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有害図書規制/出倫協はいま何をすべきか

2001・04


 一年半の本紙「新文化」連載で、戦後の青少年と非行、"有害図書"と規制、住民運動と新聞報道などを検証してきた。 "攻防"はなんども起こり、その都度、規制は厳しさを増している。
 いま、"基本法"制定問題や都条例の改正強化などに対し、出版関係者は過去を見つめなおし、 この繰り返しの連鎖を断ち切る方策を立てるべきではないだろうか。

 戦後、"悪書"と指弾されたのはカストリ雑誌、エログロ出版物、ワイセツ文書、エロ雑誌、不良図書、低俗週刊誌、 青少年有害雑誌、ハレンチ漫画、自販機本、ビニール本、少女雑誌、コミック本、さらには成年向け雑誌、 CD-ROM付雑誌などである(注1)。
 青少年にとって"有害"というだけでなく、刑法175条がらみの「ワイセツ文書」、あるいは人権侵害を伴う「低俗週刊誌」 も含まれており、出版界が対応に苦慮しつづけた歴史でもあった。

 そして、国や地方公共団体は警察や住民とともに、「悪書はけしからん」、「青少年に有害なものは排除せよ」と、 業界の自主規制を期待する一方で、中央立法化を目論み、それが叶わぬと見るや、 青少年保護を名目に出版物等を規制する条例制定が全国で進められてきた。
 中央立法化の"動き"は昭和30年、32年、33年、40年、53年、55年、そして58年と続く。 なんども繰り返されたのは、青少年非行が増えつづけるからである。

出版物と非行の因果関係は希薄

 青少年が非行に走る要因は、親や友人関係、つまり家庭や社会環境にあると早くから指摘され、 また規制派の学者や練馬鑑別所所長、家裁判事等でさえメディアと非行の因果関係は薄いと認めているが、 母親を中心とする住民、PTA、防犯関係などは、自分たち親や大人に責任があるとは認めたがらず、 また警察は新聞の助けもあって、その時どきに流行っているメディアをスケープゴートにしてきた。
 非行の第一次ピークは昭和26年、第2は39年、第3は58年で、非行の原因として、それぞれ性典映画、テレビ番組、 少女雑誌がやり玉にあげられた。そして平成10、11年は第4次のピークといわれており、 「児童買春・児童ポルノ処罰法」が成立する。
 さらに、選挙のときだけ"青少年問題"を利用する政治家が、選挙権を持たない"青少年"をないがしろにしてきたことも忘れてはならない。

 そんな中で、出版界は戦後すぐから出版綱領、出版倫理綱領、出版物取次倫理綱領、雑誌編集倫理綱領、出版販売倫理綱領、 出版問題懇話会編集倫理綱領、また雑誌広告倫理綱領等を設け、それぞれに自主規制を行なってきた(注2)。
 にもかかわらず、次々に規制が厳しくなるのはなぜか。一言でいえば、国や規制派の、「悪いものは悪い」 というメディア有害論に対し、出版界はいつも"言論・出版の自由"を口にするため議論はかみ合わず、 また現実にさまざまな新しい出版物が物議をかもすことも多く、"劣勢の攻防"が繰り返されてきたからである。

"言論・出版の自由を守るために"

 出版倫理に関する対外的な窓口となり、また内に向かっては自粛や注意を促す機関・出版倫理協議会(出倫協)がある。 身内の書店組合から起こった青少年有害雑誌不売問題や東京都条例制定の動きに対処するため、 昭和38年12月に結成されたもので、"青少年と出版倫理"を司っている。

 初期に設けた自主規制には、目下、裁判で係争中の宝島社のCD-ROM付雑誌のように、 都の"有害"指定を連続3回あるいは年通算5回受けた雑誌への「帯紙措置」の勧告がある。 ついで、各都道府県での指定状況を勘案して、指定多数の雑誌を対象に「要注意取扱誌」の公表があった(注3)。
 出倫協がそのような措置をとったのは、出版・言論の自由を守るために、なんとしても法規制を避けなければならないと考える、 布川角左衛門初代議長の苦渋の選択であった。

