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HP事始め「心―こころ―橋本健午のページ」について

HP事始め (その1)

1、ワープロとパソコンの違い

 十数年前、まだパソコンどころか、やっとワープロに慣れはじめたころ、ある出版社の方がコンピューター(パソコン)"画面"の効用を語ったとき、 私にも有用ではないかと直感した。思えば、これがわがホームページ立ち上げのヒントであったろうか。

 その前、勤め先では84年10月はじめにワープロを導入し、もっぱら若手がそれで文章等を作っていた。 私は機械に弱く敬して遠ざけていたのだが、86年8月若い女性が夏休みをとる際、私のために"マニュアル"を作ってくれたので、 しぶしぶ、おっかなびっくり事始めざるをえなかった。
 《私が「ワープロ」に言及した最初は、なんと1982年11月8日、日本雑誌協会事務局に勤め始めて一ヵ月ちょっと後で、 「これからの事務局に必要なのは、ワードプロセッサーであるが、これにはTさんもうなずいていた。私も勉強しようと思う。」と昔の日記にあった。2008・04・10》

 ついで、パソコンが導入され、その一台をやはり若手が代わる代わる使っていたが、私はもっぱら小型になったワープロ(東芝RUPO)を愛用していた。 つまり"一周遅れ"の状態で、彼らがパソコンの電源を切り忘れて退社しても、その手順を知らず困ったこともあった。
 そのころには自宅でもワープロを使っており(導入は89年7月)、若いころの文章や詩などを整理がてら打ち込んでいた。 それは、年々読みにくい字を書く私には欠かせないツールとなっていた。

 パソコンを導入したときは、月給取りをやめて1年3か月が経っていた。97年3月末、大学院に進学する娘(Y)と秋葉原に行き、 富士通のFMV SU167とキヤノンのLASER SHOT LBP-210(プリンター)を購入した。パソコンには幾つものソフトがつけられており、 かなり高い買い物だった。4月1日に届いたその日、手帳に「パソコン元年」と記している。

 当初、外見はワープロと同じように見えながら、扱い方はまったく違うということに気がつき、慣れるまでに四苦八苦していた。 文書入力とそれをどのように扱うのか、機械に伝える機能というか使い方が分からず、しばらくの間、先生役のYにいたくしごかれたものである。

 しかし、その甲斐あってか、わがパソコンは『バーコードへの挑戦―浅野恭右とその時代―』/『雑誌出版ガイドブック』 /『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』/『発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷―出版年表―』などの原稿作成に役立った。
 他に共著として『布川角左衛門事典』/『韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人―西郷隆盛、福沢諭吉から現代まで―』 /『白書 出版産業―データとチャートで読む日本の出版』などがあり、論文や昨年7月刊行の『戰線文庫』関係はじめ、 多くの執筆に寄与している。

 パソコンを使い出して9年を経た現在、3機種目のDELL仕様と2台目のLBP-1110のお世話になっている。 一方、ノートパソコンには未だに慣れないという状況である。これまた、私にはデスクトップとちがうもの(パソコン)との印象である。

 冒頭で述べた「ホームページ立ち上げのヒント」について…たとえばPRなり意見の表明をするとき、 大会社や金持ちはテレビや新聞広告を使い、イベントを催すなど大金を投入して、多くの注目を集めることは容易であろうが、 私などには太刀打ちできない。
 ところが、パソコンの画面は、だれが操作しても"1画面"に"1ページ"しか表示できない、 あるいは"1ページ"しか見ることができないという"平等な"世界である。 つまり、コンテンツの優劣または出来不出来で効果に違いがあるに過ぎないと思ったからだ。

2、わがHP事始め

ア)いつ、はじめようと考えたか
 この表題「心―こころ―橋本健午のページ」にある"心"は、中学時代に好きだった夏目漱石にあやかったわけではない。 思いついたのは2000年6月18日(父の日)で、メモに"日本の心"と記している。
 それから一年半後、手帳の2001年11月30日に「Y:ホームページ作りを始める」とある。インターネット上にあげたのは12月4日である。 5日にはリンク先の交渉を始める。6日、「歴史アンケート」の概略を掲出し、関連してアンケートを求める。11日、Y:HPの修正。 Eメールで案内、多数送付。
 その返信で「見やすい」「すばらしい」「なごみ系ですね」などと、ホメ?られたのは、コンテンツではなく、 デザインだったのには、少しガッカリしたと最初に書いたコラムの一本「ホームページって、なんだ?」(02・01・22)にある。

