『戰線文庫』研究

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『戰線文庫』等に係わる原稿料に関する一考察

 『戰線文庫』に掲載された論文、小説や詩、絵画や漫画などに、原稿料が支払われていたことは、 漫画家杉浦幸雄氏のインタビュー(03年7月)で承知していた。いまだ詳細は分からないが、それがどのような仕儀であったか、 ある研究資料により考察してみよう。

 原稿料の問題に入るには、推理作家・大坂圭吉に関する研究者の力を借りなければならない 〔資料:杉浦俊彦「ふるさとの人3 三河にも推理作家がいた―大坂圭吉の《復活》―」…『学友』愛知県立岡崎高校・第16号1973・03所収〕。
 大坂(大阪)圭吉(1912〜1945)には今こそファンは多いそうだが、この論文が書かれた昭和47,8年ごろの状況を見ると……。 冒頭に「その死後、ジャーナリズムから不当に無視され、忘却の淵深く沈んでいたその泥の底から、推理作家大坂圭吉は、 27年の歳月をかけて、今ようやく、再びなつかしの推理文壇の晴れ舞台に、自力ではいあがって来たという感じだ。 ――幽鬼のごとく」という筆者杉浦俊彦による"対談"形式の記述がある。

 さらに杉浦は、"不当に無視され"た大坂について、資料を示してそれを実証する。 すなわち、昭和15年12月20日発行の「文芸年鑑」(2600年版、文芸家協会編集・第一書房刊行)にある「文筆家総覧」に、 大仏次郎と並んで記載されている人物だが、記載事項は「大坂圭吉 愛知県新城市221、本名鈴木福太郎、明45生、愛知、 探偵小説『灯台鬼』『愛情盗難』」だけだというのである。
 別に、1942(昭和17)年、上京して日本文学報国会に勤務しながら、作家活動の本格化を目指すが、翌年応召ともある。 また、HP「小林文庫」オーナーの小林眞氏によると、大坂は「くろがね会」の会計課長(?)だったらしく、 その関係で「戦線文庫」等に作品を発表したものと思われる。その後出征し、終戦の直前にフィリピンで戦死とのことである。
 この「くろがね会」とは海軍省恤兵部が同報道部と共同で、『くろがね叢書』という定期刊行物(B6判ソフトカバー、非売品) を出していた海軍省外郭団体「社団法人くろがね会 くろがね叢書編輯部」をさす。第1集は昭和17年12月号と考えられ、 既発表の小説のアンソロジーといえ、収録作品には時代小説や江戸川乱歩や海野十三の探偵小説等もあり、 終戦近くまで刊行されていたようだ。

 さて、原稿料について、大坂圭吉は自筆の作品目録を残していた。前期、杉浦資料の"対談"のつづきに、 「これは単なる作品リストではなく、一種の作家の家計簿にもなっている。彼は、自分がもらった原稿料の金額まで克明に記しておったのだ」とあるように、 昭和7年の雑誌「日の出」創刊号の懸賞に佳作で入選した短編探偵小説「人食ひ風呂」の賞金前期半分「20円」からはじまり、 昭和18年7月25日の〈貯金コント〉「主なき貯金」…大政翼賛会ヨリ文報〈注:日本文学報国会〉ヲ通シテ委嘱「30円」までの、 約191件である(なお、〈貯金コント〉の後に記載された2件は雅子未亡人によるとある)。

 入金は、小説ばかりとは限らず、書籍出版による印税もある。このリストには、ハガキ回答なども記録されているから、 すべて入金を伴うものではないようだ。小説等を掲載した雑誌や新聞は多岐にわたるが、当時の出版事情の一端を知るために発表順に並べてみよう (もちろん、複数回による掲載誌紙は多い)。