 同議長の言動を見てみよう。
 昭和39年、東京都の青少年健全育成条例制定の動きに対し、1月「低俗出版物といわれるものの質、 量とも後退の方向にあること、この問題での法的規制は言論・出版の自由に絡む」、 ついで3月「出版物は条例によって規制すべきでなく、業者の良識ある自主規制に任すべきである」と2度の陳情書を提出、 さらに5月出倫協は出版物自主規制特別委員会を設置し、7月はじめ「図書類の規制の除外について」の請願書を提出する。

 その甲斐もなく、7月末に条例が成立すると、「条例の施行は遺憾である。しかし、われわれとしては従来の主張や態度を改める必要も余地もない。 施行された以上、今後は条例がひとり歩きしないよう運用面を十分監視する」旨の談話を発表するなど、 その姿勢を崩すことはなかった(下線筆者)。

その後の自主規制とその効果

 今日の状況はどうか。自民党あるいは民主党による"青少年社会環境対策基本法"策定の動きに対し、 放送も規制対象になると危機感をもつ民放連を中心に、反対声明やシンポジウムが行なわれ、出版界も同様の状況にある。
 このような"反対運動"は、業界人の注意を喚起するという点で意味はあるかもしれないが、歴史的に見ると、 行動はたいがい後手に回っており、また規制派との"攻防"はいつもズレている印象を受ける。

 その根底にあるのは、多くの出版人に共通する「アウトサイダーの問題ではないか。規制されても当然だ」という思いであろう。
 それを端的に表しているのが、今回の東京都の条例改正に関する"動き"である。 まもなく可決必至といわれる改正案の指定事由に「自殺若しくは犯罪を誘発し」を追加され(ア)、 新たに「青少年に適当でない図書への表示」とそれらの「区分陳列」の義務化(イ)とあるのに、 これらに関し出版界あるいは出倫協が、先の"基本法"に対するように明確な"反対"の意思表示を示していない点である (3月2日になって東京都書店商業組合が都議会各会派等に要望書を出しているが)。

 とくに、イはコンビニ等での混売が青少年に悪影響を与えるため区分陳列をせよという趣旨だが、 言論・出版の自由を持ち出すまでもなく、"出版物と非行の因果関係は希薄"であるにもかかわらず、 出倫協では反論どころか、東京都に迎合するかのような"自主規制"(雑誌の区分けを行なう、映倫に似た組織づくり) を検討中だという。

 もう一つ、東京都関係でいえば、平成8年に出倫協が導入した「成年向け雑誌」マーク付雑誌を、 "指定対象としない"としていた都が、昨夏に指定したため、話がちがうと清水英夫議長が"抗議"したところ、 その後の指定は止んだという話がある(しかし、東京都だけが地方自治体ではない)。

 このマーク付⇒内容がハードになる、は必然の結果であったが、手を打てなかったわけではない。 というのも、出倫協の「成年向け雑誌に関する自主規制の申し合わせ」(勧告措置)に、 (1)露骨な性描写を中心とする成年向け雑誌に「成年向け雑誌」マークを表示し、小売書店等において、 「成人コーナー等への区分陳列販売を徹底、青少年へ販売しない等の取り扱いを行うこと。 (2)東京都で「不健全図書」に指定されたものに、指定の都度発行出版社に自主規制の勧告を行うこと、 とあるからだ(平成10年6月19日「出版倫理協議会『自主規制』についての記者会見」配布資料、下線筆者)。

 その後の状況から想像するに、このいずれの自主規制も実行されていたとはいい難い。 とくに、(2)の勧告など、ほとんどなされていなかったであろうことは、今回の宝島社の例を見るまでもない。

