出版倫理・青少年問題・目次へ

出倫協は"第3者機関"設置を!/青少年問題に限らず包括的に

2002・11


"有害図書"と少年非行に、因果関係はなかった!

 本紙で「出版倫理・攻防の半世紀」の連載を終えて二年近く経ち、その後も"出版倫理"についても何本か寄稿し、 検証と問題提起をしたつもりである。
 このたび、それらを集大成した『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』 を明石書店から上梓させていただいた(本体価格2800円)。

 戦後の出版事情や世の中の動きを概括すると、"有害図書"と"少年非行"との因果関係はムリヤリこじつけられたものであった。 では、なぜ出版物は指弾されつづけてきたのか。私なりにそれを解明したつもりであるが、そこには出版人を含めた、 日本人の深層心理を伺うことができる。

 さて、この1年ばかりを振り返ってみると、宝島社の東京都提訴、都条例の改定、出版ゾーニング委員会の設置などのほか、 新古書店やマンガ喫茶の台頭、図書館でのセルフコピー問題、自費出版をめぐる訴訟、100円コミック問題などもあり、 "ハリ・ポタ現象"を除いて芳しい話は聞こえてこない。もう一つ、公的規制の強まるなか、雑協に「雑誌人権ボックス」が発足した。 "目に見える形での"情報公開を期待したいところだが、ことはなかなかスムーズにはいかないようだ。

都条例と出版ゾーニング委員会の対応のズレ

 青少年健全育成の見地から、成人向け雑誌の販売を区分せよという改定都条例による管理方法は、(1)間仕切り・衝立の設置、 (2)他の図書類から60センチ以上の隔離、(3)陳列棚の左右に、20センチ以上の張り出し仕切り板をつける、 (4)150センチ以上の高さにまとめて並べ、「青少年への制限」の明示をする。 これらが出来ない場合は、(5)ビニール包装、ひも掛けをせよ、と5つの区分方法を提示している。

 60、20、150センチ以上などと、どのような基準で算定したのか、都もずいぶん芸が細かいが、 これだけ選択肢があるのは出版界を思う"親ごころ"かもしれない。
 一方、出倫協は構成4団体に出版倫理懇話会を加えて「出版ゾーニング委員会」を設けたが、 ゾーニングという"地域"を意味する委員会が、雑誌の表現"内容"を審査し、都の指定を受ける前に、 当該版元に「18禁」マークをつけるよう勧告するのも、やはり"親ごころ"なのだろうか。

 マーク付が"免罪符"となり、性表現がエスカレートした前例がある。 平成8年に出倫協が採った「成年向け雑誌」マークの表紙表示で、すでに150誌以上につけられており、 当初は都の指定対象とならなかったが、今やかなりのものが指定されている。 そして今度の「18禁」では、雑協の一部加盟社が勧告を受ける前から積極的にマークをつけているという。

 さて、販売現場を見ると、コンビニエンスストアでは"都の指定図書"や"マーク付"は扱わないという方針だそうで、 もっぱら矛先は書店に向けられているらしいが、出倫協の委員が書店まわりをしたという話も聞かない。 マーク付の是非についても、再検討すべきである。

 また、有識者を含む出版ゾーニング委員会も、雑誌の内容もさることながら、先の五項目について、 できるかできないかを検討し、都と協議する必要があったのではないか。
 小規模の書店では、20センチとか60センチなどのスペースに余裕もないだろうし、不況の上に、万引も多いご時世、 勢い(5)の「ビニール包装、ひも掛け」を選びたいようだが、それを版元だけに要望するのは安易ではないか。 書店ごとに"売る売らない"から、(1)〜(4)の選択肢もあるはず。小売店としての企業努力が求められる。

 ところで、10月はじめ松文舘のコミック誌がワイセツ容疑で摘発され、社長と編集局長に著者も逮捕され、 勾留期間いっぱい(21日間)も拘束され、罰金を支払わされて、経営的に大きな打撃を受けたことだろう。

 これに関し、出倫協が、「出版社個々の問題で業界全体の問題ではない」(本紙、本年10月10日号)としているように、 危ういのは出版人の心の底にある、自分たちには関係ないという"アウトサイダー"認識である。
 気をつけなければならないのは、当該社だけでなく出版界に向けられる冷たい目であり、出版人はそれをよく考えて、 "出版倫理"の立場から、出版界全体の問題として捉えなければ、世間の目はさらに厳しいものになるであろう。

読者は出版全体に倫理を求めている…出倫協の再検討を

 この夏、出倫協の議長が清水英夫氏から、鈴木富夫氏(講談社顧問)に替わった。 3代目の同氏は『週刊現代』編集長を務めるなど、長く"現場"にいた人で、その手腕に期待する向きも多いことだろう。

 出倫協の設立趣旨は、"出版倫理"のうち、青少年と出版すなわち、都道府県条例に関わる問題に対処するためで、 昭和38年12月に設けられた。以来、初代布川角左衛門議長は東京都条例制定時や大阪府条例の改定時など、 あるいは同58、9年の少女誌問題のときも自粛・自主規制の徹底を標榜し、公的規制の反対を唱えるなど精力的な活動を行ってきた。

 しかし、出倫協の設立時から40年近くも経ち、時代も出版状況も大きく変化している。 長引く不況はどの業界でも同じだが、出版物は(売るために)表現がハードになるという、 手っ取り早い手段に訴える傾向が強いのは先に述べたとおりである。
 一方で、「ブック・スタート」や「朝の10分間読書」などの運動をしながらも、読書離れ、いや読者離れを防ぐには、 個々の出版社が努力することはもちろん、出版界全体として、目に見える"出版倫理"に取り組む時期に来ているのではないか。

"出版の倫理"とはなにかを考えよう

 私は1年ほど前からHPを立ち上げ、略歴や著作等を掲示するほか、毎月コラムを連載しているが、 予想もしなかったのは見知らぬ人たちからの、ある作家の小説や雑誌コードの問い合わせ、 雑誌と広告のレクチャー要望などを受けたことである。

 また、ある女性から、ほぼ同一内容と思われる書籍の新版・改題の発行について、倫理上問題はないのかと聞かれた。 私には答える義務もなかったが、"出版倫理"というコンテンツを掲げた以上、放置するのも無責任であると思い、 当該社のHPを検索し(目次の比較のみ)、「あなたの言い分どおりかもしれないが、この不況下、出版社にもいろいろ事情があるのではないか」 と答えたところ、「とても優しい方ですね」といわれ、一件落着? となったが、"出版倫理"は広く解釈されていることが分かったのである。

 そこで、一つの提案だが、出倫協の役割を青少年問題に限らず、出版一般に関する外部識者を加えた"第三者機関"を設けてはどうだろうか。 すなわち、人権や・プライバシー、名誉毀損などは、雑誌だけでなく、書籍やコミックまたCD-ROM、DVDなども対象とした組織である。 さらに、扱う商品に対する知識の貧弱な書店員、またポイントカード導入問題、書店にも読者にも不適切な配本など、 販売現場での改善すべき点も少なくない。
 出版の危機から脱出するには、出版人全体による"出版の倫理"確立が急務である。

【初出「新文化」2002・11・19 橋本健午〈ノンフィクション作家〉】


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