 昭和7年「新青年」
 昭和9年「ぷろふいる」
 昭和10年「探偵文学」
 昭和11年「月刊探偵」「名古屋釣新聞」「新愛知新聞」「逓信協会雑誌」
 昭和12年「探偵春秋」「改造」「モダン日本」「シュピオ」「探偵倶楽部」「旅行サロン」
 昭和13年 百貨サービス社「近代生活」「映画ファン」東宝映画雑誌「エス・エス」
 昭和14年「週刊朝日」「奇譚」「戰線文庫」「にっぽん」「名作」
 昭和15年「ユーモアクラブ」「キング」「少女の友」「講談倶楽部」「富士」
 昭和17年「豊橋同盟新聞」「講談雑誌」関東軍機関誌「ますらを」「くろがね会報」「読切講談」「新国民」「満洲良男」「文学報国会建艦献金」「新天地」
 などとなっている。

 一般に、雑誌等の原稿料は同じ出版社の発行でも、雑誌により(400字詰1枚の)単価に異同があり、 また作家の"格"によっても異なる。スペースや字数の固定された随筆欄などは、筆者に係わりなく一律という場合が多い。 したがって、金額の高低を論ずるのは簡単だが、あまり意味がないと言える。
 逆に、作家側から見た場合、雑誌によって単価の違いがあるため、いま風の「時間給」的感覚で言えば、 同じ枚数でも"損得"の意識が働く場合もあるだろう。とはいえ、作家と雑誌(あるいは編集者)とは密接な関係により成り立っていることが多く、 長く続くことによって単価は上がるということは大いにありうる。

 このような前提のもとに、戦前はどのような状況であったかを見てみよう。
 まず「大坂(あるいは、大阪)圭吉」から見た原稿料について、昭和14年以降の"定点観測"を試みるが、 単価で比較するため枚数不明のものは除外した。海軍関係のものでは「戰線文庫」を中心に、「くろがね会報」、 そして興亜日本社が係わった「にっぽん」であろうか(各誌の発行元・創刊年月などは『雑誌年鑑』昭和17年版「雑誌目録」による。単価は橋本の計算)。

 「新青年」博文館(大正9年1月創刊)
 昭和14年…新年号「三の字旅行会」26枚65円(単価:2円50銭)、6月号「正札騒動」20枚47円(2円35銭)、10月号「告知板の女」26枚52円(2円)
 昭和16年…新年号「赤いスケート服の娘」16枚40円(2円50銭)、4月号「九百九十九人針」28枚70円(2円50銭)、8月号「プイプイ君の大経験」33枚80円(約2円42銭)
 昭和17年…3月号「多産系の妻(自若夫人)」32枚75円(約2円34銭)、8月号「アラスカ狐」32枚96円(3円)
 昭和18年…2月号「交換船入港(夜明の甲板)」30枚90円(3円)
 《注:原稿料の入金は、2か月前となっている。ただし、最後の「交換船入港(夜明の甲板)」は掲載が遅れたようで、 入金は前年9月である。なお、寄稿しても「引取り」(つまり、入金ナシ)という例は17年に4件ある》

 「週刊朝日」朝日新聞社(大正11年2月創刊)
 昭和14年…新年特別号「求婚広告」30枚78円(単価:2円60銭。ただし、大坂本人は2円50銭としている)、5月7,14,21,28号連載「愛情盗難」計83枚249円(単価:3円)
 昭和16年…春ノ特別号「翼賛タクシー」21枚74円(約3円52銭)

 「キング」大日本雄弁会講談社(大正14年1月創刊)
 昭和16年…3月号「紅毛特急車」34枚68円(単価:2円)、*月号「日の丸灯台」17枚34円(2円)、*月号「日本の空」37枚74円(2円)、*月号「姿なき侵略者」32枚80円(2円50銭)、*月号「公衆電話の女」10枚37円50銭(3円75銭)
 《注: 「キング」の場合、15年4月号の「盗まぬ掏摸」から寄稿し始めたようだが、掲載月号不明、枚数不明が多いほか、 「引取り」(入金ナシ)という例が16,17年で4件ほどある》