 【追加】月日が経つのは早いもので、忘れてしまうことは多いのだが、書類の整理をしていて、こんな書付が見つかった。 "2001・12・6"と朱書された「HPの作り方 ハード面とソフト面」というB5判1枚半のメモで、それは、なんと"親子"で"営業"を目論むものであった。
 これからHPを作られる方へ…トップページから、内容ページ、そしてサーバに搭載するまで、 つまり原稿の作成(盛り込む内容=ソフト面)およびインターネットに接続する(ハード面)まで、ご都合に合わせてお手伝いいたします。
 お問合せ・ご相談は右記のアドレスへ yおよびk
 ソフト面に関するマニュアル
 <トップページ>
 あなたの個性を生かし、不特定多数の人々に、あなたのHPの意図を端的に理解してもらうための表現(シンボル・キャッチフレーズなど)をすること
 「おや、このHPはどんな内容だろう?」「面白そうだ。ちょっとのぞいてみよう」「どんな人が作ったのかな」と、思わせることです。
 <内容ページ>
 どんなことを、どのように表現したいのかを考えること
 まず、「自己紹介」であれば、あなたのプロフィール(略歴、業績、趣味、研究発表など)が必要となりますが、 どの程度に細かく、あるいは簡略化するかがポイントです。
 そして、HPを開設する目的や意図によって、
 たとえば、「輪を広げる」であれば、趣味や病気などについて、*仲間を募る、*情報を発信する、*意見を求める、*悩みや悲しみを分かち合うなどが考えられます。
 営業目的であれば、*営業活動を行う、*求職(売り込み)、*ノウハウを知らせるなどが考えられます。
 このように、人それぞれの考えによってHPを開設するわけですが、共通する点は、的確で分かりやすい文章表現などが求められます。
 さらに、レイアウト(余白の取り方など)、言葉遣い、文字の大きさ、画面の色調など、その人の年齢や立場、 発信したい内容にあった、調和の取れたものであることも重要です。・・・・・

 ついで、翌年1/31付のメモは手書きで「HPの件 公共性とは、他人が不快にならないこと。 たとえば、仲間でHPを作るとき、メインは仲間の利益など共通の、いいところなどを出す。 ・・・馴れ親しんだところで、多少の脱線も可能かもしれないが」とある。

《後日談》これは"公表"していないが、現実にはその1月末に知人からオファーがあり、親子でその事務所を訪ねて"商談"を行った。 しかし、相手の要望が多岐にわたり、技術的かつ長期というもので、駆け出しのプログラマYが要望に応えられなかったのは、 双方にとって残念であった。/また、今日まで、わがHPが上記のように推移しているのかどうか、心もとない次第である。(2006・8・15 橋本健午)

イ)「リンク」について
 順に「保険ストア(株)シュアティ」「明日香出版社」「日本経済評論社」「日本エディタースクール」「日本書籍出版協会」 「新文化通信社」「出版ニュース社」、そして「槻友会」「早稲田大学文学部」「早稲田大学田無寮OB会」「住まいのオーダーメード館403」 「わくわくBOOKランド」「日本出版学会」「ハワイ大学図書館 梶山文庫」となっている。
 「住まい…」と「わくわく…」はYの関係による。「ハワイ大学…」は先方からのリンク申し入れである。 その後、高校の後輩と称する青年から"興味のある"HPなので相互リンクをお願いしたいとメールが来たが、 私は先方のHPに興味はなく、また感性の違いにより応じてはいない。

ウ)「トップページ」における表示の変遷
 そのレイアウトはYの設計による。上部は、いまだ不変である。しかし、「最終更新日」の下にあるカウンター(数字)の表記が3000を越えるあたりから、 なぜかコンテンツへのアクセスごとになり、"人数"を示さなくなったのはどうしてだろうか。機械は奇怪でもある。
 ついで、その下、現在の"「梶山季之資料館」に、ようこそ"はかなり続いているが、その前の2002年11月から"『戰線文庫』"関係が登場する。 これまでの表示の変遷を見ると……。

