『戰線文庫』研究

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4月号の比較、『銃後讀物』を中心に

 雑誌の編集内容の変化を知る一つに、同じ月号での比較という方法があるのではないかと思い、 将兵向け『戰線文庫』ではなく、内地向け『銃後讀物』の4月号を中心に選んでみた。 理由は欠本の多い中で、この号が比較的そろっていたからである。
 なお、『戰線文庫』のものも同時に掲げたのは、将兵向けと内地向けは似て非なるところも比べていただきたいためである (〈  〉内は作者名、"//"以下は『戰線文庫』の場合。年号表記は和暦(昭和)を基準とし、年号を省略する)。 また、参考までに列記した「表紙スローガン」については、別項で論ずる予定。

1、表紙に表示された特集や絵など

ア〉16年4月特別号「銃後と戦線を結ぶ 戰線文庫 銃後讀物」//第30号「戰線文庫」
  表紙絵:漁村の春〈志村立美〉//ふるさとのわが家〈宮本三郎〉
  目次カット:さくら〈栗田次郎〉//春の野〈栗田次郎〉
  口絵原色版:海の護り固し〈松添 健〉//菜種と蛤〈川端龍子〉
  表紙スローガン:・・ナシ・・ //・・当初からナシ・・

イ〉17年4月号「決戦下の大衆雑誌 戰線文庫 銃後讀物」//第42号「欠本のため不明」
  表紙絵:海の翼(村上松次郎)//・・欠本のため不明・・
  目次カット:南方の果実〈栗田次郎〉//・・欠本のため不明・・
  口絵:・・ナシ・・ //・・欠本のため不明・・
  表紙スローガン:進め 貫け 米英に 最後のとヾめ刺す日まで//・・当初からナシ・・

ウ〉18年4月号「決戦下の大衆雑誌 戰線文庫 銃後讀物」//第54号「海軍恤兵雑誌 戰線文庫」
  表紙絵:暁のくろがね〈高井貞二〉//艶姿(今村恒美)
  目次カット:海上決戦〈栗田次郎〉//桜花爛漫〈栗田次郎〉
  口絵原色版:激しきソロモン空戦を語る〈林 唯一〉//戦地を思ひて〈志村立美〉
  表紙スローガン:ソロモンも決戦 銃後の決戦//・・当初からナシ・・

エ〉19年4月号「海軍の国民雑誌 戰線文庫 銃後讀物」//第66号「海軍恤兵雑誌 戰線文庫」
  表紙絵:マスコット〈林 唯一〉//陽春の子供〈黒崎義介〉
  目次カット:水雷戦隊〈栗田次郎〉//海棠〈栗田次郎〉
  口絵原色版:船団は征く〈海軍報道班員 大久保作次郎〉//乙女桜〈岩田専太郎〉
  表紙スローガン:國民ことごとく戰士で 撃て//・・当初からナシ・・

オ〉〈参考〉20年3月号「欠本のため不明」//第77号「海軍恤兵雑誌 戰線文庫」
  表紙絵:・・不明・・//敢闘〈岩田専太郎〉
  目次カット:・・不明・・//桃の花〈佐野 浩〉
  口絵原色版:・・不明・・//増産乙女〈清水良雄〉
  表紙スローガン:・・不明・・//・・当初からナシ・・(ただし、"持ち出し禁"の印刷あり)

 このように並べてみると、さまざまに差異のあることが分かる。この『銃後讀物』4冊+『戰線文庫』1冊にふれる前に、 両版の全体について概括しておこう。

その1、表紙・月号表示

 『戰線文庫』の表紙はシンプルで、誌名『戰線文庫』と絵画に「号数」の表記を基本としているように見えるが、初期のころはそうではなかった。
 まず、「号数」は創刊から16号まで、下方の左右いずれかに黄色地に(1)〜(16)の数字だけである。 しかし、特集あるいは"記念"号としての表記を、左右いずれかに縦書きで加えることが多かった。
 3号(13年11月30日発行、漢口廣東陷落記念號)、4号(新春慰問特輯號)、6号(海南島占據記念號)、 8号(事變下海軍記念日特輯)、10号(支那事變二周年記念特輯)などとあり、 発行日が1日に固定された11号(14年7月1日発行、八・一三事件・汕頭攻略記念特輯)、 12号(大阪地方海軍人事部扱 塩野義商店慰問號)、14号(武漢・廣東攻略一周年記年)、15号(皇紀二千六百年記念 新年號)、 16号(皇紀二千六百年記念 建國二月號)と、その時々の"特集"を謳っていた。
 つまり、戦況もその対応も"真珠湾"に至る前は、楽観視していたことがうかがえるのではないか (12号の場合、その一部を塩野義商店が献本したものを指すと思われるのは、無表記のものが岐阜県立図書館に所蔵されていたことによる)。
 17号から21号(15年3月号〜同年7月号に相当)は欠本のため不明であるが、22号(面目刷新 涼風八月號)、 23号(南方事情特輯九月號)、そして、24号「十月号」、25号「十一月号」、26号「十二月特別号」としたあと、 次の27号から「第二十七号」のように表記しはじめ、それが固定した(目次および奥付、表4の表示も同様である)。
 なお、タイトル『戰線文庫』(上部に右から左横書き)が、「海軍恤兵雑誌/戰線文庫」(2段、上部に右から左横書き)となっているのは、 現存するもので43号(17年5月1日発行)からである。31号から42号まで欠本で不明だが、真珠湾攻撃後の戦況を考えると、 43号以前からの可能性は強いといえる("/"は改行を示す。以下同じ)。
 さらにいえば、表紙の下方に楕円の判子(タテ24ミリ、ヨコ18ミリ)状に「海軍部外持出厳禁/海軍軍用雑誌/部外配布閲讀ヲ許サズ」と、 タテ3行に印刷されたのは65号(19年3月1日発行)で、次の66号では「部外持出厳禁/海軍軍用雑誌/部外配布閲讀ヲ許サズ」と若干の変更があり、 それは77号(20年3月1日発行)でも確認される("/"は改行を示す)。
 《話を混乱させては申訳ないが、海軍恤兵部では、やはり将兵向けに小説中心の月刊「くろがね叢書」を出していた(創刊は17年12月と推定)。 その第十七輯(19年4月30日発行)の表紙にも「海軍部外持出厳禁/海軍軍用図書/不許部外配布閲讀」の表示がある》

