出版倫理・青少年問題・目次へ

出版界、あるいは利用者から見た図書館と"倫理綱領"

橋本健午(作家/メディア倫理研究)


 図書館は出入りの自由な公共施設である。調べ物をしたり、何冊も本を借りたり、 CDを聞いたり、ちょっと新聞を読むにも便利である。
 もっとも昨年末には、ホームレスの"避寒"問題が新聞の投書欄をにぎわせた。 そうでなくても、机に突っ伏す学生や、いびきをかく大人も多い。館員には頭の痛いところであろう。

 個人的にいえば、大小さまざまな図書館での閲覧、資料の複製はありがたく、 ときに目当てとちがうコーナーに入り、思わぬ発見をする喜びは何ものにもかえがたい。

多くは世論に押されて作られた倫理綱領

 ところで、"自由宣言"(79年改訂)とその翌年に制定された"倫理綱領"は、図書館業務に関わる人々、 あるいは利用者等にとって、どのように生かされているのであろうか。

 まず参考までに、メディアの状況を概観しよう。
 出版界の綱領は、書籍と雑誌製作者の"心得"として出版倫理綱領(57年)と 雑誌編集倫理綱領(63年、97年改訂)があり、取次業の出版物取次倫理綱領(62年)、 小売業の出版物販売倫理綱領(63年)があり、成人向け出版社の団体も出版問題懇話会編集倫理綱領(90年)を設けている。
 他に雑誌広告倫理綱領(58年、92年改訂)等もあり、読者や消費者への配慮を心がけている。

 97年に改訂された雑誌編集倫理綱領は、かなり多くの文言の修正・入れ替えが見られるが、 時代状況に合わせたもので、その精神は変わらない。 強いていえば、「児童憲章」が消えて「児童の権利に関する条約」が登場したことだろうか。

 他のメディアをみると、新聞(46年、55年補正)、映画(59年改訂、94,98年改訂)、 民放(51年、99年改正)、レコード(52年)、NHK(59年、95年改訂)、広告(60年)、ビデオ(79年)、 コンピュータソフト(92年、97年改正)などと、それぞれ設けている。 いま新聞は週刊誌の"性"広告問題をきっかけに、綱領の見直し中と聞く。

 いずれも業界としての"倫理"確立、ルール作りであるが、多くは青少年問題に関連したり、 世論の指弾を受けて制定されたものである。

 出版界の綱領制定が63年ごろに集中しているのは、それまで毎年のように起こっていた"悪書追放" "有害図書問題"が、この年(昭和38年)秋の甲府市書店組合に始まる身内からの有害雑誌追放問題 (仕入拒否)が全国的に広がったこと、また東京都でも青少年保護育成条例制定の機運が高まったこと (翌年8月制定)などによる。

 その年末には、出版界が一丸となって対処するため、出版4団体(書協・雑協・取協・小売全連) による出版倫理協議会(議長・布川角左衛門)が設置された。 趣旨は「低俗出版物から青少年を守るため」であったが、戦後獲得した「出版・言論の自由を確保すること」 も大きな課題であった。

 現状を見ると、週刊誌等の記事や写真・マンガなどの性表現や暴力表現が青少年に"有害"であるとか、 女性蔑視にあたるとして、しばしば非難の対象となり、またプライバシー問題などで裁判沙汰となり、 (雑誌編集倫理綱領の)「5.品位」はどこへ行ったのかと皮肉られることもある。

 そもそも綱領の多くは"精神"規定であり、また出版各社には自主規制があり、 その範囲内での表現活動を行っているはずである。
 しかし、中には商業主義に走ったり、ライバル誌との競争や新聞・テレビなど他メディアとの競合もあり、 毎号書店等で買ってもらうために"広告"表現が過剰になる一因もそこにある。
 また、確信犯的な表現があるのは、言論・表現の自由の確保を"確認"するためであろうが、 「知る権利」をタテに取ったものもなしとしない。

