私の本名は健午(けんご)という。"午"の字の由来は、午年の午、生まれた時間、正午の午、父親八五郎の五、 五男の五などを重ね、それが"健やかに育て"ということだったとか。 この名前は気にいっているが、他人には案外読めないばかりか、よく書き間違えられた。
誤記は、「健吾」がいちばん多く、「健悟」もあれば、人偏のない「建吾」もあった。
「健後」は中学2年のとき、校内マラソンで3位となり、名前はと聞かれて「午前午後の午」と答えたつもりが、
「午後の後」とされてしまった。「健俊」はよく分からない。「健牛・健手・健干・健平・健子」などは字面からの間違いであろうが、
女の子には二度ほどさせられた。いずれも十代のころである。
幼少時代や、今でも身内から「ケンちゃん」と呼ばれることがあるが、
唱歌『隣りはたあれ』の"主人公"と錯覚していた時期もあった(ちなみに、義姉は「ミヨちゃん」、出来すぎですねえ)。
ケンゴという2字の名前は多くあり平凡だが、「健午」は珍しいのか、こともあろうに、 午年生れで構成する出版午合会の会員になったとき、名札に「橋本健牛」と書かれ、私には"ツノ"はありませんというのが、 自己紹介の第一声であった。最近はなんと、「進午」とまで進化したと思っていたところ、 知人からの依頼状に出てくる名のひとつが「橋元健吾」になっていた。もうほとんど"他人"ですねえ。 なお、パソコンによる住所録の誤記は、たいがい年一回のため、直してほしいという前にあきらめている。
高校生や浪人のころ、ペンネームを使った。「都真美」と書いて「ツマミ」と読み、さらに「都 美」と書いて
「マ抜けのツマミ」と称してみたり……。気に入っていたのは「足良 哲」で、哲学者ソクラテスをもじったもの。
評論家大宅壮一が戦後一時期、「猿取哲」を名乗っていたのがヒントである。いずれにしても、自分だけの世界のものであった。
長じて、「本橋 游」を名乗り、いくつかの著作類がある。
最初は1979年、36歳のときで、『マルコ・ポーロの冒険』という少年ものであった。
勤め出してからアルバイトとして、この名で漢字や文章の本・テキスト、漢字検定の問題集などを作った。
友人に『らくらく文章ゼミナール』を出してもらうとき、(宣伝効果があるから)師事した作家名を出せと言われたが、
ペンネームは架空の人物、こればかりは勘弁してくれと断ったものである(明日香出版社1983)。
本名で本を出し始めると、知人はつくづくと「作家らしい、いい名前ですね」などと、誉めているのか貶しているのか、
よく分からないことをいった。
53歳で勤めを辞めたが、肩書(名刺)社会の日本でしか生きられない。
とはいえ、よくある「ジャーナリスト」は気恥ずかしいし、「フリーライター」というのも、
なんだか変である(本来、ライターはどこにも所属していないはず)。
私は、やむを得ず中央に本名を置き、その下にやや小さく(本橋 游)とし、
あとは下段に住所・電話等を小さく並べた横書きの名刺を作った。もちろん、肩書はない。
まずまずの出来と思って差し出すと、「(橋本健午は)ペンネームですか」という人が少なからずいて、
考えさせられたものである。
名前を正しく読んでもらえるかどうか、人によって損得? はあるだろうが、難読奇姓や変わった読み方は、
初対面の相手と打ち解けるには格好の話題となるはずである。
しかし、世の中には、断りもせず勝手に振り仮名をつけるものがいる。無粋も甚だしい限り。
ところで、「本橋 游」の「本橋」は、橋本をひっくり返しただけだが、「游」(ユウ)を読めない人や、
「遊」(遊ぶ)とまちがえた人もいた。いま、"まちがえた"といったが、必ずしも、そうではないことを、数年前に知った。
改めて漢和辞典に当たったところ、「游」は「遊」にも通じ、釣りに使う"浮き"のことで、
そのココロは「一か所に止まらない」、つまり、いくつも仕事を変えた私自身のことだったのである。
知らぬが仏とか、名は体を表わすというが、私の場合は何なのでしょう?!
(以上、2004年9月1日までの執筆)