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「表現の自由」とその限界―『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷』を出版して

―「総合ジャーナリズム研究」No.193・2005夏季号 橋本健午(ノンフィクション作家)


 

自国の歴史を学ばない若者に対して

 私は"青少年と出版物"に関する略年表を作ったことはあるものの、発禁に関しては専門家の労作があり、当初この年表作りには頭を抱えてしまったが、 若い出版人向けにという要望に活路を見出した。
 自国の歴史を学ばない若者が多いという現実を知ってから、彼らに対して何かできないかという思いがずっとあったからだ。 もう一つ、マスコミ関係者はいうに及ばず、出版人でさえ、わいせつ文書と"有害図書"の区別がつかないという現状に、 苛立ちを感じていたのも事実である。
 2001年7月、私は中学・高校でどのように歴史(日本史)を学んできたかの調査をしてみた。 対象は講義を受け持つ日本エディタースクールの18歳から33歳の学生76名、数は少ないが首都圏を中心に26都道府県の国公私立高出身の男性42名と女性34名である(詳細は〔拙稿1〕参照)。
 中学時代、授業は「教科書どおり習った」が約六割と主流とはいえ、教科書を最後まで習った人は約4割で、 昭和20年の終戦ごろまでしか習わなかったのが7割近くもいた。高校でも似たような状況が見られ、中学高校とも教科書の途中で終わったケースがいちばん多く、 55・9%となっている。
 この数字を裏付けるように、若者には試験に出ない時代「現代史」を習う・覚えるのはムダという風潮があり、その前年9月、 TBS「ここがヘンだよ日本人」で、東大の学生が平然と「歴史を覚える必要はない」と発言し、外国人から「歴史を知らなければ、再び過ちを繰り返す。戦争もまた」と反論されていた。
 さらに少し前、"自虐史観"論争がうるさくなった1997年には「歴史の授業で、近現代史は省略されるか、熱心さのあまり、 先生が加害面ばかり生徒に押し付けてしまう傾向があったのでは」との山田朗・明治大学助教授〈近現代史〉の談話が紹介されている(東京97・6・27)。
 自国の歴史に関する授業が、中学時代から敬遠されれば、"歴史知らず""歴史嫌い"が多くなるのは必然であろう。 このような若者の多くに、いきなり「明治・大正…」とか「発禁・わいせつ」などといったところで、それは"歴史"に興味を抱く以前に、 振り向きもされないだろうと、私は思ったものだ。

 

発禁・わいせつ文書と"有害図書"のちがい

 マスコミ関係者は"発禁・わいせつ"について一定の知識や関心を持っているだろうが、では"有害図書"と、どうちがうのか明確に説明できる人は、 ほとんどいないというのが実情で、これこそ看過できない問題なのである。
 わいせつ文書は明治以来、刑法175条で取り締まりの対象となるが、戦後に各都道府県で制定された青少年健全育成条例でいう後者は上記175条には抵触せず、 大人は見てもよいが18歳未満の少年たちの目にふれれば"その内容は刺激が強すぎ、場合によっては有害ではないか"というあいまいな存在のものをさす(長野県にこの条例はない)。
 つまり、頒布する目的で流通し、あるいは店頭にあるだけで「わいせつ」とされるものとちがい、 行政や警察関係、青少年育成に携わる住民、また一部の学者などが"有害図書"といえば「有害図書」とされるもの、 すなわちこれらの人たちの頭の中にあるだけで、現実には"無いに等しい存在物"ともいえる。
 したがって、店頭に並んでいるだけでは「有害図書」とならないはずのものが、 新聞などで「去る五日、神奈川県警は有害図書類のアダルトビデオなどを自動販売機に収納すると知りながら、 商品を卸したとして、同県青少年保護育成条例違反(自販機収納)ほう助の疑いで、 大手アダルト雑誌等卸会社とのその社長ら二人を書類送検した」(東京05・4・6)などと報ずるから、 読者もそれは悪いことだから当然だと思ってしまう類いのものである。
 この"無いに等しい存在物"について、なぜ"一部の大人たち"が躍起になるのか、いま趣旨がちがうので割愛するが、 マスコミ人でさえまちがって報道するものを、若い人たちにどう分かりやすく説明すればよいかに、私は腐心せざるをえなかった。

 

読物としての年表をめざして

 このような二つの観点により、明治初年前後から2004年まで約140年間の、言論規制や青少年条例を中心に、 政治ばかりか世相など、出版だけでなく、先人の歩んだ時代について、興味をもって学べるように配慮したつもりである。
 随所に解説をほどこしたのは、さまざまな出版物など表現の発露や、それに対する規制の強化などは、その時代状況を抜きにして起こるものではなく、 それらを省けば個々の事例がなぜ生起したのか想像もできなければ理解も得られず、やはり"歴史はつまらない"ことになるのを避けるためであった。
 索引も同じ趣旨から、出版に限定することなく、その年や時代を示す言葉を選び、あるいは一つの言葉が後代に関連する場合を⇒印で示し、 約600項目を並べた。具体的には、(1)各種の法律と、(2)新聞を含むメディア等の規制〈発禁ほか〉、(3)出版社の創業や、 (4)ベストセラーなど出版界の動向、(5)事件・事故と、(6)社会の動き、(7)「わが国初の…」や、(8)流行り言葉なども加えた。 とくに戦後に生まれた(9)"有害図書"の概念と、(10)青少年条例の制定、その(11)規制などの(12)用語解説、そして(13)コラムも出版関連を中心に9項目設けた。
 第2章・戦前編(1868〜1945)と第3章・戦後編(1945〜2004)の時代区分は便宜的なものであり、前者の約80年間に後者は約60年間だが、 ページ数は後者のほうが多い。たとえば、青少年対策として、戦前の場合は昭和13年の児童雑誌に対する規制が顕著であり、 また「少国民」の育成など国家が介入し有無をも言わさないものであった。
 一方、戦後は青少年条例の制定が行きわたり、かつひんぱんに規制を強化するのはほとんど自治体間の競争の観を呈している。 さらに、「それでは生ぬるい、中央立法化を」という声が何度も起こるのは、大人たちの"先祖返り"なのか、はたまた自信のなさか。 終戦を境に日本は生まれ変わったかに見えたが、そうでもなかったというのが、この件に関する率直な感想である。

