今は流行らないそうだが、私は"見合い"結婚組である。
それまで、付き合っていた女性がいなかったわけではない。
わが「似非エッセイ」(2003年2月下旬号「"女友だち"今昔」)に書いたような話もあれば、大学卒業のころ、
「2号さんにしてくれ」と大学そばの喫茶店Eに勤めていた、ひとつ下の女性から"直訴"されたこともある。
さらに、学生時代にアルバイトをした関係で、卒業後、ある出版社の女性2人から、結婚を迫られるところまで行きそうになったこともあった。
そんなわけで、2年前、大学の寮のOB会でのインタビューで、ずっと若い後輩から「口説き文句は」と聞かれて、 ほとんど言ったことがないと、真実らしく? 答えたのだが……。どちらかといえば、15歳の折に記したように、 「年上の女性を好むような傾向がある」のだった(「けん語録―青春編―」その1)。
世の中に、世話好きの女性はいるもので、見合いの話はいくつかあった。まだ25,6歳ごろで、その気もなかった時代である。
ある地方に住む友人の母親からの、是非にという女性とは帝国ホテルのロビーという最高? の舞台でお会いした。
先方は母親と現れたが、私の介添え役は結婚したばかりの2歳上の友人で、初体験に胸を膨らませて? いたのか、
われわれ当事者以上に緊張していた。しばらく歓談したあと、「それでは、あとは若いお二人で」などと、
型どおりのセリフを吐くマジメな彼の一所懸命さが、なぜか可笑しかった。
この見合いは先の友人が"予測"したように成就するに至らなかった。義理で行ったようなもので、
嫌われることを目的に、5時開店の新宿の友人の店に行く前、時間つぶしにパチンコ店へ入った。
ここで大いに減点をもくろんだが、彼女も玉を買い、私よりよく入ったので、この計画は失敗。
友人の店(コンパ、いまのスナック)では、事情を耳打ちし、友人はことさら私の欠点を彼女に吹聴し、
女店員も変になれなれしくしてくれたが、これも裏目に出て、「私がまもります」と、すでに"女房"気取り……。
2時間ぐらいの"セレモニー"だと思っていたところ、8時間ほど付き合わされ、あきらめてもらうのに、その後も大変だった。 先方(の母子)は乗り気なのに、なぜ、よい返事がないのかと、幾度となく催促された私は、 すでに海外旅行を2度もしている"金持ちのお嬢さん"の、ある振る舞いに違和感を覚えたことを告げざるを得なかった。
もうひとつは、都内の知人の女性からである。お見合いの写真を預かったから、早く見に来なさいという連絡が勤め先に入った。 私の事情や都合、好みも聞かず、突然のことであった。伺うという返事はしたものの、2日ほどそのままにしていると、 また電話があり、「(写真すら見ないのは)失礼ではないか」と、叱られた。
なにか"見合い"に関するルールでもあるのか、私はそのあたりの呼吸を知らなかったのである。
たしかに、結婚は出会いであり、タイミングの問題でもあろう。
かつて(浪人時代の大阪で)、「お前には女難の相がある」と、よりによって実の母親から言われていた私は、
当時付き合っていた女性のことか、これからのことかと密かに悩んでいた時代でもあった。
余談:その後もほとんど縁のないパチンコの世界ですが、昨9日夕方、都内のある店の従業員数名を前に、
「手紙→ファックス→メール」に関する注意などを話してきました。"親父ギャグ"大いに結構ということでしたが、
これが落とし穴? で、私にはよい勉強になりました。
それはともかく、社会人として恥ずかしくない人間に育ってもらいたい、という社長の発想と熱意には心打たれました。
これはいまどき、スゴイことだと思います。