 はじめは"「名入れ色紙」プレゼント"として、02年4月、500番を過ぎたころからキリのよい100番ごとに"踏んだ"(アクセスした)方に、 その方のお名前や特徴などを織り込んだ色紙をプレゼントする企画を掲げたが、応募された方は1名だけであった。 これはタイミングの問題でもあり、「名入れ色紙」の意味が分からないということがあったかもしれない。

 ついで、02年5月上旬から「新刊『韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人―西郷隆盛、福沢諭吉から現代まで―』(共著)が出ました。 /詳しくはこちらをどうぞ。」と新刊案内が、その上に表示された(このころ650番台)。

 同年11月上旬に「近刊『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』/は明石書店より2002年11月下旬に発売の予定です。」 と「幻の二百万雑誌『戰線文庫』について、情報をお寄せください。/詳しくはこちらをどうぞ。」が"カウンター1200"と3段で並ぶ。

 翌03年3月上旬、さらに1本増え「近刊『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』/は明石書店より2002年11月下旬に発売されました。」と 「幻の二百万雑誌『戰線文庫』について、情報をお寄せください。/詳しくはこちらをどうぞ。」に、 「戯文『エープリルフール―"4月バカ"に関する一考察―』をお届けします」、そして"カウンター1600"と並んだ。

 同年6月下旬には、「幻の二百万雑誌『戰線文庫』について、情報をお寄せください。/詳しくはこちらをどうぞ。」と"カウンター2500"とシンプルになるが、 次の7月上旬に「ようやく、写真・図版の掲載を始めました。」が上に加わり、3本に。

 ついで、同8月上旬には"写真・図版"が消え、『戰線文庫』とカウンター3000の間に「「銃後の"戦場"―野球場はどう利用されたか―」を『戰線文庫』番外編として掲載しました。」が入る。
 同9月下旬には"番外編"の代りに、『戰線文庫』とカウンター3000の間に「「出版倫理」に「戦後の出版倫理」関連略年表を掲載しました。」が入る。

 少し飛んで、04年3月下旬には『戰線文庫』とカウンター5000の間に「2004年5月より、『梶山季之資料館』(仮称)の掲出を行ないます。」が登場する。

 次の4月上旬に、「まもなく、『梶山季之資料館』の開館です。<展示目録>」とカウンター5000となり、 秋には(04年9月上旬)、「『梶山季之資料館』にお立ち寄りください。」とカウンター6500と代わり、 同10月下旬には、現行の「『梶山季之資料館』に、ようこそ」となった次第である。 かくして、「電子版 梶山季之資料館」は半ば"独立"したのである。

 さらに、横にひかれたラインの下にある「橋本 健午の現在」の項目はほとんど変わらず、 その下の"標語"「自分を語れ!/自らの言葉を発せよ!/自己表現こそ生きている証しだ!」は不変である。

 最下段に位置する「Contents!!」は、当初「プロフィール」「著作等」「けん語録」「文章表現」「自分史講座」「名入れ色紙」 「出版倫理」「歴史アンケート」「リンク」の9項であったが、次の「エ」項にあるように、いくつかの入れ替えをしている。
 現在は「プロフィール」「仕事(年別)」「著作など」「ひたすらコラム」("エッセイ"と1年交代)「梶山季之資料館」 「『梶山季之』と私」「『戰線文庫』研究」「Web論文・歴史教育」「出版倫理・青少年問題」「けん語録―青春編―」 「ミニ自分史」「リンク」の12項となっている。

 振り返ってみれば、機械のことを知らず、またどんなコンテンツをどのように掲出するか、ほとんど行き当たりばったりであったが、 ともあれパソコン(とY)は何でも引き受けてくれそうだ。

3、コラムとエッセイについて

 わがHPは2001年12月初旬に立ち上げ、いくつかのコンテンツを用意したが、翌年1月から「コラム」を設けた。
 その理由は、若いころから書き溜めたものや、これから書くであろうものの掲出だけでは不定期となり、継続は難しいと思ったこと、 もう一つはコラム「ホームページって、なんだ?」でふれたように、「HPは時どき更新しないと、見てもらえなくなる可能性がある」ことや 「HPが長く更新されないと、その会社が"死んで"しまったように思われる時代が、もうすぐそこに来ているようである」という印象が強かったからだ。
 つまり"継続"させるには、自らノルマを課すことが必要で、それには文章修業を欠かさず、かつこれまで以上に時事問題に関心を持ち続けることを自らに求めたのである。 もっとも、その作業は自転車操業に似てなくもないが。