その2、内地版『銃後讀物』の表紙表示

 『戰線文庫』の"姉妹誌"としての立場からか、『銃後讀物』の現存するいちばん古い25号(15年11月号)のタイトルは「戰線と銃後を結ぶ…/戰線文庫」 (2段、上部に右から左横書き)とあり、その下に横書きで「十一月號」、さらに「特輯 南方新情報讀物」(右端、縦書き)に、 「進む戰線揺るがぬ銃後(軍事保護院)」(左端、縦書き)と、すでににぎやかである(ちなみに、表紙絵「白衣の天使」は『戰線文庫』と同じで、26、27号とつづいた)。
 次の26号からタイトルが「銃後と戰線を結ぶ讀物/戰線文庫/銃後讀物」と3段表記となり、「十二月特別號」のほか、 左端に縦書き「〔全篇讀切〕海鷲未亡人の手記 大空の遺書…間瀬一恵/日獨伊代表娘の誓ひ/若い娘・新體制生活・座談會」 と内容の一部を記載する。これは以後もしばらく続いたようだが、欠本が多いので詳しくは分からない。
 さらに言えば、「銃後と戰線を結ぶ讀物/戰線文庫/銃後讀物」は、27号だけ「銃後と戰地を結ぶ讀物/戰線文庫/銃後讀物」となっており、 42号以降は「決戦下の大衆雑誌/戰線文庫/銃後讀物」と変わり、60号(18年10月号)では「海軍の国民雑誌/戰線文庫/銃後讀物」に、 さらに69号(19年7月号)では「海軍の国民大衆雑誌/戰線文庫/銃後讀物」と変ったことまで判明している。

2、巻頭言と特集のタイトルならびに編集後記

 巻頭言が初めて『戰線文庫』に載ったのは、15年11月号(25号)の「新体制と海上権」と推定される。 同月発売の『銃後讀物』でも同一タイトルで、同じ内容と思われる。
 掲載されるのは、「中扉」(本文内で誌名などを表示)のページで、25号以前はときどき、詩や歌などを載せていた。 最初は『戰線文庫』第10号の「讃我海軍 今井邦子」で、11号「汕頭攻略の歌 (氏名記載ナシ)」から途切れ、 22号(15年8月号)「聖戦三周年の賦 詩・英美子」、23号(15年9月号)「空中艦隊 歌・海軍大佐 市丸利之助」、 24号(15年10月号)「南進日本 詩・岩佐東一郎」と続く。
 この間、『銃後讀物』ではどのように掲載されたか、未刊行あるいは欠本のため不明である。
 なお、『戰線文庫』の29号は巻頭言ではなく「渡洋爆撃の詩 森霞翠」であるが、『銃後讀物』では「〈巻頭言〉洋心を衝く」とある。
 一方、編集後記は、その名のとおり、編集部がその号の特集など内容について述べるものであるが、これらの雑誌では、 毎号その冒頭に"戦況"を受けてのメッセージを載せている。仔細に見ると、巻頭言に対応した内容で、かつ『戰線文庫』と 『銃後讀物』では微妙な差異をつけているのは、後に掲げるとおりである。

 では、『銃後讀物』の16年4月号(ア)から19年4月号(エ)の4冊、そして参考として『戰線文庫』第77号(20年3月号・オ)の、 (1)巻頭言と(2)特集のタイトルならびに(3)編集後記を見てみよう。

 昭和16(1941)年版(16年3月5日印刷、16年4月1日発行)
 ア−(1)〉『銃後讀物』4月特別号(第4巻第4号通巻第30号)…すべては太平洋に通ず
 ドイツ、三月本土上陸作戦!
 アメリカ、つひに参戦すか?
 ――春来りなば、若草の萌え出るごとく、世界はあげて歴史始まつて以来の未曾有の狂乱が予想されてゐる。
 しかし、銘記せよ、すべての波瀾の中心が太平洋にかゝつてゐることを。云ひ換へれば、嘗てすべての道がローマに通じてゐたごとく、 今ではすべての紛争の成行は、太平洋の渦紋より生ずる。
 さらに、この太平洋の護りこそ、皇国の興廃を決する重大な鍵であることを忘れてはならない。
 国破れて山河あり、とか、また文化のみ残して、あへなくフランス敗れたり、と書き記すやうな惨めなことは、 絶対に甘受できないのだ。
 我が海軍に鉄桶の備へありと雖も、銃後も亦戦線と同じ決意をもつて、春季の危局に対処して皇国三千年の運命を拓くべき秋である。
 《『戰線文庫』第30号…すべては太平洋に通ず(『銃後讀物』と同一)》

