この10月3日、母の遺品を整理していて、これまで気がつかなかった手帳の間に挟まっていた“封筒”が出てきた
(中味はなく、どのようなものだったか不明)。
当時の郵便事情は分からないが、一般に極端な紙不足の時代だった。したがって、無地の封筒ではない。
たぶん、表裏に印刷された一枚地図(九州地方)の一部を張り合わせたものと思われる。
これが使われたのは戦後、引き揚げてきた福井県内で、住所は手書きで“神宮寺”とあり、
中央の“橋本八五郎 殿”も同じく手書きである。
1947年2月19日、私を含む一家5人が大連(現・中国)から引き揚げ後、
1951年5月19日静岡県に引っ越すまで「橋本八五郎」はたしかに「福井県遠敷郡遠敷村神宮寺」にいた。
切手は貼ってなく、やはりオモテにゴム印で黒く「通信事務」とあり、その下の一部は破れてなくなっているが、
ゴム印の文字は「福井県遠敷郡郵便局」と読める。
想像するに、「通信事務」とあるのは郵便局からの“お知らせ(通知)”だからで、切手を貼る必要はなかったのであろう。
このほか、二つのゴム印の間に赤ペン手書きで“保険”とある。また、住所と名前の間には青ペン字で
“へそクリ”(ただし“リ”の字あたりにある字は“用”か)とあるが、これはその後、家族のだれかがメモ書きしたものであろうと思われる。
なお、封筒の裏には何の記述もなく、九州地方の一部がそのままの地図である。
2010・10・05橋本健午