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「ミニ自分史」(21)「1996年、母の死(ご報告)」

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 ご報告
 去る九月九日、午後七時十五分、母橋本トワは入院中の名古屋の病院で亡くなり、辰生兄が喪主を務め翌日に通夜、 十一日に告別式を行いました(戒名「新皈元(しんきげん) 徹嫂(てっそう)慈照大姉」)。
 昔風にいえば、明治節(御大典の日)に生まれ、重陽の節に逝ったわけです。間もなく、満92歳を迎えるところでありました。
 母は、明治三十七年十一月三日、新潟県十日町に長野徳一郎・アイの次女として生まれ、昭和のはじめ東京に出て看護婦の資格を取りました。その理由は、
 「(母の退院で)いよいよ病院ともお別れである。いつも下の板張の寝台に寝ておる患者のところを、 白い服を着た看護婦が服を一寸あげて棒ぞうきんで掃除をする。その姿に見とれた。父の亡き後、 また母の病気で病める人の苦しさが身にしみた。よし、自分は看護婦にならうと思った。
 二十五歳になれば、女も法律で許される。それからにと思ふ、それまでは家の手伝いをする事にした。」 (母の手記『わが半生の記』より、昭和六十年十一月自費出版)
 やがて、「内地にいても不景気だから」と昭和八年五月に満洲・大連にわたり、再び(住み込みの)看護婦として働き、 結婚するつもりもなかったところへ、人に請われて同十年九月、三十歳十か月のとき三男一女を抱える橋本八五郎の後妻となり……、 数年後に、兄辰生と私を出産(長兄と私の年齢差二十三)。
 その後、同二十二年二月福井県(夫の故郷)に引揚げてから、母は静岡県、大阪・茨木、そして名古屋へとさまざまな事情で移り住みました。 この間、夫(父、八十八歳)と子供二人(長兄、姉)を見送り、同五十九年八月から一人住まいとなりました。
 しばらくは元気でしたが、六十二年一月に過労で倒れ近くの病院に入退院ののち、同五月から民間の有料老人施設に入居し、 初めて「自分の家」を持ったという安堵感もあり、また元気を回復しておりましたが、年とともに足腰が弱くなり介護の必要も生じ、 平成元年二月に市内の同系列の施設に転居しました。
 再び元気を取り戻し機嫌よく暮らしておりましたが、同五年三月軽い脳障害で倒れ、施設と同系列の病院に二度入退院を繰り返し、 やがて食事を拒否するようになり、同六年五月に再入院して以来二年余、自然の流れ行くままに、時を過ごしてまいりました。
 入院先での付添婦は日本人(数人)、ブラジル日系三世、中国人と代わり、またこの三月から新しい看護制度による集団制となり、 元看護婦の母は、どのように感じていたでしょうか、ついに尋ねることはできませんでした。
 一人住まいの母の面倒を私が見るということになってから、当初は毎朝七時四十五分に電話を入れ、 時たま顔を出すこともありましたが、入院の年(昭和六十二年)の十九回をはじめ、その後毎月のように名古屋を往復しました。
 しかし、この春ごろからいつも眠っていることが多く、また呼びかけてもほとんど答えがなく、少し寂しい気もしましたが、 一方で人間の尊厳とは何か、老いる気持ち、老人と医療の問題などを考えさせられました。
 昨日、名古屋で七七忌の法要を行い、同地で納骨を済ませましたことをご報告するとともに、生前のご交誼に改めて感謝する次第であります。 本当にありがとうございました。

平成八年十月二十八日 東京・調布 橋本健午

      

  『母を送る うた』            橋本健午
   お母さん、よくがんばったね
   いろんなことで、いろんな意味で
   ご苦労様でした
   人に生きる喜びと楽しみを与え……
   ご苦労様でした
   明治、大正、昭和、しかし平成は
   短かったけれど
   (昭和)天皇と皇后陛下が
   心の支えだったね

   しあわせだったね、このごろは
   世の中のいやなことを知らずに
   ご苦労様でした
   みんなが心から感謝していると 思うよ
   だけど涙がこぼれることも あったよね
   もっとお母さんのプライドを
   保ちたかったけれど……
   みんな水に流そうよ

   心安らかに、ゆっくりと
   お眠みください

一九九六・九・九夜 電車の中で(東京)

  『おふくろの ひとり勝ち』            橋本健午
   眠っているようだ
   生き仏ごつある
   九十二歳とは思えない
   きれいな顔

   うまい人生だなあ
   子供思い 兄貴が十分に
   働けるように時間を過ごしたのだから

 いままでの、何人かの「死に顔」を見ての納得。
 これほど"自然に、眠れるごとく"というのはなかった。
 うれしい、しあわせ、よき母を持ったと思う。
 私だけでなく、みんな感動したのだから。

一九九六・九・一一午前一時一五分
名古屋のお寺で(通夜)


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