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少年非行と出版倫理その他の変遷―かつて"子どもだった"ことを忘れた大人たち―

1999・07


 少年非行と"有害図書"はいつの時代も仲がよい"悪影響を与える"ものと指摘されてきた。本当にそうなのだろうか。

子どもは時代を映す鏡

 終戦直後の子どもたちの状況を見ると、教室不足の学校より刺激に満ちた社会から学ぶことのほうが多く、 浮浪児や戦災孤児ばかりか、親のいる子どもも混じって、盗み、かっぱらい、ヒロポン中毒、家出、売春などと すでに非行のほとんどがそろっていた。
 例えば、最近の援助交際のありようと大差のない"闇の女"を調べると、好奇心からという動機が24.2%を占め、 14歳、15歳も珍しくなかった(注1)。

ワイセツと"有害"の違い

 出版物を取り締るのに刑法第175条で扱うのか、あるいは青少年に"有害"であるという観点から"排除"しようとするのか。
 例えば、昭和23,4年に流行ったエログロ雑誌の多くは175条が適用されているが、 "非行に走る"青少年に有害だという視点もあった。
 そして、25年に岡山県で、子どもたちに有害な雑誌などを読ませないようにする目的で全国初の"エロ本取締条例" (図書による青少年保護条例)が公布された。

 その後、映画やオモチャなども問題となり、青少年保護を目的とした条例が生まれはじめるが、 30年に入ると子どもマンガや子ども向け雑誌の付録合戦が槍玉に上がり、"悪書追放運動"が起こり、 「青少年保護育成法案」の立法化が検討されたりした(注2)。
 このとき、中央青少年問題協議会は、業界の自主規制に任せるとの結論を出したため、その後長野県を除く46都道府県で、 青少年への販売制限等の規制を盛り込んだ青少年保護育成条例が制定された。 さらに、メディアの発達や"有害図書"問題が起こるたびに、これらの条例はいくども改正強化されている(注3)。

排除できない"アウトサイダー"

 同業者の"不良出版物"を苦々しく思ったり、「彼らは部外者」、「オレたちには関係ない」と思うのは人情である。
 現に昭和26年、出版界がこぞって「"不良出版物"取締りに対する陳情」を行ったとき、 全国出版協会が"会員中にそんな不都合なエロ出版などやるものはいない"と参加しなかったケースがある(注4)。
 「オレたちには関係ない」という気持ちは理解できるが、こと"青少年問題"がらみではタブーである。 毎年春に開かれる青少年育成国民会議(注5)の"青少年と出版物"懇談会で「アウトサイダーの実情は把握していない」 などと言おうものなら、地方から駆けつけた育成者の総攻撃に遭う。
 住民は育成者からすれば、本屋やコンビニで売っている雑誌や本は、どの出版社のものであろうが、みな同じであるからだ。

 戦後すぐのエログロ雑誌の問題以来、出版界の倫理向上、浄化運動に尽力してきた布川角左衛門(注6)は、 "アウトサイダー"や"不良出版物"について、「浄化運動は大きな川の流れのようなもので、まわりの岸にゴミがあっても、 本流がきれいに流れるように努力すればいいと思っているのです」と語る(夕刊読売新聞1987・11・20)。
 布川の考えは、出倫協を構成する団体(の会員社)が発行する、取り次ぐ、 販売する出版物はみな"インサイダーもの"として扱うというものである(注7)。
 そこには、戦前の言論統制やGHQの検閲を経験した布川の、"出版・言論の自由"を再び失うことのないように、 身内への"配慮"と公的規制への"監視"を怠ってはならないとの願いが込められている。

いつでも当事者不在の論議

 住民運動、行政などの対策はいつも当事者(子どもたち)不在の論議でしかなかった。 "子ども自身がなにをどう考え、どのようなことを望んでいるのか"に耳を貸さず、"次代を担う青少年"、 "明日をきずく青少年"のためにと、身勝手なお題目を唱えてきた。 自分の子ども時代を振り返れば、「余計なお世話」と思うはずなのに、すっかり忘れて"いい子"ぶっているのである。
 また、非行のピークの原因として、その時どきの突出したメディア、昭和26年の性典もの映画、同39年のテレビ番組、 同58年の少女誌などを、非行との因果関係の証明もなく、スケープゴートにして事を済ませようとするのも、彼らの論理である。
 これでは抜本的な解決策は出てこず、子どもたちはお題目に反して「時代につぶされ、明日も傷つく」破目になる。

規制好きは日本人の特性?

