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人と業績「青少年育成国民会議」/「東京都青少年健全育成審議会」

1998・01
「言論の自由・著作権をめぐって」


《青少年育成国民会議》

 戦後の復興とともに少年非行が顕在化するなど、青少年をめぐる諸情勢の変化に対応すべく、国や地方、各種団体などが、 マスコミ対策を強化しはじめた。一方で、青少年を育成するという運動も起こり、 1966(昭和41)年5月に総理府の肝いりで青少年育成国民会議(茅誠司会長)が発足した (現在の所管は総務庁青少年本部、さらに2001年1月の省庁再編により内閣府に移管)。

 サンケイホールで行われた結成大会は「青少年問題の重要性にかんがみ、広く国民の総意を結集し政府の施策と呼応して、 次代の日本をになう青少年の健全な育成を図る」ことを目的に、青少年団体、PTAや婦人団体などの青少年育成団体、 教化団体、経済界やマスコミ団体など250余の各種団体代表、都道府県からの代表、 青少年問題の学識者など1500余人の賛同者が参加した。政府からは佐藤栄作総理大臣に、総務長官、自治大臣、 文部大臣らが参加した。

 その前年12月に続いて1月に開かれた「青少年育成運動についての懇談会」で、国民運動への具体的な第一歩を踏み出したが、 この懇談会の参加者(34名)には新聞・放送関係5名のほか、出版界では野間省一氏(講談社社長、当時)の名が見える。

 1昨年、創設30周年を迎えた同会議は、都道府県や市町村にある県民会議、市町村民会議の頂点にあるピラミッド型の組織で、 青少年活動の推進、青少年団体への支援、少年のための多様な場づくり、青年の社会活動の促進、海外派遣など国際交流、 さらには年々深刻化する社会環境の浄化対策などを展開している。

 その1つが、マスコミなど関係業界との懇談会で、67(昭和42)年11月下旬には、早くも総理府講堂で 「青少年にとって好ましくない一部の出版物から青少年をまもるにはどうするか」というテーマで 「出版物等と青少年に関する懇談会」が開かれた。

 布川先生は出版倫理協議会(出倫協)の議長として出席され、意見を述べられている。 茅会長もあいさつしたこの会には、出版側は書協から小峰広恵氏、取次と小売全連(現、日書連)の倫理委員長ら。 他に新聞即売、貸本、古書籍関係者が出席。国民会議側は東京、宮城、大阪、福井、長崎、山口など、 この問題に取り組んでいる地区からの参加となっている。

 続いて翌68年12月に第2回懇談会が開かれたが、テーマは前回よりさらに厳しい 「青少年にとって好ましくない一部の出版物をなくする運動をいかに進めるか」となった。 先生はじめ出版関係者は、「不良出版物の現状は、一向に好転していない」「漫画本が増え、中にはエログロ的なものも」 などと「悪書追放」を訴える都道府県民会議代表と忍耐強く話し合いを行った。

 その後、71(昭和46)年2月に「少年雑誌と青少年の問題」が、さらに73年からそれまで個別だったのが 「青少年と映画、出版物、広告物に関する懇談会」となり(76年まで)、以降もマスコミ関係団体との懇談会が開かれている。

 お互いに青少年を育成するという国民会議のメンバーとして、手を携えて青少年と出版物の問題を話し合うべき会なのだが、 各地からの出席者はいつも、初めて参加するという人が多く、出版物のひどさ、青少年への悪影響などを声高に語り、 ときには「出版をするな!」とまでの強硬意見も出る。

 版元代表の中には恐縮するものもいるが、そんな時、先生は出版界の状況、出倫協構成4団体の概略、出版社の数、 流通状況などを簡単に説明され、ついで出倫協の成立ち、自主規制の趣旨などを、分かりやすく、ゆっくりと説明される。 長老の諭すような語り口には、たいがいのウルサ型も、納得させられてしまうようだ。 これは、第1回目から変わっていない布川流である。

 昨今は、代々木にあるオリンピック記念青少年総合センター内の会場で、雑誌、テレビ、ビデオ、社会環境など、 そのときどきの問題を取り上げ、いくつかの分科会に分かれて行われている。

 なお、先生は71年度から81年5月28日に退任するまで、理事(任期2年)を務め、この日、 国民運動発足15周年記念運動功労者の一人として顕彰されている。〔橋本健午〕

