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「ミニ自分史」(31)「日記と元旦の"行事"」

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 中学・高校のころ、また浪人時代も、こまめに日記を書いていた。大学に入って、詩らしきものも多いが、ノートにときどき記していた。 長ずるに及んで、なぜか書かなくなった。ひとつは、"書き残してはいけない"ことが多くあったからだが、忙しくもあった。
 40歳になる1982年に、思い立って3年連用日記を付け出し、それは4冊12年分続いたところで、心境の変化がおきた。 翌94年からの10年連用日記を購入し、「一日」の行数が、13行から5行に減った(いずれも高橋書店版)。
 そのことも一因かもしれないが、しばらくは書き続けたが、だんだん意欲が薄れ、8月25日の「給料日」の3文字で途絶えた。 95年は1行もなく、「今年からまた記すことにしよう!」と宣言した96年だが、これも1月12日で終っている。 この間、95年12月末をもって、13年3か月勤めた雑協を辞めている。
 そして、98年12月28日の項に「二、三日前から、長らく中断していた日記を書こうという思いがこみ上げてきた。 何だろう? ようやく年賀状を書き出す」とあるが、99年以降、まったく開かれた形跡はない。
 ちなみに、94,96年の元日には「富士山がきれいだ」「相変わらず富士山が見事。ただ、少し雪が少ない由」とある。 ともに晴れていたようである。今でもベランダから、眺められる富士山は、神々しいと思わせるに十分だ。

 そういえば、ここ数年、元日の朝8時前後に、色紙を書いている。
 1999年「陽は高く/快晴の空に/富士は白く 輝き/隣は静かに/出かけたり/メデタシ/一九九九年元旦 橋本健午」これには落款はない。以後はすべてあるが。
 2000年「どれだけ/優しく/なれるか/二〇〇〇年元旦 朝八時 橋本健午」(人間、歳とともに気難しくなるのを自ら戒めたもの)
 01年は巳年。なんと三枚も書いているではないか?! いずれも、カミさんが篆刻で彫った「巳」の印を借用する。
 「世紀は変われど/いつもと/変わらぬ朝を/迎えられ/二〇〇一・一・一 あさ七時三〇分 橋本健午」
 横書きで「『ゴルゴ13』の年/という広告もあったが/今年はまさに/『デジタル元年』である/なあ、森クンよ/01・01・01 橋本健午」(「森クン」とは、IT首相のこと)
 「年の初めの/ためしとて/やっぱり/ウソ字から/はじまった/二〇〇一・一・一 読み人知らず」(ワープロ・パソコン依存症で、どんどん漢字を忘れてゆく…)
 02年「(大きく、中央に)午/(その下、横に並べて)感謝/かんれき/雨/あられ 二〇〇二・一・一 午前八時  橋本健午」 (この年、還暦を迎え、小学校と高校の同窓会があった。ともに一泊旅行)
 なぜか、03年のが見つからない。書き忘れたのだろうか?
 04年「人はみな/オンリーワン/(小文字で)私が「あなたはナンバーワンではなくて、オンリーワンの人よ」と年輩のご婦人Sさんに言われたのは、〇一年一〇月三日のことである 二〇〇四・一・一  橋本健午」
 05年「大晦日に/袈裟の人より/今朝ノ酒 とどく/イカの粕漬/毛がにを相手に/はぁ、酔い酔い… ‐北海おけさ(第16号)‐ 二〇〇五・一・一  橋本健午」 (お坊さんをしている北海道の友人から、お酒が届き、かつ現地の名産を肴にしようと…お屠蘇の前に記す)
 06年「やがていぬるか/ブッシュポチ/めでたさモ/中ぐらいなり/おらが春 平成十八年元旦  游」(今年は「戌年」で、一行目は小泉首相の"退陣"に引っ掛けた次第。一方、わが家は「喪中」でもあった)
 さて、来年以降は、どうなりますやら。


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