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「ミニ自分史」(51)「1972.11.26 男にとって家庭とは」(便箋に、5枚分)

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 結婚―他人同志だった男と女が一緒に住むこと、お互いにいたわり合い、助け合い(補い合い)、愛し合い、譲り合い、共同生活すること

 o独りの時は、すべてが自由であったように思えるが、僕のような人間が長く続けていると、おかしくなってくる気がする。
 o様々な意味において、男は独りでいることに耐えられなくなる時がある。

 夫婦生活
  家庭―健康的で、快適な処が望ましい(内部的にも、外部的にも……)
  物質的より、精神的でありたい
  その時々の、分相応の生活をしたい
  (背伸びをしても、いつかは無理が来るし、その時苦しむのは自分自身である)
  見栄や外聞で生活するのではない

  性欲と食欲
    人間が生きていくための"二大本能"
   "メシを食う"と"食事をする"の違い
   "食事をする"→他に楽しみがないわけではないが、今の気分では、外に出かけたり(競馬、ボーリングetc.)、 家の中で(マージャンetc.)遊んだりすることはない。
    ストレス解消には、ゆっくりと、おいしく食事することである。→家で、落ち着いた気分で勉強したい。 →そういう意味で、君のことをよき伴侶だと思った(これが違っていれば、大誤算であり、人生の終りである…)。

  もう一つの"本能"、性欲について
   o動物にも性欲はあるが、人間との大きな違いは、前者が種族繁栄のためのみの性行為であるのに対し、 後者は子孫繁栄のほかに、快楽の追求に行うというところにある。
   o戦前までの日本では、女は娘→妻→母となることが図式化され、その範囲内でしか生きることしか許されなかった。 戦後の様々な性解放は、行きすぎも多いが、女性が単なる"後つぎ"を生む道具ではなく、一個の人格ある、つまり、 男と対等の権利を有することが許された。(これは女性の思い上がりを助長するという結果にもなったが……)    o離婚の原因の一つに、"性格の不一致"というのがある。これはよくいわれるが、"性の不一致"の場合が多い。 どういう意味かといえば(上記の二点を踏まえて考えれば判るが)、夫婦生活において食欲、あるいはそれ以上に、 性欲が二人にとって重要であるということである。何が正常か、何が異常かというような問題ではなく、 その夫婦二人がうまくかみ合っているかどうかということが問題なのである。例えば、多少趣味が合わなくても、 食事の好みが合わなくても、お互いに我慢ができるだろう。だが、"夫婦共同作業"の性生活は、合わなければお終いである。 (世の中には、どちらかが我慢しているというのが多いだろうが、これはお互いの精神衛生に非常によくないことである)

 男にとって、仕事が第一である。
  家庭は、そういう男を助ける場でなければならない。
  仕事と、家庭(妻や子)とは別の次元である。

 僕としては、できるだけ、君の望むことをかなえてやりたいと思う。
 度を過さない程度の判断のできる君のことだから、無理難題をふっかけることはしないだろうが、 人生は楽しむものであると思うし(買い物することも、夫婦ゲンカすることも、セックスすることも含めて)、  僕は、最低これだけは守ってほしいということしか言わないつもりでいる。あとは君の自由だ。 君の自由を縛る権利は僕にはない(少々冷たいかな)。
 二人共、気をつけなければならないことは、性格、考え方が余りにも似ていること。
 対外的にもうまくいっている場合はいいが、まずくなると、とりかえしがつかないことになる。 この世界は、普通のサラリーマンと違うだけに、やり方如何によって、好悪、どういうことにもなる。


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