 大人たちは子どもの自主性を無視して、すぐ校則などの禁止事項を設けて対処しようとしない。 作るまでが目的で、それで安心してしまう日本人は官も民も保守的、お役所的な民族といえる(注8)。
 例えば"有害コミック"問題による東京都の条例改正に関し、規制派は自分たちの声を反映させる"通報制度"を設けさせた。 ところが、通報は最初の4月に19件(うち"有害コミック"については5件のみ)、5月32件、6月25件であった。
 前年来、規制強化の請願人は延べ2万4千余名に上っていたが(読売新聞1992・5・4)。

古典的メディア―出版物

 テレビゲーム、パソコン、インターネットなどで、子どもがワイセツ画像を見ていても、 たいていの大人は証拠として"摘発"できない。パソコンのゲームソフトの解読に1週間もかかったという例(92年、宮崎県)もある。
 また、ビデ倫の審査を受けた成人向けビデオを購入も試写もせず、みな"有害"指定する自治体がいくつもあった。
 一方、本や雑誌は印刷物、安価であり手に取りやすい、昔から慣れ親しんでいるメディアである。 それだけにターゲットにされやすいことは、これからも変わらない。

(注1)「昭和22年5月に検挙された女性5,225名のうち、(売春の動機が)生活に窮して46・9%、好奇心からは24.2%である。 年齢別では、病院に送られたもの3,084名のうち14歳3名、15歳3名、16歳26名、17歳107名、18歳138名…」(「朝日年鑑」昭和23年版)である。

(注2)このとき、警視庁防犯部の調査による"29年1年間の青少年の性犯罪のうち47%が 「不良出版物」の影響を受けている"との報告がなされている(中河伸俊/永井良和編著「子どもというレトリック」青弓社1993)

(注3)90年夏からの"有害コミック"問題では、それまで業界の自主規制を尊重していた大阪・京都・広島をはじめ、 全国的に強化された。これは時の自民党政調会長が同党所属全議員に発した"(規制強化の)請願書の書き方" が各地住民の請願に弾みをつけた。

(注4)「日本出版取次協会20年史」によると、前年ワイセツとして起訴され裁判沙汰となった「チャタレー夫人の恋人」 の余波を受けて、地方での警察の"不良出版物"取締りの行き過ぎに小売店は悲鳴を上げ、はなはだしいところでは、 一般の娯楽雑誌まで送本中止の申し入れをしてきた。 そのため、全国出版協会・日本出版協会・出版取次懇話会・日本出版物小売業組合全国連合会の4者で協議し、 時の吉田首相や検事総長に陳情し、「各新聞が大々的に取り上げ、人権擁護連盟まで応援に来て、都合よく効果的に終わった」という。

(注5)昭和41年5月、総理府(現、総務庁青少年対策本部→02・01内閣府)の後押しでできた全国民的な青少年育成組織。 下部に都道府県民会議、市町村民会議がある。青少年団体38、育成団体44、教化団体6、全国知事会などの公共団体4などのほか、 マスコミ関係も15団体が加わっている。うち出版関係は雑協・書協・取協・日書連の出倫協を構成する各団体である。

(注6)布川は、昭和38年12月に設けられた出版倫理協議会(出倫協)の初代議長を長く務めた(〜平成2年3月)。

(注7)いわゆる"書店ルート"等で流通する出版物をさす。したがって、成人向け出版物を発行する出版社の団体 「出版問題懇話会」(→02・06出版倫理懇話会)のものや団体に所属しなくても、同ルートで流通する出版物は "インサイダーもの"といえる。

(注8)余談だが、"巨人・大鵬・玉子焼き"に代表される日本人論は、"保守主義"を意味すると仮定しよう。
 一説によると、全国のプロ野球ファンの7割強は巨人びいきであるといわれる。 巨人戦は必ずテレビで放映される(接触度が高い)から、子どものときから巨人ファンになる可能性は高くなる。
 さらに、中央・地方の、すなわち郵便局員等を合わせると公務員(とその家族)は、 これまた日本人の7割前後に上るのではないか。
 短絡的に結論づけると、変革を望まない大多数の"無党派層"日本人は自民党支持者であり、巨人ファンであり、 お役所的な民族であるといえる。
 ではなぜ、その日本人が"認知"している日の丸・君が代の法制化を強行しようとするのか。 それは、弱いもの(子ども)イジメの"規制好き"だからであり、さらにいえば大人として、 いや民族として"自信がない"からであろうと考えられる。

【『出版学会報』第98号所収、日本出版学会99年度春季研究発表会(5・22)】


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