布川前議長はどのように"抵抗"したか

 ふたたび布川前議長の"哲学"をご紹介しよう。
 マーク付について、昭和49年10月、青少年育成国民会議の懇談会で、雑誌倫理研究会(雑倫、今の出版問題懇話会の前身) がはじめた「成人向マーク」の表示について、出版界全体にとって好ましくないと待ったをかけた理由を、 「出版物は(成人映画とちがって)あらゆる人の目にふれ、見られる。 仮に成人向というマークの下に、容易に卑猥なものを使わないとも限らない。 それより出版物の特性を踏まえて青年であれ、少年であれ全体的にやってもらったほうがいいのではないかという見解で中止してもらった。 かえって隠れ蓑になることのマイナスの懸念があったからだ」と説明(青少年育成国民会議編「青少年と映画・出版物・広告物に関する懇談会」、下線筆者)。

 つぎに、具体的な倫理基準の策定は、「社会状況の変化や、運用する個人の判断で左右される基準を固定することには問題があり、 世論の良識ならびに出版者の良心に一任することが妥当と考える」。また、俗悪出版物の自主審査の実施は、 「これが言論・出版の自由を抑制する虞があるばかりでなく、年間数万点と発行される出版物の審査は、実施不能である。 あくまでも従前からの自主規制を一層強力に推進し、その実を挙げていくべきであると思う」と述べている(「日本雑誌協会三十年史」)。 いずれも、昭和54年4月20日付総理府青少年対策本部参事官あての回答である。

 同時に青少年育成国民会議からの要望に対し、「こうした問題には決定的な決め手がない。 短兵急に決め手を求めることは、重大な事態を招く惧れがある。お申し出の倫理基準、有識者を加えての自主審査機関の設定という点については、 この意味で残念ながら、お断りするほかない」(同上)。
 時代状況が違うとはいえ、傾聴に値する見解、いや見識ではないだろうか。

本当にアウトサーダーは存在するのか

 先の"申し合わせ(勧告措置)"のような、形だけの規制の枠組みを設ける前に、出版者(社)、 出版団体や出倫協のそれぞれが、できるところから早急に自主規制を行なうべきであろう。 具体的な方法はすでに述べたが(拙稿「青少年有害環境対策基本法案(素案)の問題点」『出版ニュース』2000年7月下旬号)、 もっと大事な問題として、出版界にある"錯覚"について触れておきたい。いわゆるアウトサイダーをどう考えるかである。

 出倫協は出版四団体で構成されている。版元の場合、書協・雑協の会員社以外はアウトサイダーといえるが、 それらに属さない版元の出版物をも扱うのは取協に属する取次会社であり、日書連に加盟する書店等である。 つまり、出倫協構成団体が取り扱う出版物(書籍を含む)に関しては、アウトサイダーは存在しないといえるのではないか。

 これは布川前議長の、出版物はみな同じ扱いを受けるべき、つまり出版の自由は全ての出版物に及ぶという考えでもある。 さらにいえば、世間の人々は今も昔も、出版物を版元の所属団体によって区別などしてはくれない。

 冒頭にあげた"悪書"のうち、純粋にアウトサイダーといえるのは流通経路も違うカストリ雑誌、エログロ出版物、 エロ雑誌、自販機本、ビニール本等だが、それでも先輩たちは対応に苦慮させられた。
 例えば55年、日本PTA全国協議会が、225万3千人の署名をつけて有害図書販売規制立法の国会請願を行なった際、 問題とされたのは自販機本だったのである。
 今こそ、排除の論理を捨て、みんな仲間という観点から、お互いに納得した実行可能な自主規制策をとるのでなければ、 新聞はじめ"アウトサイダー"には太刀打ちできない。

 最後にもう一度、布川前議長の考えを聞こう。 「青少年の健全育成は世論の支持と理解が必要です。こういう浄化運動は大きな河の流れのようなもので、 まわりの岸にはゴミがあっても、本流がきれいな流れになるように努力すればいいと思っているのです」 (「出版のこころ(5)夕刊読売新聞・昭和62年11月20日)。

【初出「新文化」2001・04・05原題:出版界・出倫協はいま何をすべきか―「出版倫理・攻防の半世紀」を終えて】


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