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「ミニ自分史」(57)「97/1/4朝9 時 さて一年後(三日坊主ならぬ…)」

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<97/1/4朝9 時 さて一年後> 日ごろ思うことを書き続けよう。400字で

*年賀状 1(97/1/4)
 昨秋の母の死により"喪中につき……"はもちろん、年賀状も出さなかった。
 事前に喪中の案内を出すのは、相手に失礼だというのを何かで読んでいたし、私自身もおかしなことだと思っていたからだ。 もう一つ、望んだわけではないが、浪人二年目に入り、他人の見る目がどう変わるかに興味があった。
 仕事関係の多くは利用できる間だけの付き合いで、辞めるといったときに何人もが見事に変心した。 どんなに親しそうでも、心が通じ合っていないからだ。また、辞職の挨拶状を出すと、かなりの人が惜しんだり励ましてくれたが、 今年に継続するものわずかであった。これも上記と同様であろう。私が次の仕事、計画や方針を明かさないのだから。
 それでも、他人が私を選別するように、どこまで気心が通じているか、どの程度私を気にかけていてくれるか、 少し露骨に言えば頼りになるかどうかを知りたかったのだ。

*年賀状 2(97/1/4)
 喪中を知っている人は四十名以上いるはずだが、賀状をくれた人もいる。先方の喪中が約十人のほか、昨日現在百通以上貰っている。 その場限りの人がぐっと減ったことになる。一方、久し振りにくれた若い人のもある。近ごろは表裏とも印刷というのが多く、 有り難みも半減だが貰わないよりはよい。私を忘れていないことに感謝、である。
 いただいた多くは年配者からで、いろいろと心配をおかけしている。若い人は一度会いたいという。 まだ頼りにされている内容もある。一方、仕事が継続していても、何の挨拶もなく、その上司は"フリー二年目に入って"とある、 大きなお世話ではないか。
 毎年止めようか、どうしようかと悩んだ揚げ句、いつも駄じゃれか干支の字を墨で書いてごまかしていた年賀状だが、 母の死をきっかけに出すのを止めようと考えている。しかし、他人は頼まないでもその気持ちを伝えてくれる。 これを断わる必要はないだろう。

*ことば 1(97/1/4)
 文学者は言葉を持たなければならない。哲学者も政治家も同じである。いや、われわれ一人一人が自分の言葉を持たなければならない。
 言葉をも持つということは、自らが考えること、反省すること、悩むことであり、そうすることによって、 人は少しでも前へ進むことができるのだ。
「はっきりした基準を持てない弱さ。国はこういうところから崩れていく」「(新聞でもニュースだけ読む)何が起きているかだけを知る。 その後、自分にとって何が重要か優先順位をつける。さらに自分だけでなく家族にとって、属する組織にとって、日本にとって、 と広げていく。……」(塩野七生インタビュー<在ローマ>『日本は老いるには早過ぎる』東京新聞1/4付)
 言葉は人を勇気づけ、考えさせ、反省させ、前へ進む指針となる。

*家族(97/1/9)
 いまや、DINKS(子なし共働き)が流行りでもあるかのように、子供を作らない若夫婦が増えている。 子供に束縛されず、好きなだけ稼いで、いつまでも気楽に遊んで暮らそう。いざ別れるときも、身軽というものだ……。
 それも悪くはない。子供を作る自由もあれば作らない自由もある。しかし、子を持たない人の多くは"大人"になっているかどうか。
 子を持って知る親の恩という。生まれた子供を育てる、あなたの思う通りにいかない毎日、そこから否応なくあなた自身が脱皮し、 社会の一員としての自覚を持つ、世の中が、他人の痛みや苦しみに目をやることができるのではないか。


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