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「ミニ自分史」(17)「借金」

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 借金も信用のうちらしい。たとえば、某出版社を一代で築きあげたT社長は、都心の一等地に新しい社屋を建てた。 さすがと思っていたところ、S銀行を中心に1千億円以上もの借金をしているという。銀行は相手の手腕を買い、 また担保があるから貸すのだろうが、何とか回収しなくてはという"弱み"から、さらに貸し続けていたのだろうか。
 こういう他人事ならば、高みの見物だが、小心者の私には先ず金に縁がない。したがって、借金にも縁がない人生だ。 ローンを組んでクルマを買い換えたり、親子2世代の契約を結んで家を新築したりなどという"芸当"はとてもできない。
 借金がないことほど、心安らかなものはないと越し方を振り返っていたところ、どっこいまだ返済していないものを思い出した。 独身時代だから、30数年まえのことである。ある飲屋が若い息子に店を持たせたと聞き、以前に住んでいたアパートに近いせいもあって、 私は開店の日に顔を出した。たぶん、お銚子1,2本におでんをつまんだぐらいで、金額は780円か870円だった。 5千円札を出したが、お釣りがない、この次でいいですよという。千円札なら、格好をつけて置いてきたのだろうが、薄給の身、 じゃあこの次にいうことになった。しかし、次に行く機会のないまま、店は無くなり、息子もいなくなった、という次第である。 利子がつけば、今ごろはちょっとした金額になっているかと思うが、こればかりはその親にも内緒である。
 そんな私にも、借金を申し込む人物がいた。やはり、そのころか少し前、友人の弟が電話をしてきて、 「6千円ほど貸して欲しい。理由は聞かないで下さい」と学生の彼はいうではないか。堅気の人間である私は、 「理由も聞かずに金を貸せるか」と頭から断った。
 長じて、勤めも安定していたころ、商売をしていた友人の一人が、ヤクザさんともめているらしく、 「100万円貸してくれ」と泣きついてきた。仕事中に、そんな個人的な話に即答はできない。後で返事をすると、電話を切った。
 当時、私でもその金額ぐらい貸す余裕はあった。しかし、貸した金は還らないのは"世の習い"でもあり、 また私は何度も催促する根性もなく、下手な言い訳をするのもいやだから、「君との友情が壊れても、貸せない」旨の手紙を書いた。 金は天下の回り物、しかし友情はかけがえのないものではないか。
 このことを覚えていたかどうか、彼は私の還暦記念にと、万年筆を贈ってくれた。「40年来の友情に感謝す」との言葉を添えて。
 そんな私だが、自分ではできなかった借金を子どもたちに"奨励"している。大学生活での奨学金という借金だが、 これは自立するために、お金のありがたさと恐さを知って欲しいからである。
 そういいながら、高い金利の分はさっさと肩代わりしてしまった。おっと、これも"内緒"の話であります!?


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