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「ミニ自分史」(25)義父 小田 悟氏(その1) 「Q氏の夫婦論」
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妻さち子の父小田 悟氏は、最初にお会いしたとき、義母ミツさん、妻まつ子さん、そして娘(さち子と妹)二人の"女系家族"を支えていた。照れ屋なのは、生来のものか、この家族構成によるのか定かではないが、諧謔精神に富み、次のような"大論文"を贈って下さった。
「Q氏の夫婦論」 小田 悟(昭和48年1月21日)
Q氏の男女観は、同氏の長い人生の中で、いろいろ紆余曲折があったが、最近は、ある程度、論議が固まってきたようである。
したがって、夫婦観も、Q氏の家庭に三十年前から同居している一人の特定の女の人、すなわち二人の子供の母親である妻のP子を対象にした経験などで考えた小論を、
ここに展開してみたい。
夫婦構成の本質
第一に、夫婦は、もとは完全に他人であり、結婚後でも、戸籍上だけで、あとは血縁関係は、全然ないので、やはり他人にちがいない。
一種の契約によって夫婦になったので、以前に全然知り合ったこともないのが、原則である。
親類同士の結婚や、小さいときから友達であっても、やはり他人だし、互いに恋人であった結婚も、近々一、二年か、
長くて五年位のつきあいであろう。
第二に、夫婦を構成する男と女とは、同じ人類でも、生物学上の発生的にも、動物学上の機能的にも、男性と女性という区別があり、
むしろ故大宅壮一氏にしたがえば、男類と女類という表現が適切な、異質なものである。このことは、大宅氏の女類観を中心にした論文に詳しいので、
省略するが、Q氏の永年の経験でも、簡単にいえば、男は、理屈的に物事に対処するし、女は、感情的に物事を発想するものだと思う。
第三に、このような、二種の人類が、社会生活を営むのが、家庭と称する単一、最小の、しかも強制的、義務的共同体である。
ただし、会社などに勤める人は、社会生活の場を、別にもう一つもっていて、商店など自営の方や、自由業の方などは、
その対外的生活の場と家庭とが共通になることがしばしばあることは自明である。
夫婦生活の実態と展望
つまり、このような人びとが、家庭を形成し、共同生活を行ない、子供ができたら育ててゆくという、複雑、困難な作業を、
離婚しない限り、一生を通じてやってゆくことになる。これは、一方では楽しい行事と涙ぐましい努力の連続である。
そこには、生物としての生老病死の問題、金銭的経済的問題、人生、社会のあり方への煩悶、外部的要因による諸種の影響、
或いは感情的かっとうが織りなされて、考え方によれば、ロマンチックであり、或る場合には、ドラマチックでさえあるであろう。
そこでQ氏の考えた夫婦論は、夫婦は、互いに信頼しあうということが第一義であり、それを基盤として、両類は、
その特徴をできるだけ活かして、欠かんを補い、相互に助け合って、長い人生の坂道を登ってゆき、一層充実した共同生活をめざして奮闘することになる。
二人とも素質も能力も、優劣、長短、強弱の差異があるのはあたり前で、それなりに健康には第一に留意すると共に、自分を磨き、
向上をはかることは、欠かせないことであるのは云うをまたない。
しかし、大体において、社会への対策面において、その他、人生の万端のことにおいて、両者の意見、考え方が完全に一致することがないのが当り前で、
むしろ異なった意見の中から、自己の家庭の共同目的にあった方策、処理方針をうち出すため、火花を散らす論戦があってもおかしくないし、
そして最後に、妥協も、順応も必要なことになる。よほどの模範的な、修身教科書的な夫婦でない限り、厳密に考えると、
二人の気持は平行線をたどったまま、一生を終わってしまうことになる。またそれでよいのではないかと思う。
夫婦は、一身同体でなければならないと云われるが、それは理想か空想で、Q氏に云わせれば、夫婦は、二身別体である。
夫婦の役割
したがって、Q氏の所論によれば、夫婦の対外的役割は、丁度デパートなどの販売部と仕入部とに似ていると思われる。
夫は販売部で通常、外に働きに出て、自分の労働なり技能なりを、社会や会社などに提供し、その対価、報酬をえて、
生活費にあてる。妻は、仕入部で、その金で、生活の必要物資を仕入れたり、育児教育費の支出、娯楽、教養費、
対外交渉費をねん出したり備蓄したりもする。こうして二人は、生活の破壊を防禦し、そのバランスをはかるべく努める。
だから、販売部は、外に出て、できるだけ愛想をふりまき、時にはヘイコラし、またいやな思いもしたりして、
いかにお客の心をつかもうかと苦心し、一生懸命販売成績をあげることに心をくばる。故に、販売部の人で、左キキの人は、
会社の帰りなどに、時どき、一パイやって、心労をいやし、ストレスの解消に役立て、明日の労働力再生産をはかる。
仕入部は、なるべくいいものを、安く仕入れようとして、ときには、買いたたき、ときには、よい仕入先を探して、
あちこちさまよい歩く。流通機構にもよるが、今はまず買い手市場の場合の方が多いので、どちらかといえば、
商店や業者などから御世辞を使われ、またチヤホヤされるので、たまに大いにいばったりする特権をもっている。
ただし、多くは仕入部において、家庭経済の収支、決算のやりくりや、貸借対照表を作成する責任を有する苦労がある。
しかし、販売部にくらべればいくらか楽だと思う。ただ、仕入部の大変なことは、子供が生まれると育児の業務がある。
これは、仕入部の人にしかできないことで、販売部でやっても、うまくゆかないのが普通である。
そこで、ストレス解消法としては、仕入部の人は概して左キキが少ないので、その代りタマには要らないものをヤケになって買ったり、
これが一番多いのだが、女類の本性として、身をかざったり、いかに自分を美しく見せるかの作業に、家庭経済とか御面相の比例においてではあるが、
昼夜をわかたず、腐心する光景が見られる。
以上が、Q氏のいままで考えて来た一般的夫婦論である。むずかしい夫婦問題に、Q氏なりに勝手な割り切り方をして末恐ろしい感じがするが、
自分では、なかなか的確且、中ようをえた議論で、公序良俗に反しないものと思っている。世の識者の御検討、御批判を賜れば幸いである。
もし過ちがあれば、訂正するにやぶさかでないことを付言して本稿を終わることとする。
《後書き風に、巻末に「橋本健午君と長女さち子とが二月三日に結婚式を挙行するについて、お祝いとして綴る。
昭和四十八年一月二十一日 小田 悟」とある。この小冊子のサイズは、A6判よりさらに小さいもので、縦書きタイプ打ち、
全8ページである。作成部数は定かではない》