 当初「近ごろ思うこと」と名付けた。「このタイトルは、かつて我が師・梶山季之が講演を頼まれるときに使っていたもので、 その日の聴衆にあわせて時宜を得た話をするのに便利だった。その梶山の没後、野坂昭如氏も使っていたことがある。 私も、あえて借用する次第である。月1回更新予定。」と記している。

 しかし、開始ほどなく02年2月「からむコラム」に変更し、掲載も途中から月2回を目指した。 1年続けたところで、03年「似非エッセイ」と変更した。さほどの意味はないが、わが国ではコラムとエッセイの区別があまり明確ではないため、 このように1年交代で、となった次第。

 04年には「懲りずにコラム」、05年「飽きずにエッセイ」、06年の今年は「ひたすらコラム」、 さらに07年には「とんだエッセイ」に挑もうと、毎年のことだが、年明け最初の機会に、パッとひらめく言葉を用いることにしている。

4、主な「トピックス」その1(02・01〜03・12)

*2002/01/22…「トピックス/更新の履歴と近況」を追加/新規に、「コラム」(近ごろ思うこと)を設置(月に1回、新たなコラムを追加の予定)。

*2002/01/29…「けん語録」(その2)を追加。

*2002/02/19…この4月より、東急セミナーBE渋谷(東急プラザ)で、新講座「ノンフィクションを書こう」の講師を務める予定です。興味・関心のある方はお誘い合せてどうぞ。問い合せ先:03−3477−6277/「コラム 近ごろ思うこと」を「からむコラム」に改題。新たなコラムを追加。

*2002/04/11…「プロフィール」、「けん語録」その3、および「からむコラム」4月号追加。

*2002/05/14…新刊「韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人」(共著)のお知らせを追加。「著作等」に追加。

*2002/05/03…「文章表現」を「e文章指導」に、「自分史講座」を「自分史を残そう」に改題し、内容を大幅に変更。

*2002/05/23…「著作等」作品の掲示は新しいものから過去にさかのぼるように修正。

*2002/07/18…「からむコラム」7月号を追加(7本)/「名入れ色紙」プレゼント第1号(カウンター800、6月26日)は、H・Kさんでした。わがカミさんオリジナルの色紙袋に入れて、7月12日に贈呈したところ、感想は「面映い」とのことでした。

*2002/08/14…このたび、拙稿『「(歴史を)よく知る必要がなぜあるのですか」―危うい日本人の歴史認識―』が、日本エディタースクールのHP内にある「web EDITOR」の「論文」欄に掲載されました。これは、中高時代の日本史授業に関する、同スクール学生へのアンケート結果と、度重なる学習指導要領の変更による戦後歴史教育の"負の成果"を論じたものです。

*2002/09/11…カウンター1000番は、なぜか私が踏みました。ちなみに、100番も踏んでおります。

*2002/10/10…中国新聞では広島ゆかりの人物に焦点をあてた短期集中連載の特集で、わが師・梶山季之を取り上げるとして、 私も先日取材を受けました(掲載は10月末〜11月初めの予定)。

*2002/11/11…今月末、明石書店より拙著『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』が刊行されます(四六版並製、480頁、定価2800円+税)。戦後日本における"有害図書"と"少年非行"の因果関係を探ったものですが、ほとんど関係のなかったことが証明されました。しかし、それでも出版物は少年非行と結びつけて論じられます。なぜなのか?という長年の疑問も解けました。かつて"青少年だった"方々にお読みいただきたく存じます/幻の二百万雑誌『戰線文庫』について…ひょんなことから、戦前、旧日本海軍省が戦地の将兵を慰撫するために無償で送り続けた月刊誌『戰線文庫』に出会い、研究をはじめたところです。別記「幻の二百万雑誌『戰線文庫』」をご参照ください。/Contents!!に「梶山季之」および『戰線文庫』を新設。リンクに「早稲田大学田無寮OB会」を加える。

