵に

1月8日
 健午『自分を殺せば まわりの人も殺すことになる』  深夜 幸恵に

1月8日
 健午『わが子を 信頼することだ』 妻と

1月9日
 「地下鉄に なぜマドがあるのか」(名古屋の地下鉄の中で、望の質問)

1月10日 (望の言葉)
 「日本には二十歳以上の人に 年齢を聞いてはいけない法律があります」

1月17日 (さち子の言葉)
 「家族みんなで 仲よくやって行こうね」

2月3日
 <色紙>結婚二十年 みんなで助けあい これからも仲睦まじく  さち子様 健午

3月14日 (妻の、娘への言葉)
 「遺伝 人は何十代も前の先祖から いろいろ受け継いでいる」

3月15日
 「シャチの子育ては二年間 人間は六年間」
 (夜、NHK「生きもの地球紀行」を見ながら、六歳の望のことば)

3月17日 <色紙>
 祝 都立大学合格  感謝 感激 ハラハラドキドキ  幸恵どの 橋本健午
 (その前、幸恵から電話「合格した、親孝行したよ!」と)

3月24日
 「尊厳死 という言葉が浮かんだ」
 (深夜、名古屋の母を見舞ったあとで、水も食事も拒否するのを見て)

4月5日 <色紙>
 学問ばかりでなく 人間としての研鑚も  都立大入学に際して 幸恵どの 橋本健午

4月5日
 都立大の入学式についていって、
 「お姉ちゃんはここに4年間いるんだよ」というと、
 望は泣きそうな顔をして、「ウソだ!」・・・・・・

4月6日 <色紙>
 人生は 足し算、掛け算ばかりではない 引き算や割り算もある
 国領小入学に際して 望どの 橋本健午 

4月6日 (望の入学式の日に)
 十二年前のときは痛風の痛みが 今年は肩こり、腰痛が…

4月7日 (望、登校日、初日の朝、眠い目をこすりながら)
 「"四分の一"って どういうこと」

4月19日
 中国語の勉強(テレビアニメ「ドラゴンボール」の影響か)
 (望)「イー・アル・サン・スー・ウー・リュー・チー・パー」
 (私)「イー・アル・さんすう・りか・しゃかい…」
 望、学校から帰ってきて、「友だちには通じなかったよ」

4月19日
 望「動物はどうして交尾するの」
 私「子孫を残すため」
 望「お父さんとお母さんは交尾していない」
 (NHK「生きもの地球紀行」でウミガメの交尾を見て、望のことば)

4月29日 (朝、望のことば)
 「ボクはまだ宿題が出なくて いやんなっちゃうよ。(幼稚園時代の)友だちのところはもう出てるのに」

4月30日
 「(都立大に入った姉が)毎日帰ってきてよかったね」というと、
 望は「二度と帰ってこないのかと思った」と。

4月末 (幸恵のことば)
 「このごろ 弁当箱が小さくなった」

5月5日
 「こどもの日だから、したの?」
 「したくて、したわけじゃない!」(朝、久しぶりに派手なおネショをした望に)

5月12日
 私「人生は遊びじゃない」
 望「ボクは遊びだと思っている」(朝出かけるときに、いつまでもふざけている望に)

5月中ごろ
   近ごろの小学一年生は
           1 は し も と の ぞ む
           2 は し も と ぞ む
           3 は し も と 望
           4 は の も ぞ し と む
           5 は ・・・・・・む        (授業中に)

5月30日 (初めての運動会の日)
 夜、望を折檻、ベランダに出す。「外に出ているから、いつか入れてね」

6月12日 第二(土)、家でひらがなの練習をしたあとで、
 「親孝行はしたくない」を繰り返すが、「ところで、親孝行って何?」(朝10時、望のことば)

6月14日
 ラムサール条約「失地回復」、つづけて、望のことば「湿地再開だね」

6月20日(誕生日・父の日)
 いかにして生きるかの毎日が人生  <誕生日に>
 生きる道をつけること ―父親の役目―  <父の日に>

6月21日
 みんなの 機嫌の よいのが うれしい  <夜>

7月14日
 「『学研まんが人物史』に、なぜポアロがないのか」(望の疑問)

夏ごろ
 「お子さんは?」「大1、小1」(これじゃ、生ビールの注文だ!)