 ア−(2)〉特集「皇国の興廃太平洋にあり」
 「野望はらむ米海軍と太平洋作戦」海軍大佐 大宅由耿
 「三千年の運命を拓く日本」海軍中佐 田代 格
 「勝利へ導く我等の戦法」海軍大佐 廣瀬彦太
 「ドイツ春季対英新作戦」駐日独逸武官海軍少将 ヴエネケル
 「戦ふイタリーと銃後女性」前駐伊大使 天羽英二
 「新しい娘の生き方」医学博士 竹内茂代

ア−(3)〉『銃後讀物』〔編集後記〕…〔カット〕同前。同前
     ☆
 春季の危機が目睫に迫つて、欧州ではドイツの英本土上陸作戦、東洋では太平洋の波いよいよ高しとの噂が乱れとんでをります。 高度国防国家の文化的役割を担当する『戰線文庫』はその本領を発揮しまして、ここに空前の時局解説特集号をお手許へ贈ります。
     ☆
 まづ巻頭を飾るものは、「皇軍の興廃太平洋にあり」と題して、大宅大佐、田代中佐、廣瀬中佐が轡をならべて、 波高き太平洋に臨んで、三千年の運命を拓くべき国民の決意を促す憂国の大筆陣を張れば、一方イギリス本土上陸作戦の噂の中で、 駐日独逸海軍武官ヴエネケル少将は「ドイツ春期対英新作戦」を寄稿されました。
     ☆
 さらに、世界各地を駆け廻つて帰つた一流新聞特派員が一堂に会して語つた「世界新情報座談会」は、 各国の秘密が曝け出された評判の大文字であります。「国防の主力は掌砲にあり」との「海軍砲術学校見聞記」は、 「太平洋波高き議会傍聴記」と共に時局柄ぜひ必読されたいと思ひます。
     ☆
 さて毎号評判の小説陣は、南進政策に呼応した傑作小説揃ひ、特に、鬼才小栗虫太郎氏の「台風グアムにあり」の戦慄と哀恋、 丸山義二氏の「鳳梨」〈パインアップル〉の息もつまる面白さは、本誌ならでは見られぬ大盛観であります。
 桜の春に魁けて四月五日発売の五月特別号はさらに充実した内容で現はれます。切に御期待のほどをお願ひいたします。 《定価40銭、ページ数は200》

 《参考》『戰線文庫』第30号…〔編集後記〕…〔カット〕同前。同前
     ☆
 春季の危機が目睫に迫つて、欧州では英本土上陸作戦、東洋では太平洋の波いよいよ高しとの噂が飛んでゐます。 この時、まづ巻頭を飾るものは、「皇軍の興廃太平洋にあり」と題して大宅大佐、田代中佐が波高き太平洋に於いて、 三千年の運命を拓くべき日本の決意を促す憂国の大筆陣を張れば、一方イギリス本土上陸作戦の噂の中で、 駐日独逸海軍武官ヴエルネル少将は「ドイツ春期対英新作戦」を寄稿され、共に必読すべき最新情報であります。
     ☆
 太平洋の波高き現在、わが海の護り、軍港の姿はいかにと本誌記者は、人事局長長屋中佐に引率されてわが軍港を歴訪し、 その報告の発端として「横須賀軍港訪問記」を齎しました。以下号を追うて訪問記は誌上に掲載いたします。 切に御愛読を願ひます。さらに、世界各地を駆け廻つてゐた第一流新聞特派員が一堂に会して語つた 「世界新情報座談会」は各国の最近特種秘密が曝け出された大読物、また「太平洋波高き議会傍聴記」と共に、 時局柄必読されたいと思ひます。
     ☆
 さて評判の小説陣は、文壇の花形丹羽文雄氏の「あねいもうと」の美しき姉妹〈きょうだい〉
 愛と哀恋、ユーモア作家玉川一郎氏の「南洋の旧友」のたのしさ、嘱目の新進丸山義二氏の「鳳梨」〈パインアップル〉の牧歌的な美しさ、 城昌幸氏の「くろがね小唄」に新黎明期の先駆者を描いて逞しく、本誌ならではの大盛観であります。
     ☆
 慰問口絵は画壇の大家川端龍子画伯が「菜種と蛤」と題して、海軍前線勇士慰問のために特に揮毫された傑作であります。
 終りに臨んで将兵各位の御健闘を祈りあげます。 《非売品、ページ数は200》

