『戰線文庫』研究 復刻版について

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歴史に埋もれた「戦線文庫」◇戦時中に発行されていた旧海軍の月刊誌を研究◇

(日本経済新聞05・04・27「文化」欄)

 「こんなものがあるんだけど……」。知り合いの日本出版社社長、矢崎泰夫さんから古めかしい雑誌を見せられたのは二〇〇二年秋だった。 小ぶりのB6判で、二百四十ページほど。表紙には目元ぱっちりの和服姿の女性と軍艦が描かれている。誌名は「戦線文庫」。 初めて目にする雑誌だった。
  国会図書館にも無い
 矢崎さんによると、旧日本海軍が戦時中、戦地の兵士向けに配布していた月刊誌で、彼の父親が発行に携わっていた。 手元にだいたい残っているが、欠本もあり、全体像がわかっていないとのこと。今では歴史の中に埋没し、忘れ去られた雑誌だという。
 「戦線文庫の存在を世に知らせたい。力を貸して欲しい」。好奇心をくすぐられた私は即座に引き受け、彼との共同研究が始まった。
 意気込んだものの、最初は四苦八苦した。欠本の存在やその内容を確かめようと国立国会図書館に足を運んだが、一冊も残っていない。 旧海軍関係者の全国的組織「水交会」にも保存されていなかった。それでも図書館や文学館、古書店などに当たるうちに、 次第に全体像が浮かんできた。
 創刊は一九三八年(昭和十三年)九月。日中戦争開戦の翌年である。B6判だが、途中からA5判に変わっている。 毎号総ルビの体裁で、小説や落語に漫画、浪曲、戦況報告、それに囲碁将棋やコントなどのコーナーもあるぜいたくな雑誌だ。
 例えば創刊号を見ると、菊池寛の小説「兄と妹」、子母沢寛の小説「無敵の秋太郎」などとともに、川口松太郎、柳家金語楼、 西條八十らの名前がある。さらに巻頭グラビアでは田中絹代、桑野通子らが「頑張れ!海軍の皆様/長期戦に感謝は愈々(いよいよ)深し」と声援を送っている。
 ページ数は創刊当初二百三十八ページだったが、二十二号(四〇年八月刊)から二百ページに減っている。用紙不足が深刻化したためだろう。 ただ、このページ数は破格だったようだ。五十六号(四三年六月刊)に「他の雑誌はほとんど百頁内外となったが、本誌は現在の頁をもって、 日本一の雑誌としてみなさまに送る」といったことが書かれている。
  厳しくなかった検閲
 この雑誌に寄稿していた漫画界の重鎮、杉浦幸雄さんに二年前、インタビューできたのは幸運だった。 「戦線文庫は特別ですよ、何描いてもいいんだから。こんな本は戦時中なかったんですよ、一般向きには」。 軍国主義の当時、表現は制限されていた。しかし、海軍お墨付きの戦線文庫は検閲もさほど厳格でなく、寄稿者も比較的自由に表現できたのだろう。 貴重な証言を下さった杉浦さんは残念ながら昨年亡くなられた。
 ところで、矢崎さんが父親から伝え聞いたところによると、発行部数は四二、四三年ごろの最盛期で二百万部だったという。 確認はできていないが、真実ならば驚くべき数字だ。終戦まで刊行されたという新聞記事があるが、現在までに確認できたのは、 七十七号(四五年三月刊)まで。それは今後の研究課題だ。
 旧海軍はこの雑誌を兵士に無料で配っていたが、その目的が第一に戦意高揚であるのは間違いない。創刊号の編集後記には、 武士の絵の隣に「勝って兜の緒を締めよ」と記されている。ただし一方で、慰撫(いぶ)、娯楽の側面も強かった。
 兵士たちはつかの間だけれど、戦争という極限状態を忘れることができたのでないか。大げさな言い方かもしれないが、 研究を通じ、雑誌の力を改めて認識させられた。
  旧陸軍も同様の雑誌
 こうした成果をもとに、日本出版社から「戦線文庫」の復刻版が六月に出る予定だ。三号と五十三号の二冊を完全復刻し、 同時に他の号の表紙と記事の一部抜粋して収録、私は解説文を担当した。
 調査の過程で、内地の人々向けに「戦線文庫 銃後読物」という「戦線文庫」とほぼ同じ内容の雑誌が四〇年暮れから四十銭で売られていたことが判明。 また、旧陸軍も「戦線文庫」と同じような月刊誌「陣中倶楽部」を出していたことがわかった。
 大戦とともに歩み、終刊を迎えたこれらの雑誌には、なお不明な点が多い。調査研究はまだまだ終わりそうにない。

橋本健午(ノンフィクション作家)


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