8月14日
 書斎もなければ机もなくなった これからが正念場だ(望に机を譲って)

9月12日
 「ボクは ズルをしたくない!」
 (多摩テックで、終了間際に割り込みをそそのかすと、望が答えて)

 〔9月15日 望7歳〕

9月17日
 お金とは なるべく浅くつき合おう/できれば お金と縁のない人生がよい/人間が主人 お金は小使い
 (望に、「おこづかいちょう」をプレゼントして)

11月中旬 望の作文「ぼう空ごう」
 かに山へ おちばひろいに いったら、おちばが ふみばのないほどあって、もうめちゃくちゃ。 そこらへ見たら ぼう空ごう てのがあって それぞれ三つ、ばらばらになってて、  かたち、大きさ、ひろさ、長さ、いろいろ まちまちだ。 /さらに 五十年まえは、せんそうで まちには、ばくだんがおちて ぼう空ごうに にげたという。

11月4日 (さち子のことば)
 「結婚してよかった 二人の子供に恵まれて」

11月4日 <夜>
 風呂の中で 望は「かけざん九九」を 五の段まで暗唱して見せた

11月15日 <夜>
 望の下の歯が抜ける 投げ上げる屋根がない!

11月26日
 「ごはんより 勉強が大事!」(夕飯に呼んだとき、望の返事)

12月18日
 芸術より 科学のほうか
 (調布グリーンホールで、さち子の出演した「第九」を聞きに行く。望は退屈して、間が持たない)

12月21日
 朝、ニュースを見ながら、望いわく「日本の経済成長率〇・五%。ボクの視力もそうなるといいのにな」(大変、目が悪い)

12月26日 (幸恵のことば)
 「この一年、世界が広がった」

 〔1994(平成6)年 望 7歳〜8歳〕

1月1日
 「お母さんからは?」(望のことば。元日の朝、父と姉からお年玉をもらって)

1月1日
 「今年は ダジャレをやめましょう」(元日、望のことば)

1月ある夜
 娘より電話「いま新宿、これからみんなで飲みに行く」
 これを受けた息子いわく「何を飲みに…?」

2月5日
 一本目は 勢いの酒/二本目は うまい酒/三本目は 後悔の酒
 (二日遅れの結婚記念日、さち子とサントリーホールにコンサートを聞きにいく)

4月7日 (夜、テレビを見ながら)
 望いわく「切っても切れないキズナ」
 私「切ったらキズが…」

4月24日 (望、幸恵の緑色のイヌのぬいぐるみについて)
 「動物の場合は(人形じゃなく)動形だね」

5月14日
 「どうして ボクは こんなに 不幸なのだろう」(夜、望のことば)

6月10日 (さち子のことば)
 「あなたの気持ちがラクなほうが 仕事を辞めてもついて行く」

12月はじめ
 「アルミ缶の上にあるミカン」(望の考えたことば)

12月8日
 「"じてん"を運ぶクルマは?」(望の質問:「辞典車」)

12月16日
 「親を安心させる計画を出さなければ、許可はできない」
 (コンサートを聞きに京都に行くという幸恵に。二十歳まであと一か月)

12月
 「一浪って、どういうこと?」(大学に入る前の浪人といわれて)
 「ボクも一浪するのかなあ?」(望は先のことばかり考える)

12月
 悠々かつ 毅然として 遠慮深謀を 幸恵どの(リーダーを引き受けたと聞いて 父)

12月24日
 のんびり勉強 ぞんぶんに遊ぶ むりのない人生を  望どの(サンタの願いかな)

12月29日
 ボクは あと十年で 追い出される…(望、18歳までといわれて「コワイよう」)

 〔1995(平成7)年 望 8歳〜9歳〕

1月1日
 <色紙>自立まで 幸恵は二年 望は十年(朝、わが家の独立宣言)

1月はじめ
 幸恵は帳尻を合わせるのがうまい(これぞ取り得だ)

1月11日
 愛情に飢えている 抱きしめてやらなくちゃ
 (幸恵、このごろ自分は誰からも必要とされていないと感じている)

1月15日
 「姉君とは、お姉ちゃんのこと」、「お兄ちゃんは兄君だね」
 「では、ノン君は?」、「風邪気味!」(夜、NHK「吉宗」を見ながら)