 〔「三千年の運命を拓く…」…西暦1940(昭和15)年は「紀元二千六百年」の年として、 国を挙げて盛大なお祝いの行事があった。さらに誇張か四捨五入かはともかく、ここに見るように一挙に"三千年"といわれるようになった。 そして、昭和19年の『戰線文庫』巻頭言に「建国以来茲に二千六百四年」という表現があったかと思うと、 同号編集後記〔銃後通信〕では「皇統連綿たる三千年の歴史」と大台に乗ってしまった。
 これは敗戦後の新聞にも見ることができる。「国民のだれもが夢想だにしなかった八月十五日の『終戦の大詔』―日本はあの玉音放送を一転機として新たな歴史を歩みはじめた。 本土作戦あえて辞せずという挙国一致体制で、戦争一本に駆り立てられた国民が、突如として聞いた終戦の詔勅―それは三千年の日本歴史に対する自信の喪失であり、 敗戦の現実暴露の悲哀であった。この沈痛極まる打撃の前に、しばらくは虚脱状態を続けたのが偽らぬ国民感情であった」 (『朝日年鑑』昭和22年版)。実際より"大きく見せる"というのは、どのような心理からであろうか。
 さらにもうひとつの数字をあげれば、次のイ−(1)〉巻頭言「新貌の豪州、印度」に見るような、 国民の総数をいう「一億」である。日本最初の国勢調査(大正9年/1920)では、総人口は7,698万8,379人(うち内地総人口は5,596万3,053人)とある。 実際に一億人を超えていたのは第5回(昭和15年/1940)のときで、1億522万6,101人を数えたが、これも内地人口7,311万4,308人に、 外地の人たち3,211万1,793人の合計であった。つまり、植民地の人たちを含めての話であろう。現在も外国人の居住者を含めるという点で、 "統計"としては正しいか?〕



 昭和17(1942)年版(17年3月22日印刷、17年4月1日発行)
 イ−(1)〉『銃後讀物』4月号(第5巻第4号通巻第42号)…新貌の豪州、印度
 大東亜海で、我が海軍は、スラバヤ沖海戦、バタビヤ沖海戦に於て、米英豪蘭連合艦隊を捕捉殲滅し、 その無敵ぶりを遺憾なく発揮し、また米本土は我が戦艦の砲撃に戦慄する時、一方、昭南島に、日章旗がへんぽんと翻り、 老大英国の崩壊の弔鐘は高らかに鳴り始めた。
 いまや、蘭印は完全に慴伏〈しょうふく〉し、豪州も軍事拠点を、わが海軍の強襲に覆滅されて、戦々恐々、渺茫たる印度洋に、 我が艨艟〈もうどう=いくさぶね〉の雄大な索敵撃滅が展開され、かくて印度の英勢力は追放され、やがて新貌の印度、豪州の出現する日も近い。
 感激のこの大戦果に応へ、われら一億みたみは大国民として気宇を大にし、必勝の信念で、職域に邁進すべきである。
 《『戰線文庫』第42号は欠本のため不明》

 イ−(2)〉「特輯 豪洲印度讀物號」
 時局読物
 「米英蘭豪 艦隊殲滅と特別攻撃隊」海軍大佐 平出英夫
 「殊勲の潜水艦員実戦座談会」…ハワイ奇襲、レキシントン攻撃に活躍せる我が勇士の語る生々しき体験苦心談
 「全滅直前のハワイ米海軍の生活ぶり」当時ハワイ大学生 鮎沢露子
 「現地報告 海上血戦の花紋珊瑚礁」海軍報道班員 辻 紀
 海戦解説「落下傘攻略戦と駆逐艦作戦」海軍少佐 富永謙吾
 (同上)「潜水艦のゲリラ戦法」海軍中佐 早川成治
 豪洲印度読物
 「白豪主義の豪州開拓記」柴田賢一
 「資源豊かな大なる処女地(豪州紀行)」東京外語教授 大谷敏治
 「豪州の日本アラフラ艦隊」野村幸造
 「豪洲・印度の抗戦力」鶴見洋介
 「虐げられし印度哀史」日印協会 三角佐一郎
 「大印度独立の前夜」在日本印度国民会々長 エ・エム・サハイ
 「頭山邸から失踪した印度志士」廣野道太郎
 「セイロン島の魔女」六笠秀樹
 「ベンガルの槍騎兵ものがたり」筈見岐三雄
 「印度洋の神秘」日本郵船 小檜山秀雄 など
 他に「濠印色頁」として、「インド王宮舞曲」「印度濠州問答」などもある。

 イ−(3)〉〔編輯後記〕…〔カット〕黒く太い円の中に、大きな海軍旗と、その下に戦艦の絵
     ☆
 前号の「特集蘭印読物号」は果然、大評判を博し、売行猛烈であつた。『戰線文庫』が決戦下の戦局読物を中心とした大衆雑誌としての面目は躍如として、 本号は、世界注視の二焦点「豪州、印度読物号」を特集としてお目にかける。
 昭南島に日章旗が翻つてより、次に来たつたものは印度洋を制圧し、大東亜海を、わが内海としての雄渾無比の大作戦の展開である。 そして、その脚光を浴びて現はれたものは、印度であり、豪州である。この二大国土の運命は、わが皇軍の掌中に握られてゐる。
     ☆
 この印度、豪州は大東亜共栄圏の一環として生れ変らねばならない。我が国百年の大計に密接な関係のあるこれらの国について、 我々は、多くを知らねばならない。豪州、印度特集の本号は、ぜひ多くの人に読んで頂きたい。
     ☆
 大東亜戦争の特色は、資源獲得戦であると同時に、米英撃滅戦であることを忘れてはならない。 平出大佐の語る大東亜の諸海戦、敵主力艦撃沈に殊勲をたてた「帝国潜水艦員実戦座談会」や 「覆滅直前のハワイ海軍将兵の生活振り」などは本誌ならでは見られぬ特種報告である。 このやうに他誌にない特色をもつて、号を逐ふて、益々『戰線文庫』は、決戦下の大衆雑誌として時局情報に慰問読物に充実した内容を以て邁進して行く。 切に愛読を願ひます。