《東京都青少年健全育成審議会》

 1964(昭和39)年7月に成立した「東京都青少年の健全な育成に関する条例」は、同年10月1日に施行された。 この審議会は同条例第19条により、(ア)すぐれた図書類、映画等、がん具類の推奨と、 (イ)内容が青少年に対し、著しく性的感情を刺激し、又ははなはだしく残虐性を助長し、 青少年の健全な成長を阻害するおそれのある図書類および映画等、また同様のがん具等についても、 知事の諮問に応じ、調査し、審議するために設置されたものである。

 委員は20名以内で、区分は(1)業界に関係を有する者(3人以内)、(2)青少年の保護者(同)、 (3)学識経験を有する者(8人以内)、(4)関係行政機関の職員(3人以内)、(5)東京都の職員(同)となっている。
 任期は2年で、各区分から推薦された者が務めている。現在第17期(〜98年9月30日)目であるが、布川先生は、 第(1)区分で第1期(64・10・1〜)から第13期の途中(90・3・31)まで25年にわたり委員を務められた。 後任は清水英夫出倫協議長で現在に至っている(注:02年7月、第3代出倫協議長の鈴木富夫に引き継ぐ)。

 推薦団体は、(1)出版倫理協議会、映倫管理委員会、東京都興行環境衛生同業組合で、 これまで不変(第20期(02・10・1)より前二者は変わらず、日本フランチャイズチェーン協会が加わる)、 (2)は途中から、主婦連、東京地婦連、東京母の会連合会となり、(3)は当初から都議会議員4名、 新聞協会3名(朝日・毎日・読売→20期より毎日・東京・読売に)、他に大学教授などとなっている(現・日本善行会)。 都議はその時の情勢によるが、各会派で割り振る由。かつての社会党議員は、教育問題に熱心なものが多かったという。 (4)は東京法務局、東京少年鑑別所、警視庁と変らず。(5)は現在では生活文化局総務部、福祉局児童会館、 教育庁生涯学習部から。

 なお、92(平成4)年3月には審議会に小委員会制度が設けられ、先の区分(1)〜(5)が指名する委員5名によって、 審議するとしている。審議会等を担当するのは、生活文化局女性青少年部(02・04〜都民協働部に)である。
 知事が審議会の議を経て、図書類を"有害"であると指定するのは他府県でも同じだが、他が「有害図書」というのに対し、 東京都は「不健全図書」という。

 また、東京都では審議会に諮る前に「諮問図書に関する打合わせ会」が開かれる。 これは条例制定時の、自主規制の尊重など各種慎重論などを参考に、自主規制を行っている団体があるときは、 それらの意見を聞かなければならない(第15条2)としているからで、その場の意見がかなり審議会に反映しているという。
 この会には、出倫協傘下の4団体(書店業は東京組合)から委員および事務局が参加し意見交換を行っている。 他に、首都圏新聞即売委員会、東京都古書籍商業協同組合、東京都貸本組合連合会などの自主規制団体も参加 (02年7月〜出版倫理懇話会、日本フランチャイズチェーン協会も加わる)。

 先生が審議会を担当されたのに対し、「打合わせ会」に書協から小峰広恵氏 (元・小峰書店会長。当時、書協・出版の自由と責任に関する委員会委員長)がかなり長い時期出ておられ、 いつも柔軟な意見を述べられた。お二人は青少年育成国民会議にもそろって出られるなど、 倫理問題では常に出版界をリードされていた。

 先生はときどき、「審議会では都議を中心に、よく委員が代わる。ドギツイ内容の雑誌を初めて見て、ヒドイじゃないか、 これは! というのも無理はないが、半年もすると、もう驚かなくなる」などと会の模様を話していたものである。

 ところで、この条例の施行により、出版倫理協議会は65年度に「自主規制で、青少年の健全育成に寄与するところが特に大である」 との団体表彰を受けた。また、先生自身も71(昭和46)年度に「青少年を健全に育成するために積極的に活動し、 その功績が特に顕著である」として、都知事より個人表彰を受けている。
 ちなみに、小峰氏も健全育成に寄与が大であるとして、84(昭和59)年度に表彰された。 昭和年代では全体で3個人、4団体のみの貴重な評価である。   〔橋本健午〕

(以上、日本出版学会編『布川角左衛門事典』日本エディタースクール出版部1998・01)


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