1月17日
 「まるで 怪獣映画のようだ」
 (夜、テレビニュースで阪神大地震による火災の映像を見て、望のことば)

1月21日
 「平安時代の 辞世の句みたい」
 (「書く書く詩か字か 学生時代」を毛筆で書いていると、望のことば)

3月28日
 「いろいろあるんだなあ」と(「書く書く詩か字か 学生時代」を贈る。幸恵の感想)

5月24日
 自分の子供に伝えられることばがあるのはうらやましい
 (「書く書く詩か字か 学生時代」について。Iさん[女性]のことば)

5月24日
 「ノーベルは ダイナマイトについて 述べる」(望のことば)

6月ごろ (望の好きなもの)
 「ラーメン カレー フルーツポンチ さとうパン アメリカンドッグ チキン みそしる」

6月13日 <夜>
 「望は学校で いじめにあっているという。
 「なぜ反撃しない?」、「無駄な争いはやらない」

6月26日
 「まだ学校で 勉強している」
 (午後11時25分、幸恵より電話あり。独白「お前の健康と幸せを願っている」)

9月4日
 「自分の好きなようにして 気持ちの落ち着くほうが…」
 「熱意(意欲)がなくなった。潮時だと…」(辞職について、さち子と)

10月2日
 「気力がなくなった。自分を突き動かすものがない。これ以上いても、迷惑に」と私。
 「自分の人生だ。組織は代わりの人がいる(俺がいなければという人は多いが)」とK社長のことば。

10月8日 (親子の会話)
 望「定年て何?」
 私「例えば、六十歳で会社を辞めることとか…」
 望「お父さんの定年は?」
 私「自分で決めるのだ!」

12月6日
 突然いい子になった望、「クリスマスまで やれるかな」と私。

 〔1996(平成8)年 望 9歳〜10歳〕

1月1日 前日で、それまでのすべてのことが終わった。私にとっては、新しい時代の幕開けの日となった。

2月3日
 二月三日、土曜日。節分と初午と暦にはある。二十三年前、私たちが結婚したときも、土曜日で節分と初午に、 たしか立春が重なったと記憶するが、辞書にあたると、節分は立春の前夜とある。
 また、この日は亡父、八五郎(号、梧郎)の誕生日でもあった。
 朝、さち子の前で、色紙にこう書いた。
 『結婚二十三年/昭和四十八年二月三日/子供二人はともに三年生/仕事は二転、三転
 /これからも二人三脚で/平成八年二月三日』

9月9日 名古屋の祖母トワ、午後7時15分永眠す
 「母を送るうた」
 お母さん、よくがんばったね/いろんなことで、いろんな意味で/ご苦労様でした
 人に生きる喜びと楽しみを与え…/ご苦労様でした
 明治、大正、昭和、しかし平成は/短かったけれど/(昭和)天皇と皇后陛下が/心の支えだったね
 しあわせだったね、このごろは/世の中のいやなことを知らずに/ご苦労様でした
 みんなが心から感謝していると思うよ/だけど涙がこぼれることもあったよね
 もっとお母さんのプライドを/保ちたかったけれど/みんなに水に流そうよ
 心安らかに、ゆっくりと/お眠みください
 (同夜9時すぎ、帰宅の電車の中で、酔った勢いを借りて…東京、橋本健午)

9月15日 <色紙>
 望どの/満十歳の誕生日を/祝す/これからも健康な/毎日が送られるように

9月15日 <色紙>
 幸恵殿 この一週間で、君の成長ぶり、冷静さを見て感激し安心しました
        学問を友に、望を弟として 今後ともどうぞよろしく
                 一九九六・九・一五 橋本健午

 〔1997(平成9)年 望 10歳〜11歳〕

2月5日
 N耳が痛いという。中耳炎? バファリンを飲ます。

3月25日  子どもたち、それぞれの卒業式。Yは袴で(都立大学)、Nは調布多摩川幼稚園でした。

4月1日 わがパソコン元年。
 「ペルーの人質は今朝、全員無事に解放されました。ゲリラは国外に追放。」
 「今日は4月1日、エイプリルフールでした。」と初めてパソコンで打つ。