 *このページ左上に、上記「編集後記」のほか「本誌の使命と予約御購読願ひ」がある。
 大東亜戦争は、世界戦史にその比なき雄渾無比の大作戦の展開のため、戦線は拡大し、宣戦慰問の必要の時となりました。 /『戰線文庫』は、決戦下の大衆雑誌として、又銃後と戦地を結ぶ唯一慰問読物雑誌として、戦局読物、健全明朗の小説と読物満載で、 家庭の慰安にもなり、戦線への最適慰問として、毎月二十二日発売直ちに売切の状況です。/御承知の通り雑誌用紙の貴重の折柄、 本誌一冊は一家庭は勿論、戦線の慰問、隣組の回読として一冊の無駄のないやう出来得る限り多数の方々の御購読をお願ひ致し度いと存じますので、 予め書店に6ヶ月又は1ヵ年の御注文下さるか、または御近所に書店のないお方は、本社へ直接予約御注文(振替又は郵券代用可)を頂けば、 毎号発売と同時にお手許へお送り申上げます。誌代は下記御参照願ひます。 《定価40銭、ページ数は200》
 《『戰線文庫』第42号は欠本のため不明》

 〔近年、歴史観論争や教科書問題などで、この大東亜戦争(あるいは太平洋戦争、もしくはアジア・太平洋戦争)は、 アジア諸国を列強支配から解放する目的で始まったとされる"自尊史観"が横行しているが、 ここにあるように「大東亜戦争の特色は、資源獲得戦であると同時に、米英撃滅戦であることを忘れてはならない」であろう〕



 昭和18(1943)年版(18年3月22日印刷、18年4月1日発行)  ウ−(1)〉『銃後讀物』4月号(第6巻第4号通巻第54号)…戦果彌増す帝国海軍
 大東亜共栄圏建設の大いなる理想に燃えて、北の果てから南の彼方へ死闘を続ける米英殲滅戦は、一路勝利への彼岸へと進んでゐる。
 かくて、帝国海軍は西南太平洋、ソロモン周辺の引きつゞく大戦果に依つて、敵勢力を撃砕しさつた。 とくにレンネル沖海戦は敵の第一線後方の兵站線に撃滅の火が及んだものとして、画期的意義を有するものである。 敵が補給線確保に狂奔してゐる事実に対し、われわれも近代海戦の広大なる戦域に不可欠の要素たる軍需資材補給の重大性を深く認識し、 わが第一線への補給においても、勝抜く決意を更にかたくすべきである。
 勝利か死か、決戦に直面した我等銃後国民は、帝国海軍に無限の感謝と信頼を寄せるとともに、南海の涯に散華した幾多の勇士の忠魂にこたへ、 いかなる難行苦行も身の当然なるものとして、唯職域に敢闘しなければならない。

 《参考》『戰線文庫』第54号…大戦果累積の帝国海軍
 レンネル島沖海戦に引続き、ソロモン群島方面、西南太平洋方面、アリユーシヤン方面に、わが海軍航空部隊、 水上艦艇部隊の赫々の大戦果の累積はたヾ賛嘆するのほか何もない。かくて第一次ソロモン海戦以来、日米軍が全精魂を傾け、 凄烈なる死闘を続けてゐた南太平洋戦局も、新作戦遂行に必要な基礎が固つたのである。
 この間、蒙つた敵勢力の損害は、今後の作戦に対する打撃をいよいよ高めたのである。これに比し、我方の損害は、 まことに少なかつたとは云へ、報国挺身して散華した幾多の英霊に対し、我等は慎んで感謝を捧げるものである。
 さて敵は、この損害の真相をひた隠しに隠し、あらゆる空虚な揚言をして、国民の気力を振ひたヽせやうとしてゐる。 ルーズベルトは「われ等は島から島へと攻め上つて、日本を打破する」と、笑止なお題目を称えてゐるが、 最早やわれ等は敵がどのやうな手を打って来やうとも怖れない。帝国海軍のいよいよ健在なる限り、過去のやうな打撃が、 また彼等の前に待つてゐるばかりである。

 ウ−(2)〉「戦ふソロモン特輯」
 戦ふソロモン
 「転進作戦と海上決戦」海軍大佐 平出英夫
 「レンネル沖海戦と海鷲戦法」海軍中佐 清水 洋
 「ガダルカナル空の闘魂」海軍報道班員 藤田義光
 「レンネル島とイサベル島」赤城照夫
 「ソロモン余焔・南方新報告 座談会」
 海軍報道班員 鈴木情報官・湊 邦三・間宮茂輔・桜田常久・殿木圭一
 「現地読物 南方戦線落穂集」海軍報道班員 寒川光太郎
 「ソロモン死闘戦」海軍報道班員 本誌主幹 大島敬司
 「南方語失敗」〈絵と文〉海軍報道班員 藤田 哲
 この号には、座談会がもうひとつ(「海軍糧食と国民食生活 座談会」)ある

