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倫理と商売は両立するか/広がる"有害本"規制 出版界は時代に即応した対応を

2000・03


 「コンビニでわいせつ本を立ち読み、小6男児、女児らに連続わいせつ行為」(今年1月、相模原市) と格好の攻撃材料も飛び出し、出版界にとって春から迷惑な、あまり歓迎したくない気配が漂いつつある。
 本論に入る前に、さいきんの"出版倫理"に関する動きを整理しておこう。青少年保護育成条例(条例)、 児童ポルノ処罰法(法律)、週刊誌の広告表現(媒体)そして、直接出版物とは結びつかない?  女性に対するものを主とする性的いやがらせ(セクハラ)の四つについて。

 「条例」を見ると、東京都では98年10月、ついに"淫行処罰"規定を盛り込み、また99年夏以降、 2人の若者の自殺は「自殺マニュアル本」の影響だが、現行では"自殺本"を規制できないとして、改正の検討が行われているという(注1)。
 図書類規制の条例を持たない長野県でも99年3月にテレクラ規制の条例を設け、 "テレクラ"は95年以来わずか数年で全国を制圧? された。この条例制定は、出版界には何の関係もないはずだが、 後に見るように、青少年育成者には大きな意味を持つものであった。

 次に、「法律」もややこしい状況になった。"ワイセツ"には刑法等があるものの、「児童買春・児童ポルノ処罰法」に、 "淫行処罰"規定と"児童ポルノ"禁止が並列され、出版界に混乱をもたらしたが、"規制派"にその区分けはいらない。
 「媒体」では、車内吊り広告の性表現や残虐表現について、新聞投書も苦情を中心に勢いを増し、 雑協と関東交通広告協議会は97年5月、99年8月、今年1月の3回にわたり、話し合いを行っているという。 新聞社からも同様に、過激な性表現広告は、新聞の品位を損なう、NIE(新聞活用教育)の現場では生徒が騒ぎ授業にならないなどの理由をあげ、 字句の修正にとどまらず、中には全面的な掲載拒否も続けられている。 昨年11月に雑協と日本新聞協会とで最初の話し合いがもたれたが……。

 最後の"セクハラ"は、その言葉遣いに真性と擬似性(拡大解釈)が渾然としており、無防備の男たちを萎縮? させている。
 しかし、"児童売買春"をなくそうというのは世界的傾向であり、また児童ものだけでなく"ポルノ野放し"日本は世界から取り残される。

長年の慣行「委託制度」の弊害を露呈

 昨年秋の児童ポルノ処罰法施行前後の、取次会社や一部書店と書店組合の慌てぶり・過剰な反応、 例えば法律の解釈を"所轄"の警察に求めたのは、少し軽率ではなかったか。 昭和26年の"ワイセツ類書抜き打ち押収"の際に似たような動きが見られたが(注2)、近くは92年の法改正により、 条例における"有害図書類を青少年に売ったりした場合"の罰金額が3万円から30万円となって、 各地の書店主が大慌てしたことがあった。包括指定(注3)などにより30万円も罰金を取られてはかなわないと……。
 今度は法律であるから全国斉一であり、「児童ポルノ」を「製造し、所持し、運搬し」た者は、「3年以下の懲役」または 「300万円以下の罰金」に、腰を抜かした? からだろうか。

 このような問題では、"商売"と"倫理"は両立しないものである。それを承知でいながら、取次会社は内では強圧的に出、 外には被害者意識を振りかざす、両刀使いはいかにも姑息である。 また、書店等における混乱は、日々扱う商品を(不可能だからと)吟味しなかった、長年の慣行「委託制度」の"弊害"を露呈したともいえ、 さらに、店頭状況はコンビニ店との差がなくなっている。

みな同じように考えていると思ってしまう"男社会"の錯覚

 一部週刊誌の記事内容(写真を含めて)は、かなり前からその是非が論じられているが、電車に乗っているのは、 男性週刊誌の読者ばかりではない。乗客の"見たくない自由・権利"への配慮は当然であろう。 車内吊りは、これまでも差別的表現や人権問題となるもの、企業の醜聞に類するものなど、個々にではあるが、 さまざまな掲出拒否があった。
 "セクハラ"の観点からいえば、87年1月末に「ラッシュアワーはポルノアワー? 嗚呼、鼻先にエログロスポーツ紙」 と行動を起こす女たちの会の集会が開かれ(注4)、また、一般企業や公的機関のポスターなどもヤリ玉に挙げられている。 にもかかわらず、週刊誌だけ改まらなかったのは、"世間"が見えていなかったからであろう。

 一方、週刊誌広告に対する一部新聞の動きは感情的である。それゆえに支持する読者も多いが、 類似の企画を競っているA誌が拒否され、B誌は掲載されるのはおかしいという常識派もいる。 これまで、ほとんど問題とならなかったものが、急に、また各紙で修正が行われはじめた背景は何か。 新聞協会は前会長時代、再販制度の維持について出版界との共同歩調を求めたが、現会長になってから出版物を"悪者"化し、 切り離したい意向が働いているともいう。理不尽な掲載拒否だが、なにも知らない人たちは大歓迎であり、 読者離れの危機感から始まり、大金をつぎ込む? NIE運動に思わぬ効果が出たといえる。

もう「児童ポルノ処罰法」は過去、着々と"新法"の検討が!

