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「ミニ自分史」(132)歳の始めに 色紙を書いて…  2011・01・25 橋本健午

「ミニ自分史」(131)      


 色紙に言葉を書き始めたのは、30代の後半だったろうか。
 ここに抜き出したものは、主として元旦に書いていたもの。その多くは、正月生まれの義母へ贈ったものである(2005年、86歳で没)。 なお“趣味”として名入れ色紙も多くの人に贈っている。

1989・01・01小田まつ子樣 /よき母/よき子ら/よき孫たち/ここに集いて/ありがとう// 古希を祝いて  /健午

1992・01・04自分を/中心に据えるから/腹が立つのだ //  四・一・四  健午   《「書く書く詩か字か」の冒頭を飾る言葉》
1992・01・10一念発起ではないが、少し習字をやり、“色紙”に一枚ずつ書いておこうと思う。

1996・01・01 1996年 最初の言葉「惰性で 生きてはいけない 1月1日 橋本健午」  ・・・・・・ 「書く書く詩か字か その三」最後に記した言葉

1996・01・14喜の字を祝いて/いつまでもお元気で/橋本健午 〈寄書き〉K・Y「長じては子に従えのように、良き娘二人に甘えてください」、 K・E「残りの人生を楽しく幸せに」、K・Yjr.「これからもお元気で」。 H・S「いつまでもお母さんの娘でいさせて下さい」、H・Y「長生きしてください」、H・N「これからもお元気で」。 なおH・Nは、色紙の裏にツルカメ合体の絵を描き、「ツル 千年/カメ 万年」と書き、年月日に「H・N」と自署している。

1999・01・01「陽は高く/快晴の空に/富士は白く 輝き/隣りは静かに 出かけたり/メデタシ//1999年元旦 橋本健午」

2000・01・01「どれだけ/優しく/なれるか// 2000年元旦  あさ8時  橋本健午」

2001・01・01 まごうかたないき かつての美人/孫 三人でも/まごつかないで/いつまでも お元気で// 平成十三年のお誕生日に 小田まつ子さま 健午

2001・01・01
(1)「世紀は/変われど/いつもと/変わらぬ朝を/迎えられ// 2001・1・1 あさ7時30分 橋本健午」
(2)「年の初めの/ためしとて/やっぱり/ウソ字から/はじまった// 2001・1・1 読み人知らず」
(3)ヨコ書き…「『ゴルゴ13(サーティーン)の年』/という広告もあったが/今年はまさに/『デジタル元年』である/なあ、森クンよ//010101橋本健午」 (「森クン」とは “IT”を“イット”と発音し、時代遅れを示した森元首相をさす。なお、“01”はデジタルの象徴)

2002・01・01「/感謝/かんれき/雨/あられ// 2002・1・1 午前8時 橋本健午」

2003・01・01「明から/まつ/八十四の出//平成十五年元旦/年女 小田まつ子樣  橋本健午」

2004・01・01「人はみな/オンリーワン//私が「あなたはナンバーワンではなくて、オンリーワンよ」とSさんに言われたのは、01年10月3日のことである。/2004・1・1 橋本健午」

2005・01・01「大晦日に/袈裟の人より/今朝ノ酒とどく/いかの粕漬/毛がにを相手に/はぁ、酔い酔い/-北海おけさ(第16号)-// 2005・1・1 調布 橋本健午」

2006・01・01 その朝閃いたもので、(戌年と、政治情勢と、家庭の事情<義母、前年11月没>を兼ねて)「やがていぬるか/ブッシュ・ポチ/めでたさぐらいなり/おらが春」

2007・01・01「子らは紅白を 横目で見ながら/麻雀もそろって上がり/迎えた元旦/富士は照れくさそうに/うっすらと//2007・1・1 あさ8時 橋本健午」

2008・01・01「これからは/簡素かつ/濃密に/生きるとしよう//今朝もまた輝く富士をながめつつ/2008・1・1  8時半 橋本健午」

2008・06・20「平成二〇年六月二〇日/六時二〇分/朝にわが人生を祝し/夕に皆の幸せを願う/われ六六歳となれり//  橋本健午」

2009・01・01「いつもと変わらぬ/朝なれど/何年ぶりかの/ふすまの張り替え/冨士より白し/主役は息子//平成二十一年 元旦 七時半/橋本健午」

 ここで途切れているのは、なぜか。
 たとえば、最後の“ふすまの張り替え”にあるように、それまで一家の主の自覚はなくとも、何となく責任を感じていた私だが、 息子も大きくなり、力仕事など彼に任せたほうがよいという年齢を“自覚”したからではないか、と勝手の想像する次第である。
 そして、昨2010年1月1日には「色紙を書くのも忘れ、午前中、若いころに見た映画を中心に、そのパンフレット類を大型ファイルにまとめる。 夕方、家族4人で楽しく食事をする。年賀状ますます“出し無精”になる」と記した。
 ともあれ、何かと整理をしておこうという年頃であることを“自覚”しながら老境に入っていたのである?!
 すべてが、忘却の彼方に去っていくのは止むを得ないではないか。  2011・01・25 橋本健午


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