 ウ−(3)〉〔編輯後記〕…〔カット〕黒く太い円の中に、大きな海軍旗と、その下に戦艦の絵
     ☆
 一億国民の関心の的、ソロモン海域における大戦果によつて、皇軍部隊の南太平洋方面における新作戦遂行の基礎固まり、 この方面の戦ひがいよいよ新しい段階に入つたものと考へられます。思へば、ソロモンを巡ぐる戦ひは、 曾つてなき熾烈きはまる血戦の連続であります。しかも、わが海軍前線部隊勇士による昼夜間断なき猛攻撃こそ特筆すべきであります。 渺々たる南海の荒天を衝いて活躍する海鷲たちの崇高なる壮烈敢闘の精神を想起するとき一億銃後は絶大なる感謝と共に、 これに酬いるところがなければならないと深く感ずるでありませう。
     ☆
 敵の損害は、第一次ソロモン海戦以来、戦艦六隻の撃沈、同四隻撃破をはじめとして艦船百五十余隻、 飛行機一千数百機にのぼり、これに比し我が方の損害が驚異的に少なかつたことは、限りない頼もしさを感じさせます。 たゞ飛行機に至つては、その損害比率が二対一であることは、その間の空戦が如何に凄絶であつたかゞうかゞはれ、 銃後の生産力増強の決意を促すものであります。
     ☆
 この大戦果に呼応し『戰線文庫』は海軍の戦局読物雑誌として、用紙節減にも拘らず、内容の充実に邁進してゐますが、 何分毎月発売と同時に売切れの状態ですから、書店又は本社へ直接御注文して、優先的に獲得して下さい。

 *このページ左上に「至急予約御購読願ひ
 『戰線文庫』は、戦ひに勝抜くための戦局読物の大衆雑誌として、又銃後と戦線を結ぶ時局読物雑誌として、 毎月二十二日発売直ちに売切の状況です。今後はいよいよ雑誌入手は困難となりますから、 予め書店に6ヶ月又は1ヵ年の御注文下さるか、または御近所に書店のないお方は、本社へ直接予約御注文 (振替又は郵券代用可)下さい。毎号発売と同時にお手許へお送り申上げます。誌代は下記御参照願ひます。
 *同じく、このページ右下に「原稿懸賞募集
 たとえば、甲 小説又は時局読物(10枚以内) 〈賞〉一篇 十円 乃至 四十円
      乙 短歌、俳句、川柳、漫画    〈賞〉一題 優秀作に薄謝
 <締切:昭和18年4月15日 発表:昭和18年6月号 原稿は一切お返し致しません>
                      《定価40銭、ページ数は150》

《参考》『戰線文庫』〔銃後通信〕…〔カット〕同前。同前
     ☆
  レンネル、イサベルと、相次ぐ海戦に、画期的戦果を収めたわが海軍部隊の赫々たる武勲は吉報待機の銃後陣に、 またもうれしい感激の嵐をまきおこしました。
  南海特有の悪天候と、長距離飛翔に悩みながら、一日もたゆまぬ猛闘を続けられる勇士達の辛苦をその蔭に偲ぶとき、 報ひられたこの戦果を聞く我々の感謝の色もまたひとしほであります。
     ☆
  思へば、第一次ソロモン海戦より半年有余、その間の帝国海軍部隊の樹てられた鏤骨の作戦と海軍魂は、 遂に南太平洋に不抜の新態勢を確定しました。
     ☆
  その戦果に喜び、その労苦に胸を熱くし――銃後も戦局に副つて、いよいよ心構へも固く、大戦完遂を目ざして、 休まぬ前進をつヾけてをります。まだまだ侮りがたい敵米英の反攻に対応すべく、増産への協力戦、物資の持久戦と、張切つての、総力戦です。
     ☆
  時は陽春、百花こぼれる中に、やがては雲雀の声も聞こえやうと云ふのどけさながら、併し些かの弛みもない、 故国の春――さくらの香りに、つきせぬ銃後の思ひをこめつヽ、はるかに海軍勇士がたの御自愛を祈りあげます。



 昭和19(1944)年版(19年3月22日印刷、19年4月1日発行)
 エ−(1)〉『銃後讀物』4月号(第7巻第4号通巻第66号)…今日の決戦と明日の勝利
 敵米はその尨大な全兵力を集中して、わが太平洋の戦略要衝を覆滅せんとの、極めて強烈な作戦意図をもつて猛進しつゝあり、 大東亜戦争は今や重大なる決戦期に突入したのである。
 太平洋中央侵攻を目指すニミッツ攻勢は侮り難い旺盛な繊維をもつて具体化しつゝあるのだ。 ニミッツは「われわれは飛行機や軍艦で日本を攻撃するばかりでなく、直接軍隊を日本本土に揚陸せねばならぬ」と不逞なる揚言をした。 しかも敵の侵攻作戦において恃むところは、優勢なる物量である。もとより前線将兵は士気いよいよ軒昂、 敵撃滅の闘魂に燃えて神州防衛の第一線を死守してゐるから、敵の野望を粉砕すること明らかである。
 南海に醜の御楯〈しこのみたて=「防人(さきもり)」の意〉と散つたクエゼリン、ルオット両党の守備部隊の尽忠こそ、 皇道精神の精華であつて、最後の勝利へと導く力であり、銃後一億も一人一人がこの精神をもつて、一死報国の決意を新にして、 この難局に当れば如何なる敵の攻勢と雖も恐るゝに足りない。今や、真に皇国は隆替の岐路に立つ重大戦局にある。 今日の戦ひに勝たずしては、最早や、明日の勝利は期し難いのである。