 「戰線文庫」戰線文庫編纂所⇒興亜日本社(昭和13年9月創刊)
 昭和14年…第11号(9月発行)応召綺譚「尋人をする女」30枚45円(単価:1円50銭。苗字は「大阪」。なお、「にっぽん」にも同時掲載)
 昭和16年…第35号(9月発行)慰問小説「約束」22枚30円(約1円36銭。「大阪」)、第37号(11月発行)慰問朗話「貧棒籤」5枚8円(1円60銭。「大坂」)
 昭和17年…第41号(3月発行)「ハワイ軍港掃海奇談」22枚48円40銭(2円20銭)、第44号(6月発行)明朗小説「スエズ湾の軍艦旗」22枚55円(2円50銭。「大阪」)、第48号(10月発行)「ソロモン海の鬼鷲」20枚50円(2円50銭)
 昭和18年…第54号(4月発行)海戦小説「ガダル島総攻撃(操舵室異状なし)」22枚77円(3円50銭。「大坂」)、第58号(8月発行)訪問記「面舵一ぱい航海学校(黒潮に誓ふ航海学校)」15枚60円(4円。「大坂」)

 小説の原稿枚数が、20枚前後から30枚前後となっているのは、このころの一般的な傾向だろうか。 週刊誌(「週刊朝日」)の連載は、1回21枚のようであるが、今日の連載(17,8枚)に比べ、やや多いようであるが、 ページ数、挿絵の大きさ・点数を比べてみなければ何ともいえない。

 もう一つ、興亜日本社が編集した「にっぽん」(名古屋新聞社出版部発行・昭和14年6月創刊)について、調べてみよう。
 最初に登場するのは、上記「戰線文庫」第11号(9月発行)に掲載の「尋人をする女」を、昭和14年9月号に同時掲載したものだが、その後は15年分を省き、
 昭和16年…7月号から「弓太郎捕物帖」を8 回"連載"するが(第8話は未発表)、枚数は26,25,26,24,25,25,26,25で、いずれも30円である(約1円15銭〜25銭)。
 つづく、17年3月号「大東亜物ジャングルの兵変」25枚30円(約1円20銭)、4月号「マニラの混血娘〈メスチサ〉」28枚30円(約1円07銭)、5月号「南の処女林」25枚30円(1円20銭)、6月号「動く珊瑚礁」24枚30円(約1円25銭)、7月号「東印度の娘」26枚30円(約1円15銭)、8月号「五つの船渠〈ドック〉」25枚30円(1円20銭)、9月号「氷河婆さん」27枚30円(約1円11銭)と枚数に関係なく、一本30円となっている。

 ところで、大坂は「くろがね会報」という海軍関係の"会報"に17年6月と18年2月の2度、随筆(「椰子の実」「男子出生」)を寄稿している(掲載月は不明)。
 前者は入金額不明であるが枚数は7枚、後者は枚数が不明だが金額は7円とあるところから、単価は1円と推測されるが、 7枚の随筆というのは小説のそれ(20〜30枚前後)に比べ、かなり枚数が多い感じであるが、いまそれ以上の特長は見出せない。

 このように、大阪圭吉ひとりを例にとっても、さまざまなケースがあり、また大阪が当時、 どの程度のランク(評価、貢献度など)であったかも分からないが、大胆に推し量れば、原稿用紙1枚の単価は、 1円前後が"相場"と考えられ、場合によってはその倍以上になることもある、といえようか。
 なかでも、探偵小説の専門誌「新青年」は高く支払い、また「週刊朝日」のように週刊誌は今も一般的に高く、 講談社の"国民雑誌"「キング」もよい条件であったようだ。
 ちなみに、文藝春秋社社主の菊池寛は、他人の原稿を「文藝春秋」等に掲載する場合、依頼した場合は2円、 持ち込みは1円としていたという。

 〔以上、主として杉浦俊彦氏の「ふるさとの人3 三河にも推理作家がいた―大坂圭吉の《復活》―」に依拠した、 ささやかな一考察です。新たな発見でもあれば、改めてご報告する次第です。2005年10月 橋本健午〕


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