 

今もつづく日本人の"お上"志向

 最後に、第1章総論「表現の自由とその限界/近代日本の法整備について」ふれておこう。
 順序は逆になるが、「近代日本の法整備について」に関しては、わが国民は、お上志向の強い"役人国家"であるといわざるを得ない。 中央省庁に限らず、地方の公務員やみなし公務員など、その家族を含め、さらに都道府県庁のある"城下町"の飲食店や出入り業者、 入札に付きものの贈収賄の数々を見れば、国民の半数以上に、依存体質を含め"役人根性"があるのではないか。
 明治のはじめ、徳川以来の身分制度を排し、近代国家たらんとする当時、先進国に学んで法整備が急務だったこと、 また休日や勤務時間、給与制度などの制度は、たしかに国を造る過程では必要で、いきおい役人に適用することから始まった。 少し、その動きを拾ってみると、
 明治2年4月―諸官規則を改正(太政官)/6月―版籍奉還、藩主を知藩事に任命、▼3年9月―官吏の出勤時刻を午前9時と決める、 ▼4年8月―官庁で椅子の使用が始まる/9月―官吏月給制の実施/9月―ドン(正午号砲の制)を制定/10月―東京で邏卒(いま、警察官)3000人を新採用、 12月―司法機関として最初の東京裁判所設置、▼5年4月―日曜休暇制が決められ、5月―取締組を邏卒と改称、などとある。
 一方、当時の庶民生活とその待遇を見ると、
 明治1年6月―横浜で薬湯の男女混浴を禁止/8月―大阪府で男女混浴を禁止/9月―横浜で立小便が禁止、 ▼2年2月―猥褻もの売買の禁止/11月―無提灯の夜行禁止、▼3年6月―東京府で男女混浴が禁止/8月―子女売買の禁止 /9月―平民に姓(氏)の呼称を許可、▼4年4月―戸籍法の制定、国民を華族・士族・卒・神官・僧侶・平民に区分 /4月―新吉原に黴毒病院設立/7月―旅行の自由許可/11月―裸体の通行禁止に/11月―横浜に共同便所を設置、 ▼5年3月―身体に入れ墨禁止の布告/4月―女子の断髪禁止/8月―農民間の身分制を禁じ、職業の自由許可 /酒造法の制定で民間の造酒が不可能に/ルーデサックの発売、5年4月―裸体、混浴、春画、性具、刺青厳禁という状況であった。
 そして、「表現の自由とその限界」については言わずもがな、出版・言論活動は政治や社会の動きに連動し、新聞記者や編集者、 作家など執筆者も時の権力に立ち向かうが……。
 対する規制は明治1年5月―福地源一郎、『江湖新聞』の「強弱論」で官軍に捕らえられ、発禁・版木没収(言論弾圧の始まり)、 5月―太政官布告により、出版、許可制となる(明治政府による最初の出版規制)、6月―許可を受けない新聞の発行禁止、 2年2月―新聞紙印行条例の制定(発行許可制・検閲・政法〈政治のやり方〉批評禁止など)、5月―出版条例・同附録(許可制、政治誹謗・風俗壊乱禁止、版権保護など)公布などと続き、 有名な讒謗律〈ざんぼうりつ〉が発布されるのは8年6月末のことである。
 時代は下って、大正から昭和、戦前の国民生活は"世界大戦"と無縁でなくなり、さまざまな規制に翻弄される。 とくに、言論・表現の自由は封じ込められ、やがて"戦争協力"が常態化したのではなかったか。 いま、それらを反面教師とすべきことが多々あるのも事実である。
 また、性表現は人類の歴史とともに発展してきたが、その取り締まり、わいせつの解釈も揺れ動く。 なかでも、青少年と出版物は政治に利用され、住民(国民)の加担することも多く、置き去りにされるのはいつの世も青少年であったことはすでに述べたが、 いま改めてその意を強くする次第である(〔拙稿2〕参照)。
 さらに、知る権利をタテに、人権・名誉・プライバシーなどの侵害を行なってきた出版はじめメディア側に反省することもあるとは思うものの、 報道に関する規制は強化の兆しに、対応策はあるのかどうか。
 一方で、昨今またもや明るみに出た数々の役得、いやお手盛りなど責任を取らず、かつ"先送りする"役人の体質は民間にも及んでいる。 今年は戦後60年という節目の年だが、日本だけでなく、欧米でも歴史の風化が起こっているという。"歴史は繰り返す"のか、 "歴史(日本人)は変わらない"のか、私は判断に迷っているところである。

〔1〕拙稿「(歴史を)よく知る必要がなぜあるのですか―危うい日本人の歴史認識―」(日本エディタースクールHP web EDITOR「論文」欄02・8・6)
〔2〕拙稿『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』(明石書店02・11)



『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷』−出版年表−


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