 《参考》『戰線文庫』第66号…帝国の隆替を賭す内南洋基地
 白き珊瑚礁を真紅に染め、クエゼリン、ルオツト両島守備部隊将兵及軍属は、最後の一兵、最後の血の一滴まで戦ひ抜き南海の華と散つた。 かくして洋鬼の爪牙は、遂に皇土の一角を侵寇したのである。
 マーシヤルよりトラツクへ驕敵米は内南洋深く飛び込んで艦隊決戦を挑み、こゝに我が海の生命線内南洋は、 彼我死闘の激戦場と化さんとしてゐる。
 建国以来茲に二千六百四年、我等は今こそ有史未曾有の国難に直面したのである。大和民族の存亡を賭する最大の事態が、 開戦以来二年二ヶ月、敵の太平洋中央進行企図に依り、まさに勝ちて栄えるか、滅びて山河空しく残るか、の現実とならんとしつヽある。
 されど吾に百戦錬磨の無敵艦隊在り、銃後一億国民は今や、見敵必滅の帝国海軍に絶体(ママ)の信頼を寄せると共に、 太平洋の守護神と神鎮まる英霊に応え前線勇士の奮闘に応じ、不動の敵前国民生活を築き上げ、眦決して神州防衛の御楯とならんと深く期してゐるのである。
 刻一刻戦局重大にならんとする秋、はるかに前線勇士の御武運長久を祈る。

 エ−(2)〉「航空決戰新戰術 特輯」
 特別原稿
 「帰還報告 ラバウル・インド洋戦局 対談」
 大本営海軍報道部海軍少佐 矢倉 敏・海軍報道班員 鹿島孝二
 現地報告「激戦場 マーシャル・トラック」海軍報道班員 日野藤吉
 (同上)「印度洋の撃沈」海軍報道班員 齋藤義美
 航空決戰新戰術 特輯
 「高々度爆撃と超低空爆撃」海軍中佐 清水 洋
 「空中航法と偵察」海軍中佐 三井謙二
 「航空戦と気象」海軍中佐 岩本喜一
 「航空要塞の機構」海軍報道部 近藤良信
 他に「大空の決戦と整備員―追浜航空隊見学記―」海軍報道班員 湊 邦三

 エ−(3)〉『銃後讀物』4月号…〔カット〕黒く太い円の中に、大きな海軍旗とその下に戦艦の絵
 クエゼリン、ルオット両島のわが守備部隊の壮烈な戦死こそ、皇軍精神の精華を遺憾なく発揮したものであり、 この大精神に一億国民は感奮興起せずには置きません。戦局は益々重大に、愈々苛烈の度を増し、今や、 敵米はわが領土の一角を侵寇して来たのです。太平洋中央侵攻を企図する敵は、さらに旺盛なる戦意をもつて侵攻して来ることは必定であります。 しかも敵はわが不壊の神州本土を狙つてゐるのです。時は正に国家存亡の岐路に立つてゐるのです。しかし何んの恐れることがありませうか。 それが戦争の現実です。互ひに強力な国と国とが死命を賭して戦ふ時、当然すぎる大闘争なのです。 敵の戦意は固より侮れませんが、その優勢はあくまで物の量であるに過ぎません。今こそ銃後一億が、南海に戦死した守備部隊の英魂にこたへて、 必勝の信念と一死の覚悟のもとに蹶起する秋、勝利は我れにあること明かなのです。それはあらゆる忍苦にたえる厳たる生活態度をもつて、 すべてを戦力増強に集中することです。前線で要望する飛行機を、軍艦を送ることです。かくて光輝ある歴史と、 伝統ある皇土は守ることが出来るのです。
 (本誌は売切制ですから、書店へ予約の上入手を願ひます)
 《価格は合計42銭、うち2銭は"特別行為税相当額"。ページ数は96》

 《全体のスペースはページの半分(2段分)に、前記と同様「原稿懸賞募集」も含まれる。 1段目には「日本出版会推選図書(第7回)」として7冊の本と、別枠で興亜日本社新刊1冊の紹介がある》

《参考》『戰線文庫』第66号…〔銃後通信〕…〔カット〕同前。同前
  海軍少佐音羽正彦侯爵は、クエゼリン島の激戦に壮烈なる戦死を遂げられ、 またクエゼリン、ルオツト両島守備部隊将兵及軍属約六千五百名は、皇土マーシヤル諸島を朱に染め、南海の華と散りました。 最後の一兵まで戦ひ抜いた勇士の尽忠無比の精神をおもひますとき、怒髪天を衝き眦決して復讐を誓つたわたしたちは、 必らずや英霊に応へその血の叫びに応じ、身を捨て一億その血の最後の一滴をも敵に叩きつけん決意を固くしたのであります。
  内南洋のわが皇土の一角は、遂に聖史にその比なき鮮血で彩られたのであります。戦局はまさに重大なる岐路に立ち、 わが海の生命線内南洋は、日米艦隊決戦の激戦場と化さんとして居ります。しかしわたしたちは、わが海軍が、 必らずやこの思ひ上つた米醜に一大鉄槌を加へることを固く信じて居ります。
  いまや銃後に於ても、政府の画期的な国内体制の改造強化が断行され、一切を勝ち抜く為の戦力増強へ集結し、 国民またあらゆる部面に於て不動の敵前国民生活を築き上げ、皇土をあげて武装化し、皇統連綿たる三千年の歴史を守り抜かん決意に燃えて居ります。 前線の勇士諸君また益々御自愛御奮闘の程只管お祈り申上げます。