4月3日
 Y、2時から大学院の入学式。みんなで行く。雨

4月27日
 Nと池袋へ。5600円。9時〜13時、炎天下に2時間半もならぶ。ビーダーマンを購入のため。

4月29日
 みどりの日。みんなでサイクリング、府中・郷土の森。水浴び。

7月4日
 若者の傾向…公私のケジメがない。人生、時間にメリハリをつける。24時間コンビニ(停電がない)。 電車の中で、化粧(口紅、カガミ)。物を食う。パン。缶ジュースを飲む。ルーズソックスの履き替え(車内で、ホームで)、 脛に糊付けする。羞恥心の欠如。

7月16日
 11時、Yと秋葉原へ。パソコンをラオックスで、IBM(337,800円台で)。23日には大学に。

10月4日
 「海より大きなものは?」→「お母さん(私のこと)」→「生みの親」

10月23日
 女子中学生ら、電車の通路に座り込んで化粧する…。

11月24日
 朝8時にスタート、幕張メッセに行く。ポケモン(ミュー)を求めて。
 ポケモン教…大人も子どもも、子どものころから並ぶことに馴らされ、長い列。 大人しく、それぞれ手に免罪符、聖なる血を受けるように、経文の、あるいは種馬から種つけられるように…。

 〔1998(平成10)年 望 11歳〜12歳〕

1月3日
 N、暮から「三国志」に読みふける

1月4日 <色紙>
 平成十年戍寅
 /寅NOZOMU 11/卯YUKIE 22/午KENGO 55/未MATUKO 79
 /亥SACHIKO 50/年男 望どの(望を真上に、干支を配す)

1月4日
 N、定価の4・4倍もするハイパーヨーヨーを購入したが…。

1月9日
 Nに、『「劇団ひまわり」に入れるぞ』、「いやだ」、『じゃ、夜回りだ』

1月12日 <色紙>
 十年一日のごときと思いきや/元旦から驚かされ/母は一夜にして方針を変える
 /なにはともあれ/文読む月日に/恵みと幸あれ 幸恵どの 1988・1・12 父より

1月15日
 拙著"仕事文"を手にしながら、N「作家の息子として…」と。

2月3日
 銀婚式。色紙「二十五年」、Sに。

3月10日
 N「子どもは少ないんだから、お互いに殺し合いは止めよう!」

9月15日 <色紙>
 君が生まれたとき/君の姉はやはり/六年生だった/これから先が/楽しみである/望どの  父

9月20日
 「ふれあいの家」の屋上に登る。はしごをかけて、ボールを取りに、Nと。

10月2日
 献辞「幸恵どの 自らを信じ 辛抱強く 内定の届いた日に 父より」(『バーコードへの挑戦』)。

10月10日 <色紙>
 昭和五五年十月十日 1980 はれ 武蔵関より/平成十年十月十日 1998 はれ
 国領くすのき/十九年目に入る

12月1日
 多摩川病院はもう止めることに。よけい病気になりそうである。

12月15日 <色紙>
 美味しいところを/妻や子らにゆずり/残りものに甘んじる
 /しみじみ/母を思い出す日々

12月19日(土) 午前11時〜12時 六中「新入生保護者説明会」に出席(視聴覚室(2F))
 これまで母親としてさち子が学校に顔を出していたが、中学時代は子供から大人へ大きく成長する時期、男の子でもあり、 それだけ問題も多く出てくるであろう、また私自身、時間が自由になるという点で、積極的に学校へ行くということにしたのである。
 校長のあいさつ…六中は荒れてもおらず、いい生徒ばかり。調布市でも良い学校という。 「新入生のしおり」に沿って担当が説明するが、早口でよく分からない。保護者は圧倒的に母親が多い。 お互い顔見知りのようで、私語はしても質問はしない。
 私は「しおり」にある、(1)服装について…「制服」とか「校服」は定めていませんが、男女とも「標準服」があります。」について、 "標準服"と"制服"等のちがいは何かと質問したところ、教頭は答えられず、代わって校長が「以前からそうなっている」と言った。 それでは答にならない。
 私の質問の趣旨は、「制服」「校服」と「標準服」の違いは何か、つまり日本語表現として"標準"とは"基準として"などと同じで、 "それ以外も可"というニュアンスを含んでいるのではないかということであった。それを、まったく理解されなかった。
 もうひとつ、体育着・ジャージ、上履きは「学校指定」であると書かれている。要するに、言葉を変えただけで、 いずれも同じ意味で"決められたものしか許可しない"ということである。では、なぜ学校は"制服です"といえないのか。 姑息である。