出版業より、難しい図書館業務

 出版社はそれぞれの思想・理念に基づいて、自由に出版活動を行っているため、すべてが健全なもの、 "良書"とはいえない。
 また、さまざまな考え・人生観、嗜好があることを認めない読者も多い。 ポルノ絶対反対の人にとっては、"癒し"にもなるという説は承服しがたいにちがいない (2000年3月、東京新聞投書)。

 さて、その両者(資料と利用者)に対し、差別をしないと謳った"自由宣言""倫理綱領"の文言は高邁だが、 館員みなに「マザー・テレサになれ」というようなもので、至難の業であろう。

 それに逸脱した例は『図書館の自由に関する事例33選』や『「自由宣言」と図書館活動』などに詳しいが、 少し前には週刊誌の"袋とじ企画"が問題となった。 青少年には不向きでも成人にはよいとか、フェミニズムの観点から女性蔑視にならないか等を考慮しても、 その対応にバラツキがあったのは、なぜだろうか。

 十数年にわたり私が経験した"有害図書"問題から類推すると、関係者の多くがパニックに陥った (綱領より保身が大事だった)からといえる。
 新聞等で話題になった、警察や議会が問題にした、住民が騒いでいるから、 何とかしろと"お上意識"が顔を出し、「他でも規制している、ウチもやらないと」、 「役所がうるさいから」などという、事なかれ主義がまかり通ったのではないか。

 上司が毅然としておればよいが、みな尻込みするのも日本的。 総保守の中で、少しでも異を唱えるものは、アカ呼ばわりされる。 このひと言の威力がいまだに健在なのが、この国の国民にとって不幸な状況といえる。

 ところで、佐藤毅彦氏が「いわゆるコミック規制と図書館」(本誌1991年10月号)でふれているように、 いま改めて中央立法化の動きが本格化してきた(拙稿「倫理は商売と両立するか/広がる"有害本"規制」 『新文化』2000年3月2日号所載)。 青少年も図書館も、これ以上息苦しくならなければよいのだが、と念ずるばかりである。

 この"有害コミック"問題では、私自身も枚方市立図書館主催の講演で、現状分析と出版界の対応を報告した。 聴衆に偏見をもつ人は少なく、みな静かに聞いてくださった。 さすが図書館主催だけのことはあると思ったものである。

利用者のマナー、図書館員の役割

 出版界の綱領が、製造・流通・販売の各段階でのルールに対し、この"倫理綱領"は、 ハード(施設・経費等)とソフト(利用者、資料)の両面にわたり、館員個々に知識や経験だけでなく、 注意と心配りが必要という、"精神規定"で終わらないところに、厳しいものが要求されている。

 私のよく利用する図書館は、雑誌も新聞・書籍もかなりそろっており、 "図書館"関係でも100点以上の資料がある。それだけ奥の深い業務である証拠だが、 課題も多いということだろう。

 一つは、館員の"身分"である。正規の館員・常勤および非常勤嘱託・アルバイト・パートなどと、 細かく分かれている。経費節減が主な理由だろうが、司書という資格が必要なように、適性を含め、 どのような人物を採用し、研修がなされているのだろうか。

 また、子供に限らず大きな声を出す人や、携帯電話の電源を切らない人もいる。 館員にも、声の大きい人がいる。マナーは社会生活上に必要なことだが、その素養がない(気がつかない)人は、 他人に注意することはできない。

図書館雑誌表紙  もう一つ、日本人にはいまだに著作権思想が浸透していない(書店にも、コピーコーナーがあるくらいである)。 たとえ1枚だけでも、館員がきちんと手続きをとらせ、間接ながら著作権思想の普及に寄与されてはいかがであろう。 たぶん"自由宣言"の「第3」および"倫理綱領"「第2」「第3」項にも抵触しないはずである(注)。

 図書館員を含め、いま日本人に求められているのは、"他人(の考え・人格)に対するリテラシー"である。

《注:自由宣言「第3」…図書館は利用者の秘密を守る(3項目)/倫理綱領「第2」…図書館員は利用者を差別しない/ 同「第3」…図書館員は利用者の秘密を漏らさない》

(「特集『図書館員の倫理綱領制定20年』」『図書館雑誌』2000年7月号所載)


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