 さらに、仇をうたでやむべしや 佐佐木信綱という囲みと、同氏作の4首がある。
   敷島の日本ますらを幾千人全員壮烈なる戦死を遂ぐといはずやも
   珊瑚礁永久にくれなひの色をまさむ日本健男が尊き血汐に
   アツツよマキン・タラワよ今はた此クエゼリン・ルオツト言ふにしのびず
   一億の胸もえたぎる仇をうたでやむべしや、仇をうたでやむべしや
                         《非売品、ページ数は200》



 最後に、昭和20年に発行されたもので、現在国内で残っているのは『戰線文庫』の3月号しかない。 4月号の比較はできないが、参考のためにあげておこう。

 《参考》昭和20(1945)年版(20年2月10日印刷、20年3月1日発行)
 オ−(1)〉第77号『戰線文庫』…神州断じて護り抜かん
 敵のルソン島上陸を機に戦局は愈々最後の段階に突入した。比島をめぐる、乾坤一擲を賭けての彼我血戦の様相は、 日一日と悽愴苛烈の度を増し、膨大なる物量を恃みとする敵は、戦意も鋭く執拗果敢な補給を続けつゝ、 ひた押しにルソン島へ殺到してきてゐる。
 亦B29に依るマリアナの本土爆撃も漸く凶悪の度を加へ、遂に一億国民崇敬の中心たる伊勢の神域に投弾するの不敬極まる暴虐を敢てなしたのである。
 まさに今こそ、帝国三千年の栄ある歴史を堅持するか否か、危急存亡の秋に直面したのである。 しかしながら比島周辺に於ては、わが前線将兵は全員体当り戦法を以て敵に多大の出血を与へつゝあり、 翻つて伊勢神域侵襲に対しても、銃後国民の憤激の血潮は火と燃え立つてゐるのである。もし敵が本土空襲に依つて、 一億国民の戦意を破砕し得ると思ふならば、それこそ大和民族千古に亙る純忠至誠の高邁なる精神力を解せざるも甚しきものと言はなければならない。
 前線将兵は勿論、銃後の一億同胞の総てが、戦場の、生産の特攻隊となり体当り、捨て身の戦ひを挑むなら、 必ずや敵撃滅の神機到来するであらう。そして亦、この特攻魂を吾等の子孫がその血潮に受け継ぐ限り、日本民族は断じて滅亡することはないであらう。
 《『銃後讀物』20年3月号:欠本のため不明》

 オ−(2)〉
 《『銃後讀物』20年3月号:欠本のため不明》

オ−(3)〉『戰線文庫』〔銃後通信〕…〔カット〕同前。同前
  乾坤一擲を賭ける比島の決戦はいまや深刻苛烈、わが前線勇士の果敢な体あたり戦法によつて、 敵の膨大な物量攻勢に対し多大の出血を余儀なくさせてゐますが、銃後にあるもの斉しく感謝の念を禁じ得ないのであります。 しかし敵の戦意もまた侮りがたく、執拗果敢な補給をつゞけて殺到しつゝあります。いまこそ敵の物資に思ひ知らせる絶好の神機が到来したのだと、 銃後国民もまた前線勇士に後れをとることなく、体あたり戦法をもつて闘つてゐます。
     ☆
  皇国の興廃を賭した決戦のいよいよ重大化せる秋、第八十六議会は深沈たる緊張の空気をたゞよはせて今開かれてゐます。 今日の戦勢の転換は、一に一億同胞のあます所のない総努力によつてのみなし遂げられるのでありますが、政府としては、 国政運営の根本態度として、いたづらに戦局に一喜一憂することなく、あくまで必勝の大道を騰進する強力な政治を具現するといふことを強調しました。
  とくにこの議会で力強く感じたことは、技術院総裁八木博士の必中新兵器論です。「連日のごとく前線で特別攻撃隊の方々が、 必死必中の体当り攻撃を続けられ、多くの若人が国に殉ぜられてゐるのを聞く度に、非常な感激を覚えるとともに、 科学技術者として慙愧にたへない次第であります。我々としては一日も早く必死ではなく、必中の決戦兵器を造りあげるために、 献身的な努力をつゞけてゐるのであります。まことに今日においては、科学技術こそは大きな戦力であります」と淡々たる学者的態度で説く八木技術院総裁の一言一句は、 満場にふかい感銘と、将来に対する明るい希望をあたへ、議会側からは拍手の音がしばし鳴り止みませんでした。
     ☆
  さて、自然ははげしい戦火を余所に、銃後には今年もまた三月がめぐつて参りました。あゝ、美しきこの国土、 母なるこの国土、我々は全力をあげてこの国土をけがすことなく護りぬかねばなりません。前線の勇士方も、 銃後のことには安んじて御奮闘あらんことを祈り上げます。         《非売品、ページ数は200》
 《『銃後讀物』20年3月号:欠本のため不明》

 一年ごとの4月号(20年は3月号)を見てきたが、それぞれに編集上の工夫が見られることと、 表記も微妙にちがっていることがお分かりいただけたると思う。
 『銃後讀物』17年4月号にあるように「本誌の使命と予約御購読願ひ」などは、用紙制限を受ける市販雑誌だからであろう。
 また同19年4月号に、前年と変わらず「原稿懸賞募集」があるのは、今から考えると健気であるが、編集部は当然、 戦況など知らされていなかった"証明"かもしれない。

(2005・11・08 橋本健午)


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