 〔1999(平成11)年 望 12歳〜13歳〕

1月6日 電車の中で聞いた百人一首について、女子中学生4人の会話。 「上(頭)の句、後の句を覚えればよいと。最悪の場合、(テストのために)それだけを覚えればよいと先生がいう」

1月 昨年の夏ごろから、望の身長が伸びているという印象を持ってはいたが、姉の幸恵(約163cm)と並んだときに、 ほとんど差のないことに気づき、正直なところ驚いてしまった。というのは、まもなく私(約170cm)に並ぶ、 いや追い越すのも時間の問題と思い知らされたからだ。体は細いが、骨太、筋肉質で、これは私にもさち子にも似ていない。 声変わりも始まったようだが、見るとひげも心持ち濃くなりつつある。ことば数も少なくなり、時に"おっかない"という感じすら出てきた。 心せねばならぬと思った。
 昨年まで、大晦日から2,3日は4人で麻雀をやり、その間、布田天神社と深大寺にお参りしていたが、今年は寝正月。 そのせいか、6日に望が風邪を引いたようで熱があり、翌日には私も熱を出す。8日から新学期だが、望はインフルエンザで欠席。 15日には幸恵がインフルエンザにかかり、ベッドから4畳半に移動。そのため望が私と同室に。 幸恵は学校を十日ほど休み、その間、就職予定の会社へのレポートにかかりきりだった。

1月24日(日) このごろ、望は新しく購入したポケモンゲームに夢中である。彼は自分の手持ちのお金で買っている。 金銭管理は意外にしっかりしていて、無駄遣いをしない。その分、物を買う時は各店の値段を比較したり、 種類を吟味するなど慎重である。

2月…日(土) 市役所の吏員が地域振興券(2万円分)を届けに来る。印刷代、休日出勤など、よけいな税金の無駄遣いではある。 該当者は望であるが、家族4人で等分することにしてある。

3月1日(月) N、夕方5時ごろ、かねてから欲しいといっていたプレステ(プレイステーション)を買いに行くという。 国領のどこかのコンビニ等で買えるというので、さっそく地域振興券を利用するようにと、私がそれをもってついて行くことにした。
 また一つの驚きだったのは、望の足の速さである。私自身やや衰えたとはいえ、普通に歩いていても早いといわれることが多かったが、 その私がついてゆくのがやっとというのは、ちょっとショックであった。
 それはともかく、コンビニ等はいくつもあるのだが、売り切れ(入荷未定)だったり、少し予定より高かったりで、 次の店へとどんどん歩いて布田を通り過ぎ、調布まで来てしまった。10軒目だかに、ようやく目指すプレステがあり、 5千円分の地域振興券を補填し、あとは自分のお金で購入した(15,000円)。
 やれやれやっと終わったかと思うと、さらにメモリーカード(1,800円)とソフト(FF、ファイナルファンタジーVIII。7,800円)を買いに行くという。 仕方なく、大きな包装のプレステを私が持ち帰り(誰かに盗られては困る…)、一人であとの二つを買いにいかせた(3ヶ所で、合計25,800円税込み)。 無事に帰り、マニュアルを見ながらセットして、うまく動いて、私も一安心であった。
 それにしても、望は金持ちですねえ。たいして、お年玉をもらっていないはずなのに。また、なぜ買いたいと思ったのかを聞いてみると、 「退屈だから」、友だちから「ゲームを持っていないくせにウルサイ」などといわれているからだという。
 ところで、親は子どもの行動をよく知らないといわれるが、たしかに一緒に歩いてみて、こんなところにこんな店があるのかという以上に、 そういうところにまで出入りしていたのかということのほうが驚きであった。
 しかし、問題はここからである。もともと目が悪く、早くからメガネをかけている望をこれ以上悪くさせないために、 ゲームをする回数/週、時間/一日などの制限を設けなければならない。 一応、一日1時間半、週に2日は休みということにしたが、すぐに休みは一日だけとなった。 それも、今日は休みの日ではないかというと、明日はやらないからという。ゲームの性質上、時間どおりに終わるものではなく、 また明日やりたいというのは子どもでなくても当然の欲求であろう。しかし、そこは"約束"だからと、なんども止めるように通告するのも親の立場である。
 テレビ(と茶の間のテーブル)を占領させるだけでなく、とにかく目に悪いから、止めさせなければならない。 はじめタイマーを90分にセットしたが効き目がないため、80分にセット、そこで時間を自覚させて、残り10分としたが、 これでもうまく行かない。つぎは80分+5分+5分と苦肉の策だが、止められないものは止められない。 ちょうど、私のだらだら酒と同じである。