*2002/12/09…このたび5年ほど取り組んできた『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった"青少年"―』を、明石書店より出版していただいた。大抵の人には、あまり関係がないと思われている青少年問題だが、子どもだけでなく、日本の将来を心配する方にはぜひ読んでいただきたいものである/上記に関連して、「新文化」に「出倫協は"第3者機関"設置を!/青少年問題に限らず包括的に」を発表する(2002年11月28日号第1面)/11月下旬の中国新聞・文化欄「現代の伝説」で、わが師梶山季之が6回にわたり取り上げられた。「第6部 積乱雲はるか」と題するもので、私も第6話「ライフワーク」で、"休筆宣言"にからんでコメントをした。

*2003/01/06…年が改まったのを契機に、1年間続けた「からむコラム」を休み、 かわりに「似非エッセイ」を連載する予定です。/また、「けん語録」の"青春編"として、おもに学生時代のコトバを何回かに分けて掲載します。 いずれも、ご期待ならびにご意見をお寄せください。

*2003/02/03…新規コンテンツとして「仕事(年別)」を掲出しました。

*2003/03/03…「似非エッセイ」(3月上旬号)を4本追加。番外として、ショートショートを1編。/「けん語録」―青春編―(その5)を追加(19歳-3)。/「戦線文庫」に、「戦線文庫 リスト その1」を追加。

*2003/03/17…戯文『エープリルフール―"4月バカ"に関する一考察―』をお届けします(できれば、4月1日の午前中にお読みください)。/「似非エッセイ」(3月下旬号)を4本追加。またまた番外として、"わがカミさんの歌"をひとつ。

*2003/04/02…コンテンツに、新たに「"書くこと"」を設け、さまざまなジャンルの"書くこと"を掲載する予定です。なお、「e文章指導」と「自分史を残そう」は、その下部の項目とします。/「名入れ色紙」で、いよいよ連載を開始します(全6回)。まず、「第1回 色紙は特別のものではない」からです。手軽な趣味の講座として、ご期待ください。

*2003/04/16…「Web論文・歴史教育」欄に、投稿「「歴史をよく知る必要がなぜあるのですか」について雑感」を掲載しました。

*2003/04/30…いよいよ5月より、「梶山季之」に、2005年の"没後30年"に向けて、当初は拙稿を中心に、故人に関するものを少しずつ掲載する予定です。/同様に、「戦線文庫」関係の"研究"に関しても随時、掲載する予定です。

*2003/05/14…「梶山季之」に「梶山季之(かじやま としゆき 1930−1975)」と 「1、梶山事務所と季節社」を掲載します。/「web論文・歴史教育」に、「日本語表現から見た「国旗国歌法」についての私見」 (1999・7・22)を追加しました。/「似非エッセイ」(5月上旬号)を4本追加、新規に「PTA日記」を始めます。

*2003/05/28…「『戰線文庫』について」を、今月末発売の『日本出版史料 8』(日本出版学会・出版教育研究所共編、日本エディタースクール出版部発行)に発表しました。/「梶山季之」に「20世紀の群像@『梶山季之』目次」「著者インタビュー」「梶山季之の素顔」)の3本を掲載します。

*2003/07/09…ようやく、カラー写真や図版を掲載し始めました。今回は、若き日の小澤征爾のサイン入りチケット、「戦線文庫」創刊号の表紙などです。順次追加する予定ですので、ご期待ください。/「梶山季之」に「"史実"と"真実"―『父は祖国を売ったか―もう一つの日韓関係―』 刊行から十八年経った今…」を追加しました。

*2003/07/23…「梶山季之」の「20世紀の群像1『梶山季之』目次」の後に、次の「その後の読者から」を掲載しました。/「出版倫理・青少年問題」に「出版界、あるいは利用者から見た図書館と"倫理綱領"」を掲載しました。

*2003/08/02…「出版倫理・青少年問題」に『有害図書と青少年問題』の"目次"と"はじめに"および"おわりに"を掲載。/『有害図書と青少年問題』の表紙写真を追加。

