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「ミニ自分史」(70)「仕事と肩書…」

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 私はこれまで、学生時代にS出版社販売部でのアルバイトを冬の2シーズンやり、卒業後は同社出版部でのアルバイトを5か月でやめ、 しばらく大阪に戻ったのち、作家の助手を8年半務めた。その後出版社系の新聞社では1年7か月しか続かず、 またちがう出版社で校正などの仕事(不定期)をやりながら、当てもなくノンフィクションものに手を染める一方、 請われて月刊誌編集部の"嘱託"を3年ほど務めていると、サラリーマンにならないかとの話があって、出版関係団体に勤めたが、 53歳のとき13年3か月でやはり辞めてしまった。
 辞めた理由はさまざまである。10年ごとに勤めを替えるという知人もいたが、私にそのような"人生哲学"はない。 ともあれ、一つの職場で定年まで勤める人には理解できないかもしれないが、すべては時の流れ、人様のおかげというほかない。
 そういう人生だからか、ほとんど縁がないのが"肩書"であった。それでも、ナンバー2の肩書をちらつかせた上司は、 ほどなく私を"脅威"に感じたらしく、自分との間に無能な人間を入れるなどして、わが身を守るに汲々としていた。
 一方、私は肩書で相手を見ないところがあった。しかし、名刺交換のとき変わった名前あるいは読みにくい場合に、 これはなんと読むのですかと尋ねると、たいがいの人は喜んでくれたものだ。名刺はコミュニケーションを円滑にするための一つの道具であろう。
 だが、世間はちがう。会社勤めの人は相手を見て、自分の態度や対応をかえることが多いようだ。勤めていたときの経験でいえば、 訪ねてきた相手(複数)が、私の名刺を見て"肩書"がないことを知った途端に態度が変わった(尊大になった)のを見たことがある。 私はもちろん、そ知らぬ顔をしていたが、その後の付き合いはありませんでしたね。人が多くポストが少ない組織では、 わけの分らない肩書が多いと知ったのもこのころである。
 もう一つの例。年上のA氏と若いB氏は別の会社の人間である。同じような仕事柄、顔を合わす機会が多い。 あるとき人事異動があり、B氏が局長になったところ、それを知ったA氏(部長)は「アイツが局長になるなんて、おかしい。俺がなるべきだ」といったという。
 別の例。山一證券が倒産したとき、「社員は悪くない」と大泣きしながら社員をかばった社長も凄かったが、 そのような過保護で育った社員らは再就職の面接で、「何ができますか」と聞かれ、「課長ならできます」と答えたものいるほどだ。
 組織には肩書は必要かもしれないが、一個人としては大した意味はないと思うのだが、多くは24時間、肩書で生きているようだ。 定年退職後も"昔の名前"に執着するのもむベなるかなである。
 ついでに言えば、高い給料をもらっていながら、自社の悪口をいう人たちのなんと多いことか。 居酒屋や電車の中で仲間同士の悪口を聞かされるのも不快だが、他社の人間にも公言するなぞ、もってのほかではないか。
 私が53歳で辞めると知った定年間近の男は、うらやましいと言ったついでに、またしても自社の悪口をいった。 会社に対して失礼ではないかと思った私は「そんなにイヤなら、辞めたらどうですか」と"忠言"したが、 彼はまったく辞める気配はなかった。こういう人とも付き合いたくない!!
 私は前述の勤めのとき(1982・10〜)、小人数で事務局長についで二番目の位置にいたが、知らない内に外部から肩書を付けられていた。 一つは日本中国文化交流協会からの郵便物や招待状に「橋本主任様」とあり(1988・05)、もう一つは文化庁から届いたファックスに「事務局次長」とあった(1993・05)。
 いずれも、外部の方が勝手につける性質のものではなく、上司が出まかせで口にしたものであろうが、 その場かぎりの"幻の肩書"であったことはたしかだ("主任"は中国では、かなり上位であることを後で知った)。
 ところで、十年ほど経ち、新人が三人入って三年ほどすると、私とそのうちの年長者が「事務局長補佐」という聞きなれないというか、 訳の分らない肩書を付けられた。もっとも、これにはオチがあって、有力理事から「もっと古い人がいるではないか。彼女こそ事務局長補佐に相応しい」と指摘され、 慌てて追加というお粗末な事態ともなった。要するに、私(橋本)を埋没させたかっただけの作為であろう。
 話もどって、フリーになったとき、名刺には肩書を入れたほうがよいと、元お役人に忠告されたことがある。 肩書に縁のない人生、かつ"モノ書き"は肩書なしで通るのが相場と知っている私としては、今さらの感がある。
 したがって、フリーライターとかフリージャーナリストなどと、勝手に付けられると即座に否定している。 たいていの人は、この二つはカッコイイと思っているようだが、"フリー"は"専属"の対語であろう。 つまり"専属ライター"とか "専属指揮者"というのは自然だが、それ以外はすべてフリーではないか。
 どうしてもといわれれば、「ノンフィクション作家」とするのが限度であるが、それでも面映いのである。


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