3月25日(木) 幸恵、望ともに卒業式である。よく晴れた日で、幸いであった。
 幸恵の場合は正式には学位授与式というそうだ。少し着飾っていったが、付き添いは断られた。 望のこの日一日だけの"晴れ着"は幸恵のお古で、武蔵関在住のママちゃん(八十歳)にボタンの位置を左右に変えてもらった少し大き目の黒い学生服である。 体育館での式は、日の丸・君が代が大好きという校長によって仕切られ、在校生も校歌を歌い、送り出す次第は歌の交換で、 かなり練習に時間を割いたのではないか。一人ずつ壇上によばれ、卒業証書をもらうと、一言ずつ夢を語るというものだった。 望は率なく礼をしたり、落ち着いて歩いていた。将来の夢はかねてから口にしていた"プロ野球選手になるか、 ロールプレイングのゲームソフトを作ること"であった。卒業文集にも「夢」と題して、同様の趣旨を書いている。
 身長についていえば、他の男の子は太ったのを除けば、たいがい小柄で、多くは4月から着る中学校の「標準服」姿で、 それがまだ身につかず、やや大き目なこともあって、よけい小さく見えたのではないかと思う。

 2年間担任だった枡三知代先生は「あゆみ」(通知表)の最後に、こう書いて下さった。 「自分というものをすでに、しっかりもっている子です。その自分をますますみがきあげ、なおかつ、友とのかかわりも深め、 個性的に生きていってください」
 同じく、「卒業をひかえて―12歳の自分を見つめて―」は、生い立ちからの12年間を、親に聞きながら1年ずつ記述したもので、 やはりその感想として、同先生は記す。
 「子どものころから、個性的な性格だったんですねえ。いたずらの数々が非常にユニークでおもしろかったです。 日本の国は個性的であればあるほど、生きにくい世界でもありますが、まけずに自分らしく生きてください」

 同級生はどう見ていたか? (1) 頭いい/ものしり/あるいみやさしい/つまり―好き?  (2)ものしり/頭よすぎ!/明るい/ファイナルファンタジー8パクリやろう (8)博士/ものしり/ものしり、とくにれきし  (4)ものしり/ものしり/プロだね、あんた。(5)何でも、知ってる?/ものしり/めがねがにあう  (6)あかるい/いろいろしっている/ものしり (7)やさしい/ものじり/頭がいい (8)何でも知ってる/うるさい/明るい

 ところで、本人の「新年のめあて」は、「朝、なるべく早く起きる/忘れものをしない/暴力をふるわない」であったが如何であったろうか。

3月25日 <色紙>大いなる谷は 威厳に満ち 合して動ぜず さらに 気力充実して 道をきわむ 後に続くもの 一枝乱れず〔調布市合気道連盟 大谷一枝先生 一九九九・三・二五 感謝をこめて 望の父 橋本健午〕
 【望、中学ではやらないため、この夜が最後の稽古となった(4号棟の地下、体育館)。途中から見学して、お礼かたがた大谷先生(師範)に、この色紙を贈る。
 後日談:2001年1月23日 夜、思いがけなく大谷先生から電話があり、日本武道館の鏡開きで、「日本武道競技会功労賞」という最高の表彰を受けたという、ご報告だった。 その際、「素晴らしい色紙をもらって、毎日見ている。励みになっている。私一人しかないものだと、人にも言いながら」というお話だった。 年配の方に、しかも斯界の最高峰の方から、そんな言葉を聞くとは光栄の至りである】


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