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「ミニ自分史」(94)中元・歳暮、贈り物など その1

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橋本健午09・05・19

 わが国の美風か、悪弊かは知らないが、私も若いころ、世間並みに中元や歳暮のやり取りをしていた。 その相手先、内容や数の多少、金額の多寡によって、“お付き合い”や“お礼”あるいは“儀礼”的なもののあったことがわかる。

 ところで、敗戦直後から昭和30年代にかけて、「新生活運動」という言葉がはやった。 日本全体が疲弊しており、お互いに生活の簡素化を目指した住民運動だったと、グーグル「新生活運動と香典」にある。具体的には、

 たまたま、母に来た手紙を整理していると、「当方一斉に生活の簡素化でお返しは一切出来ません その点悪しからずお許しの程を」という返事があった。 昭和60(1985)年8月、小浜市に住む親戚からである。

 また、いつごろだったか「虚礼廃止」という言葉もあった。形式的なことをやめようという趣旨で、 年賀状や盆暮れの付届けを指すのは上記と似たようなものだが、これもインターネットで調べてみた。
 なんと、ここ数年各地の市議会などで“宣言”“採択”されているというからオドロキである。 “黄信号 みんなで渡りましょう”という心理、いやわが国民性のなせるところか。

 また、金品のともなう行為は西松建設問題ではないが、何らかの見返りを期待するなど、下ごころ?の場合も含まれる。 時によっては、その意図を汲んで受け取った方も罰せられることがあるだろう。
 もう少し、レベルの低い例が私自身にも起こった。頃は夏、中元の季節は過ぎていたが、96年8月29日のことである。
 ある専門学校理事長の“伝記”を書いてほしいと、科目担当者から理事長秘書(女性)を紹介され、その学校の応接室で、 一応の趣旨と考え方などを話し合い、1回目の会合は終わった。
 部屋を出たとたん、別の女性(学校事務長)が私に近づき、つまらないものですがと、押し付けられたのは靴下が2足入った箱である。 その上に自らの名刺が乗っており、「本橋先生 いつも大変お世話になります。今後共によろしくお願い致します」と“朱印”付で認められていた。
 しばし戸惑ったが、つき返すほどのものではないと思う一方、なるほど“付届け”とはこういうことかと思った。
 女同士、秘書に対抗しようとしたのか、あるいは“理事長に会う”私に、よい印象を与えようとしたのかと。 これが男女を問わず、サラリーマンの“習性”なのか“さが”なのか、と。
 ともあれ、理事長に会うこともなく、話は立ち消えとなっている……。


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