 さて、本論に入ろう。この1月28日、青少年育成国民会議(注5)の「青少年と社会環境に関する中央大会」が東京で開かれた。 午後は出版やテレビなど業界団体と全国の育成者の懇談会で、出版界からも10数人の参加者があった。 問題なのは、午前中に育成者だけの会合があり、「情報提供」という形で中央立法化を目論む"青少年育成基本法"(仮称)の説明がなされ、 参加者への事前アンケートとともに、そのまま"世論形成"の場となったことである。

 昨年7月の青少年問題審議会の答申を受けて(注6)、同会議内の環境問題専門委員会が11月9日、12月3日、同22日、 今年1月14日、同24日と短期間に5回も開かれ、とくに5回目の会合では、「(28日の)会場から意見をもらい、委員会に反映する」 ことを確認しており、"意見聴取"は重要なセレモニーであった(今年度中に結論を出す)。

 つまり、「はじめに結論ありき」なのである。なにしろ150名前後の参加者は、"悪いものは悪い"という 規制派ばかりである。 反対意見(「住民運動が大事」)を述べたのはただ1人で、「業界の自主規制が甘い」「コンビニでの区分けができていない」、 はては「包括指定は多くの県に及んでいるから、法制化を」「長野県にも(テレクラ)条例ができた。もう法律を作るべきだ」というように、 全体のムードは中央立法化を望み、早く制定せよというものだった。つまり、条例があるから今の仕事をしている人々が、 その"職"を失ってまで立法化を望んでいるのだ。

 さらに、専門委員会での討議はとても学者たちの議論とはいえない。藤本哲也委員長(中大教授、犯罪学・刑法)によると、 5回の討議内容は「現在の法律では大人の責務について謳っていない」「法律は国家意思の表明、条例は都道府県の意思表明」 「表現の自由は児童の幸福追求のために行使しなければならない」「法律的に『有害』という明確な定義はない。科学的には説明できないが、 子供たちが被害にあっている現状を変えたいというのが法律制定の趣旨ではないか」「住民運動はなかなか成果が上がっていない」 「親に対する啓発活動を続けているが、状況はまったく変わっていない、絶望的だ」「読売新聞の広告規制は評価できるのではないか」 などである。いかがであろうか。

 この法制化の根底にある思想は、「団体規制法など、戦後第3の法律の大改正」(藤本教授)で、 これは"大人の責任"を隠れミノに"青少年に窮屈な世の中"にする法整備であり、法案は衆参両院で検討中と聞く(注7)。 世間は、できた法律にはもう関心がない。
 今年は解散・総選挙の年であり、"青少年と出版規制"は票に結びつく。日本人の"深層心理"に、 予防(=備え)を好まない性癖があるが、あえて問題提起をしておきたい。

(注1)長岡義幸「『完全自殺マニュアル』拡大する規制の動き」(『創』99年11月号)。

(注2)拙稿「出版倫理 攻防の半世紀」E参照(『新文化』99・11・25所載)。

(注3)条例による有害図書類の指定には、ア 個別指定、イ 緊急指定、ウ 包括指定がある。 アは、雑誌等の内容を担当職員が1冊ずつ吟味したものを、審議会で"有害"かどうかを判定し、知事が指定する。 イは、アを行う際に"緊急を要する場合"は、審議会での検討を飛ばしてしまうもので、担当職員の専断で指定される危険性がある。 東京都ではそれを避けるため、審議会のなかに「小委員会」制度を設けている。 ウは、ア・イとはまったく異なり、何ら吟味する必要はなく、書店等に入荷した段階で、有害図書とされる。 つまり、ある図書の20ページ以上、あるいは全ページの5分の1以上などに、(全裸、または半裸などの) 性表現があれば"指定されている"というもの。

(注4)『都民女性の戦後五〇年 年表』(東京女性財団編著・ドメス出版1995)。

(注5)昭和41年に作られた青少年育成を目的とし各種活動を行う組織で、都道府県民会議、青少年団体、育成団体はじめ、 マスコミ(15団体)等のほか、個人会員もある。 出倫協を構成する出版四団体も加盟しており、また講談社は初期からの会員である。

(注6)答申「『戦後』を超えて―青少年の自立と大人社会の責任―」の具体的提案に 「"青少年育成基本法"(仮称)の制定に向けた検討」項目のほか、(注7)「青少年を非行から守る環境づくり」に関し、 「青少年に有害な行為等を規制するための法律の制定や関係法令の規定の整理、統合、充実、 罰則の強化の必要性についての検討」項目がある。

(初出(『新文化』2000・03・02号、原題:倫理は法理論ではなく、感情論である―国の青少年対策について"心理"学的一考察―)


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