*2003/08/06…「『戰線文庫』」に、小論「銃後の"戦場"―野球場はどう利用されたか―」 (『戰線文庫』番外編)を掲載しました。

*2003/08/17…「プロフィール」欄にそれぞれ、次のような項目を追加しました。・高槻学園新聞に掲載の"論説"2本。・大学在学中の小論「結婚について」と同級の女性「H・Y君を偲ぶ」詩など数編。・卒業後、大宅壮一東京マスコミ塾に応募した際の小論2編。これら、若書きの文章は"書くこと"欄にあります。今読み返すと、高校時代から、少しも進歩していないことに愕然とします。/「似非エッセイ」(8月下旬号)を8本追加。在庫一掃、大安売り!! の巻です。 *2003/09/03…「梶山季之」と「戰線文庫」に、"目次"をつけました。/「仕事(年別)」欄に、今年上半期のものを追加しました。/「出版倫理・青少年問題」に「戦後の出版倫理・関連略年表」を掲載します。

*2003/09/17…「梶山季之」に「ドキュメント 梶山季之の死」を掲載しました。

*2003/10/02…最近、『ダ・ヴィンチ』11月号(10月6日発売)で、梶山季之に関する取材を受けました(「特集1 誰でも作家になれるのか?」見開き2頁)。

*2003/10/13…プロフィール」および「著作など」欄に、「『晶子曼荼羅』いろいろ」を加えました。/「似非エッセイ」(10月上旬号)を8本追加。このごろ、いろいろ問題が多くて困ります。/「著作など」欄に"付"として「浪人生活1年間に読んだ本など(1961・4〜1962・2)」を加えております(10/02)。

*2003/10/29…「プロフィール」および「著作など」欄に、「大学時代+αの映画・音楽・美術鑑賞、散策など」を加えました。/プロフィール欄に「ドストエフスキー&トルストイ」を加え、「著作など」欄に、そのうちの「『地下生活者の手記』試論」・ 「処女作論考『貧しき人々』について」・「ドストエフスキーの主人公について」の3本を掲出しました。

*2003/11/12…「著作など」欄に、『罪と罰』―福田恒存演出による―」・「トルストイ"戦争と平和"について」の2本を掲出しました。/「著作など」欄に、「『東方見聞録』のマルコ・ポーロが遭難した―「みなさまの」NHK体質を考える―」、「『熱球のポジション 日米大学野球の青春譜』("宣伝文")」、「ハシにも棒にも」、「編集および解説『サイゴン・1975年・春 解放170日の記録』」の4本を掲出しました。

*2003/11/26…「出版倫理・青少年問題」に、ここ数年に執筆した・「青少年育成国民会議」/「東京都青少年健全育成審議会」、・試論・"有害図書"と出版倫理活動―ないがしろにされてきた当事者・子供たち―、・「布川先生と出版倫理活動」について、の4本を掲出しました。/今回の「似非エッセイ」にも書きましたが、行政は"敵地"を攻めること、イラクにおける米軍のごとき様相で、可哀想なのは"次代を担わされる"子どもたちです。/「著作など」欄に、「掲載わずか10数件/新聞の解禁で風向き変化?/雑誌のクーポン広告」および、 北海道新聞・日曜版〔本〕欄「目・耳・口」に連載した出版・本に関するコラムを掲出しました。

*2003/12/10…「出版倫理・青少年問題」欄に、「少年非行と出版倫理その他の変遷―かつて"子どもだった"ことを忘れた大人たち」、「倫理と商売は両立するか/広がる"有害本"規制 出版界は時代に即応した対応を」、「青少年有害環境対策基本法案(素案)」の問題点の3本を追加しました。

*2003/12/24…「著作など」に、「内田良平◆日韓合邦運動の支援と挫折」を掲出しました。 これは昨年、『韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人』(明石書店)に収録されたものです。/出版倫理・青少年問題」欄に、「有害図書規制/出倫協はいま何をすべきか」、「出倫協は"第3者機関"設置を!/青少年問題に限らず包括的に」、「総括・戦後出版倫理の変遷について―"悪書・有害図書"と出版界」の3件を掲出しました。まだ繰り返される東京都はじめ自治体の規制強化に対し、出版界の対応について論じたものです。/今年最後の「似非エッセイ」(12月下旬号)は、年末大売出し!というより、問題が多く困ったものです。 なお、来年はコラムに戻り、その名も「懲りずにコラム」を連載します。懲りずに、お付き合いください。 では、よいお年を。 


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